第44話 パンドラの箱

 濃緑色のリュックサックがテーブルに置いてあった。ファスナーが開けられ、光沢のある葉がのぞいている。


 ジャンニは手袋をはめた手をリュックサックに入れ、慎重にそれを取り出した。高さ25センチほどの円筒形で、葉や枝の形に彫刻されている。記念写真の中で大学教授が持っていたものと同じだ。


 四角い台座に汚れがこびりついていた。血のように見える。


「どこにあったんだ?」


 見つけたのはレンツォだった。ニコラス・ロマーノが1日たっても荷物を取りに来ないのを不審に思って調べたのだ。


「ここだよ、ジャンニ。取り調べのあと、ニコラスを留置場で休ませることにした。二日酔いで具合が悪そうだったから。彼はリュックを忘れて行ったんだ、覚えてるだろ? あれからずっとここにあったんだよ」

「そうだったな。けど、そんなことは物覚えの悪いおれでも覚えてる」


 ジャンニは手袋をむしり取って科学捜査課の主任に電話した。


「ヴォルペ、鑑識チームをここによこせ。くそ面倒なことになった。詳しくはあとで話す……どこにって? 分かりきったことを聞くんじゃない、ここって言ったら警察署クエストゥーラに決まってるだろうが」 

「そこで何をしているんだね?」


 来てほしくないタイミングを狙ったかのように現れる男、ラプッチが通りかかって怪訝な目を向けていた。ジャンニが事情を説明すると顔色を変え、血のついたオブジェを示して語気を荒げた。


「つまり、きみが持っていたのか? 殺人の凶器かもしれないモノがよりによってここに、ほぼ丸一日、置き去りになっていたということか?」

「だからそう言っただろ。同じことを繰り返すなよ」

「これが重大な問題だと分かっているか? 裁判になったら、弁護側はこのトロフィーが被疑者とは無関係だと主張してくるだろう。なにしろ適切に保管されずに放置されていたのだからね。警察が証拠を捏造したと疑われる可能性もある。我々はこれがニコラスに由来すると証明しなければいけないんだぞ!」

「ニコラスはアレッツォでつかまったんだ。こっちとしては、あらためて所持品を検査する必要はないと思ったんだよ。リュックの中身について報告をよこさなかった鉄道警察の連中が悪い」


 ジャンニは内線で留置場の看守を呼び出し、単刀直入に聞いた。


「ニコラスは昨日いつ帰った?」

「ああ、あの酒臭い兄ちゃんか。すぐ帰ったよ。そういう指示だっただろ? 収監する必要はないって――」

「リュックのことを何か言ってなかったか?」

「いや。具合が悪いなら医者を呼ぶと言ったんだが、聞かなかった。横にもならないで逃げるように出て行ったよ……それがどうした?」

「くそっ!」


 ジャンニは罵詈雑言を己にぶつけた。捜していた凶器はすぐそばにあった。ナイロン製のリュックサックに隠されて。逮捕すべき人間はニコラスだったのに、目が節穴のジャンニ・モレッリ警部はそれを見抜けず、まんまと放免してしまったのだ。

 ファスナーを開け放したリュックサックは、厄災が飛び出したあとのパンドラの箱のように見える。


「しかし、ここに置き去りにしていったというのは理解に苦しむな。すぐに見つかるのは想像がつくだろうに……きみの不手際によって発見は遅れたが」

「言われなくても分かることを指摘してくれてどうも。おれにもわけが分からん。てっきり忘れて帰ったと思ってたんだ。けど、血のついた鈍器が入ってたなら話は違う」

「置き忘れた可能性もゼロではないな。思い出しても取りに戻ってくるわけにいくまい」

「家の住所を調べられるかい?」


 レンツォが捜査資料からニコラスの自宅住所を見つけた。

「フラ・バルトロンメオ通り53番」


「よし。警視長、あんたは残って科捜の連中に事情を説明してくれ。付着した血液を検査してもらうんだ。それと、指紋もだ。このトロフィーを徹底的に調べさせさろ」


 言うが早いか車のキーをつかみ、ジャンニはレンツォを連れてあたふた出て行った。


 ラプッチは納得のいかない思いでリュックサックを見つめた。ジャンニ・モレッリ警部といっしょに働いていると、どういうわけか自分が部下になったように感じることがある。

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