第85話 運が味方なら①
ミケランジェロはドアの上に設置された防犯カメラを見上げた。
モレッリ警部に教えてもらった中華料理店の前だった。道路を挟んだ向かい側にはゴミ袋が捨てられていた廃墟。運が味方なら、このカメラのレンズが何かをとらえている。
準備中の札がかかった赤い格子のドアを押した。奥から小柄な男が出てきた。ミケランジェロが提示した警察の身分証を見て、こちらへどうぞと案内する。
スタッフの好奇の視線を浴びながら厨房を通り抜け、従業員用の休憩室に入った。店主であるらしい男は棚からビデオテープを取り、録画の確認をしたいかと聞いてきた。
「はい、お願いします」
テープがデッキに挿入され、小型のモニターに映像が映し出された。
深夜、しかも裏通りとあって、道を歩いている人はいない。画面右上に一対のヘッドライトが現れた。車体の色は定かでないが、往年のフィアット・チンクエチェント。大通りのカメラで確認したのと同じ車だ。
男が自分の真後ろにいて動かないのでミケランジェロは気が散った。イタリア人の警察官が窃盗行為に及ばないよう見張るつもりだろうか。と思うと、聞いてきた。
「どうです、ちゃんと映ってるでしょ?」
「ええ、そうですね」
店主は得意そうだった。
事実、あの古書店のビデオよりずっと鮮明だ。
街灯の下、同じ車が再び現れた。ミケランジェロはモニターに顔を近づけて見入った。時刻は深夜1時5分。署で確認した映像では、このあとチンクエチェントは大通りに戻らず、どこかへ姿を消す。
車は廃墟のフェンスの前で停まった。運転席から男が降りてきた。中肉中背、黒っぽいカジュアルな上着。車の前を回り込み、助手席側から何かを取り出す。映ったのは数秒間だが、あのゴミ袋に間違いない。それをフェンスの内側に投げ入れ、再び車の前をまわって運転席に滑り込む直前、男は誰もいないことを確かめるように左右に目をやった。
カメラに向けられたその顔を見た瞬間、ミケランジェロは思わず携帯電話に手を伸ばしていた。
*
ジャンニは急ぎ足で階段を降り、再び発信ボタンを押した。話し中だった。
「くそ、早く切れったら」
あの黒い機器には画像が大量に保存されていた。スマートフォンの撮影機能で盗撮した疑いのある写真だ。確認する時間はなかったが、連絡がつかないマヤ・フリゾーニの画像があるかもしれない。ことによると、あの端末やら何やらを調べる必要が出てくる。
やっとレンツォと電話がつながった。
「何やってんだ、こっちは何度もかけてたのに」
「あんたが店に電話しろって言ったんじゃないか」
「そうだった。で?」
「アンドレア・コスタの名前は確かに〈マンゴー・ラウンジ〉の会員名簿に載ってるよ」
ジャンニは研究室で見たことを手短に話した。
「どうも気にくわないと思ってたんだよ、あのおっさん。試しに一日監視させてみろ、盗撮で現行犯逮捕できるぞ」
小声で喋ったが、ひとけのない大学構内で声はやけに大きく響いた。
「自分で撮ったとは限らないだろ? 無断で端末を調べたって分かったらやばいよ」
「野暮なことを言うんじゃない、あのエロ教授が学生にやってるかもしれないことに比べりゃ何の問題もないだろうが。〈マンゴー・ラウンジ〉ってのは、夜な夜な変態が集まって変態プレイを繰り広げてる変態クラブで、マヤが写真を撮られたと言ってるのもそこだ。先生が最近行ったのはいつだ?」
「ここ数カ月は来てないってさ。今年の1月ごろから来なくなった。事故があって」
「事故?」
「支配人はなかなか言いたがらなかったけど、店には会員専用のスペースがあって、そこで月に数回、グループセックスやスワッピングが目的のパーティが行われる。完全紹介制だ。コスタは2、3回参加したが、相手の首を絞める行為に出て救急車を呼ぶ騒ぎになった。大事には至らなかったけど、それで顔を出しづらくなったようだと言ってる」
「首を……?」
「加虐嗜好なんじゃないかな。同じことをされた参加者は他にもいたらしいよ……で、これって何の話? 事件と何の関係があるのかさっぱり分からないんだけど」
フラヴィア・リッチはハンドバッグの紐で首を絞められた。
死体発見現場を通りかかったラヤンは、そこで男を見たと証言している。
日暮れの公園に一人でいるフラヴィアを見て、コスタが劣情を抱いたとしたら。
通話がまだ繋がっているのを確認し、ジャンニは声を押し殺した。
「聞いてるか? あの変態どスケベ教授の写真をラヤンに見せてみろ。現場から逃げた男はやつだ。クリスティじゃない、コスタだったんだよ。これで全部分かった……馬鹿たれ、今すぐだ。ひとっ走りすりゃ2分だろ?」
乗ってきたトヨタのドアを開けようとしたとき、大学の前に駐車された車に目がとまった。
旧型の黄色いフィアット・チンクエチェント。
位置は違えど、2日前もこのあたりに停まっていなかったか。捜査車両のシトロエンをぶつけたら気分がスカッとするだろうかと思ったのを覚えている。我ながら、酷いことを考えたものだ。ミケランジェロにクビだと伝える役目をラプッチから押しつけられ、むしゃくしゃしていたときだった。
この、およそ半世紀前の骨董品を日常の足に使っている人間が市内にどれだけいるだろう。
ジャンニは車の後部にまわってナンバープレートを確認した。
「その前に、所有者を調べてほしい車がある」
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