第45話 熱気と冷気
重低音が建物の廊下まで響いていた。呼び鈴を押すとドアが開き、円錐形の帽子をかぶった男が出てきて友達みたいにジャンニの肩に手をまわした。
ニコラス・ロマーノは地方の出身で、フィレンツェでは他の学生と共同でアパートメントに住んでいる。
訪ねて行くと、十数人の若者が集まってホームパーティーの最中だった。ミラーボールがダンスホールのような回転する光を放ち、それを全身に浴びながら情熱的に腰をくねらせている若い娘がいる。テーブルの上は空き缶だらけで、男の学生がソファに転がって眠りこけている。その隣のカップルはすでにいい雰囲気で、熱のこもったキスを交わしていた。
「20代の頃を思い出すよ。目が覚めたら、お目当ての子に他の男がまたがってたもんだ」
ナースの格好をしたアジア人の女がシャンパングラスを片手にやってきた。きっちり化粧し、頭には赤い十字マークが入った白い帽子。スカートは実際の看護師にはありえないほど短い代物だ。本物のナースの服ではなく、パーティー用の衣装らしい。
ジャンニは身分証を出し、大音量のラテン音楽に負けないように大声で言った。
「警察だ。ニコラスはいるかい?」
女は1歩下がって批評するようにジャンニを眺めた。
「仮装としてはイマイチだね。刑事に見えないもん」
「ニコラスはどこにいる?」
「ちょっと前に出かけたみたい。おじさん、ほんとに警察の人?」
「音楽を止めてもらえないかな?」
ラテン音楽が鳴り止むと、寝ていた男がよろめきながらバスルームへ行った。しばらくして嘔吐の音が聞こえてきた。ミラーボールの前では男女が腰をぴったりくっつけ、もはや聞こえないリズムに合わせてまだ踊り続けている。
「行き先は分かるかい?」
「ううん」
「行きそうな場所に心あたりは?」
ナース服の学生は別のアジア人の女と顔を見あわせ、首を横に振った。素面でいる学生はみな困惑顔だ。
「誰も知らないのかい?」
「ニコラスって普段あまり喋らないから。いつも部屋にいて、あたしたちがパーティーをやってるときは絶対に出てこないしね。2時間くらい前に、誰にも何も言わずに出て行ったの。珍しいと思ったんだ、本ばっかり読んでて夜遊びに行くことなんか滅多にないから」
ニコラスの私室は廊下の向かい側だった。やや散らかった、ごくありふれた学生の部屋に見える。中央に大きなテーブル。閉じたノートパソコンの上に携帯電話が置いてある。
再び音楽が聞こえはじめ、悲鳴のような笑い声があがった。誰かがジョークでも披露したのだろう。
ジャンニはふと寒気に襲われた。携帯電話が残されていることを除けば、室内にはおかしなところは見あたらない。しかし、何かが普通ではなかった。ホームパーティの熱気とは隔絶され、この部屋だけ冷気に支配されているような……。
ジャンニは電話で通信指令室を呼び出し、オペレーターに緊急配備を依頼した。
「おれの勘はあたらなくて有名だけど、あたってほしくない嫌な予感がしてるんだ。駅にも監視要員をつかせろ。昨日みたいに列車に乗り込もうとするかもしれない」
「30代前半の男性って言いましたか、警部? 黒縁の眼鏡をかけている?」
ジャンニは電話をあてていないほうの耳に指を突っ込み、パーティの騒音をシャットアウトした。そうでもしないと通信指令係の声が聞きとれなかった。
「そうだけど、心あたりがあるのかい? また無賃乗車で捕まってるならこっちは助かるんだが」
「いえ、当該の人物かどうかは不明ですが……10分ほど前、工場の跡地で男性が飛び降りたという通報があったんです。警部がおっしゃった特徴に合致するようです。今、パトロールカーが現場に向かっています」
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