第103話 貴重な4日間③
ジャンニは警察署の外で煙草を吸った。
責任を感じる必要がないことは分かっていたが、なんとも言えない後味の悪さだった。書類が一段落するまで残れると伝えていただけに、申し訳なさもあった。
あの坊やをぬか喜びさせちまったな。
暖かい晩だったが、繁華街から離れているので道をそぞろ歩く人の姿はほとんどない。通過する車の無機質なヘッドライトを見ているうちに煙草までまずくなってきたので、足元に捨てて踏み消した。
フロアに戻ったところで男性の署員に呼び止められた。ラプッチから外線が入っているという。
ジャンニは電話をかわった。署の代表番号にかかってきていた。
「〈シンデレラ〉の捜査を開始する方向で検察官と話がまとまったよ。詳細はこれから詰めるが、とりあえず知らせておこうと思ってね」
「そうか、そりゃ結構なことで」
ジャンニは警戒した。それだけのためにわざわざ電話してくるとは思えない。
「それで、ものはついでだが……」
電話の向こうの声が少し申し訳なさそうになった。人のざわめきが聞こえる。
「実は携帯電話をオフィスに忘れてきてしまってね。持ってきてもらえないだろうか」
「ふむ。そういうことなら、署に戻ってきては?」
「それが、クラシックコンサートの会場にいるんだよ。もうすぐ開演なんだ。君でなくていいから、誰か暇そうな者に頼んでみてくれたまえ。ホールの受付に預けてくれればいい」
なんと、おめでたいやつがいたもんだ。人手を減らしておいて、その口で暇そうな者に頼めとは……。
「はいはい。そうだ、マッシモ・ボスコの弁護士が来るそうだけど、いいのかい。お友達の代議士の人権がちゃんと守られるかどうか監視したいんじゃないか?」
「そ、その件は君とアンナに任せる。君たちを全面的に信頼しているからね……おや、もう開演だ。では、そのようによろしく頼むよ」
ジャンニは執務室へ向かった。携帯電話はデスクに置いてあった。捜したが見つからなかったと言うか、窓から落として車に轢かれるのを見物するか……。後者が魅力的に思えてきたとき、画面が点灯して着信音が鳴り出した。
表示されている発信者に見覚えがあった。シエナ署の
ラプッチは、新しいメンバーはシエナから来ると言っていた。ということは……
ジャンニは鳴り続ける電話を見つめ、恐る恐る通話をタップした。
「はい?」
「こんばんは、警視長。調子はいかがです」
電話の向こうの声は礼儀正しく言った。
「変わりないよ。そっちはどうだね」
「まあまあですよ。私の部下がそちらに異動になる件ですが、月曜からですよね。念のために確認したくて」
ジャンニは代議士を相手にしたときはラプッチの声真似が通用したことを思い出し、咳払いした。
「それなんだが……こちらとしても大変心苦しいのだが、ちょっと不都合が生じてしまってね。異動は延期できないだろうか。先日、他部署から1名入ってきたんだよ――ミケランジェロ・ヴェッルーティ君というんだが。私の采配が悪いせいで人件費が膨れあがって限度額を超えそうになっているところへミケ坊――いや、ミケランジェロ君が正式に加わったものでね。もう他の人員を受け入れる余裕がなさそうなんだ」
相手は、ではその旨を部下に伝えると言った。別人と話していることには気づいていないようだった。
「パレルモの機動捜査部はどうかと本人に打診します。あっちからも誘いがきてたんで」
「そうしてもらえるとありがたい。急な話で不服だろうが……ほう、異論があるはずはない? 本人はもともとパレルモを希望していたが、帳尻合わせのためにフィレンツェにされていた? なるほど。ならば、これで万事解決だな。いや助かった。では、そのようによろしく頼むよ」
代わりの人員はもう来ないのだから、ラプッチはミケランジェロの残留に文句を言えないはずだ。
上機嫌で通話を終わらせたところで、アンナが顔を覗かせた。分厚いフォルダを抱えている。
「ジャンニ、いいかな。ロット氏が来てるから」
「誰だい、そりゃ?」
「例の弁護士。コカインの件だけど、あのチュニジア人の兄弟がやったと主張してくるのは間違いないわよ」
「好きなだけ言わせときゃいいよ。こっちにはそれと逆の証拠がたんまりあるんだし……まてよ、ロット? どっかで聞いた名前だな」
「有名だからでしょ。テレビに出てるし、やり手の弁護士として知られてる。妻はミラノのエステサロンを経営してる。いい製品を出してるわよ」
「ふん、大物がご登場あそばしたもんだ。今行くよ」
ジャンニは携帯電話をもとの場所に置き、照明を消して執務室をあとにした。
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