第101話 貴重な4日間①

「すると、車で拉致されたのは確かなんだな?」

「そうだ。携帯電話を奪われてからは脱出のチャンスを狙ってたらしい」


 マヤは病院に搬送された。命に別状はなく、回復すれば詳しい話を聞ける見通し。ジャンニは署に戻ってラプッチに経緯を報告していた。


「車内にあった水のペットボトルをクリスティの顔に投げつけ、車が事故を起こした隙に逃げたんだ。しかし斜面で足を滑らせ、転倒して意識を失ったらしい。気づいたら車のトランクの中にいたと言ってる」


 マヤが生きていたと教えてやったときのクリスティの顔を思い出した。何も言わなかったが、彼はどこか安堵したような表情を見せた。


「夫婦が車を見に来たとき、やつは物陰に身を潜めてたんだよ。それからマヤをトランクに放り込み、いっそ自首しようかと考えたそうだが、結局しなかった。教授の件でもまだ疑われてなかったし、切り抜けられると思ったんじゃないかな。民宿は客がいなくて、スタッフも不在だった。かわいそうに、マヤは叫んでも誰にも聞こえなかったはずだよ」


 ラプッチは車のトランクに一晩閉じ込められる恐怖を我がことのように感じたか、露骨に顔をしかめた。


「しかし、車はどうするつもりでいたんだ。すぐに発見されるのは想像がついただろう」


「取りに戻る気だったんじゃないかと思う。当初は家の前に戻す魂胆だったが、マヤに見られた瞬間にその選択肢はなくなった。ましてや彼女をトランクに監禁しちまったからな。隠さなけりゃいけないのは分かっていたけど、学会があるから街を離れるわけにはいかない。あの場所にいったん停め、一番近いバス停までは歩いたそうだ」


「殺意は認めているのかね。計画性ありの殺人未遂で訴追できそうか?」


「殺す気はなかったと言ってる。おれは車に乗せた時点で殺すつもりだったと睨んでるけど。どっちにしろ後戻りはできなかったはずだ。

 意識を失ったのを見て、彼女が頭を打って死んだとクリスティは思ったらしい。しかし車に閉じ込めてから、まだ息があったかもしれないと思いはじめた。考えてたのはこういうことだったんじゃないかな――勾留されてる身じゃ車を取りに行けない。居場所を言わなかったら彼女は死ぬ。けど昼間の暑さもあったし、昨夜の時点で生きていたとしても、もう死んでる気がする。だったら言おうが言うまいが同じだ。生きてるかもしれない彼女を見殺しにしようとしたんだよ。事前に計画していた証拠は見つかってない。あったとしても認めないと思う」


「とはいっても、捜査開始から3日で検挙に漕ぎつけたし、申し分のない結果だよ。月曜日に記者会見を開くから、そのつもりで」

「分かってる。ミケ坊やにも同席してもらうけど構わないよな。まだここの一員なんだし」


 立ち上がると体の節々が痛かった。疲れが溜まっている。ラプッチが笑顔を曇らせ、視線をそらして万年筆をもてあそびはじめた。


「彼がここにいるのは今日までではなかったかな」

「いや、事件が片付くまでは残るって話になってたよ」


 警視長は首を横に振って異論を退けた。息子に速やかに離職してもらいたいという父親の意向を思い出したのかもしれなかった。


「もう充分、彼は我々の仕事を手伝ってくれた。すでに伝えたとおり月曜からもう1名加わるし、率直に言って余分な人員のための予算はないんだよ。事情は分かってくれたと思っていたが……」

「それじゃ話が違う。これから手をつける調書が山ほどあるんだぜ。2件の殺人に殺人未遂だ。おれたちだけじゃとても手がまわらないよ」

「月曜日から来るメンバーに頼みまえ。シエナ署で殺人課にいた捜査員だ。名前は……失念した。まあいい、来たら紹介しよう。この調子で、書類作成もてきぱきと終わらせることを期待しているよ」


 ジャンニはミケランジェロを呼び、月曜から元の部署に戻ってもらうことになったと告げた。ミケランジェロは落胆したようだったが、それを押し隠して朗らかな笑みを浮かべた。


「分かりました。いろいろありがとうございます。この4日間、貴重な経験ができました。ほんと、警部には感謝してます」

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