第99話 プラタナスの小道①

 捜査車両のシトロエンはサイレンを鳴らして渋滞を追い抜いた。


「そこをまっすぐ……そうそう、一直線だ、かっ飛ばせ。遠慮はいらないぞ」


 レンツォに道を指示したあとは、ジャンニは黙って道路の先を眺めた。

 数時間前に通ったのと同じ道筋だ。クリスティが骨董品の車でパトカーにスピード勝負を挑まない程度には分別があってよかった。もし無茶していたら、今頃は……。

 大破しながら崖を転がる車が頭に浮かび、ジャンニは身震いした。ルノーのキーを署に忘れてきたかと思い、上着のポケットを探ると、ちゃんと入っている。


 車に死体を積んでいたら、すぐにでも手放したかったはずだ。遠くへ捨てるのは翌朝に学会があるから難しい。そこで一晩だけ実家のガレージに隠したというのは悪くない考えのはずだった。なのに、誤った方向に進んでいるという感覚が拭えないでいる。


「もしかしたら、マヤは本当に自分の意志で姿を消したのかもしれない」

「だったらどんなにいいかと思うよ」


 市街地は後方に遠ざかり、道は緩やかな勾配になった。ここもクリスティが運転して通ったところだ。カゼッリネは北東20kmの距離にある小さな集落で、鉄道駅もバスの停留所もなく、足は車しかない。


 足!


 そこで、頭の中で鳴り響く警告の正体が分かった。


 くそ、ドジ、間抜け。


 車をそこへ隠したら、やつはどうやって帰ってきたんだ? それを言おうとした瞬間、車は国道からはずれてプラタナスが茂る小道に入った。ジャンニは大声をあげた。


「違うんだ、こっちじゃない!」

「カゼッリネはこの道だよ」 

「いや、あいつは行ってないんだ。ルノーは母親の家にはない」

「えっ? さっきはそう言ったじゃないか」

「それが大間違いだったんだよ、おれなんかの言うことを信用するな。今のとこで引き返さなけりゃいけなかったのに、何やってんだ!」

「だったら自分で運転しろよ!」


 レンツォも負けずに声を大きくした。ジャンニは煙草の吸いさしを窓から捨て、怒鳴ったりして悪かった、と言った。


「カゼッリネは辺鄙なところだから、車を隠したら帰りの足がない。どこへ置いたかばかり考えて、戻る手段のことを忘れてた。やつはそんなに遠くへは行ってないんだよ」

「歩いて戻れる。3、4時間はかかるだろうけど」

「あの時間に高架橋を通ったら実家に着く頃には22時をまわってる。昨日、死体が見つかったあとクリスティは警察署に来たろ。深夜0時頃だった。徒歩なら、あの時間はまだ市街に戻ってきてなかったはずだ」

「別の車やバイクは? 誰かに借りたとか」

「夜の10時に車を貸せって頼むのか? 乗ってきた車は他人ので、警察に見つかりたくないからって? 家族にだって怪しまれるよ」


 ジャンニはもう推論をぶちあげる気になれなかった。さっきまで稀代の推理に思えたものが今やゴミクズ同然だ。シトロエンは交差点で方向転換した。市街地を示す標識を睨みながら、ジャンニは腹案を練った。せっかく出てきたのに、このまま戻るのか? かといって、あてもなく走り回るのは得策ではない。


「あの道、クリスティはおれと一緒のときも通ったんだよ。慣れた道を無意識に辿ってたんじゃないかと思う。昨夜もそうだったかもしれない。悪いんだが、やっぱりさっきの道に戻ってくれ。それから考えよう」


 丘の間を抜けてもとの道に戻ると、太陽はすでに傾いていた。民家の庭先にプラタナスが生え、反対側にはオリーブ畑が広がっている。

 署では、ラプッチが検察官とともにクリスティの取り調べを進めている頃だった。期待を込めて電話し、首尾をたずねると、車の場所についてはまだ口を閉ざしているとのことだった。


「そちらの状況はどうだね」

「万事順調ならこんな電話するか」


 ジャンニは言い捨てて通話を終わらせた。


「マヤを殺したら、やつは他の2人のときみたいに平然と嘘をついたと思うんだ。なのにマヤの件になると黙る。あれは本当は言いたいんだよ。彼女はきっと生きてる」


 丘を見渡し、白い車がちらほらと見える道を指さした。


「この辺りまでは来たと思う。近くを捜してみよう」


 しかし、路上に停められた車の中にルノーは1台もなかった。


 どこだ、どこにいる? 見えるのはオリーブ畑ばかり。あと2時間もすれば闇に包まれ、捜索は困難になる。負けを認めるときだった。大博打に出て、勝負の女神に見放されたのだ。最初から考え直すしかなかった。


「引き返そう」

 肩を落として言い、とぼとぼ車に戻ろうとした。


「あんたたち、警察?」

 中年の女が煙草をくゆらせ、民家の窓から見下ろしていた。

「さっきも通ったでしょ」


 窓辺でやりとりを眺めていたらしい。ジャンニは好奇心旺盛な女と雑談する気分ではなかった。

「そうですよ、シニョーラ」


 女は家の中に向かって言った。

「ほらね、やっぱり事件だったのよ」

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