第96話 交通規制区域①
「ルノーをどこへ置いたか、そろそろ教えてくれないか?」
「ですから、さっきから何度も知らないと……」
クリスティの声は尻すぼみになった。ジャンニが投げてはキャッチして遊んでいるものに気づいたらしい。
「おっ、見覚えがある? そりゃそうだよな、自分の車のグローブボックスに入れてあったんだから」
視線が、家の鍵につながった黒いキーの上をさまよった。懸命に言い訳を
「これは……助手席に落ちてたんです。彼女が落としたんです」
「なんで今まで黙ってた?」
「さっきは忘れていました」
「彼女の車で昨日はどこへ行ったんだ」
「乗ってません」
「あのな、夜の9時半に白のルノーが道を走ってるとこが映像に残ってるんだよ。キーがあんたの手元にあったのに、他の誰が運転してたんだ」
「盗まれたんじゃないですか?」
よくもまあ、いけしゃあしゃあと。ジャンニは首をつかんで揺さぶってやりたくなった。この男はクロだ。間違いなく、マヤの失踪に関しても事情を知っていた。
「マヤは友達だろ?」
「はい」
「イヴァン、事態は一刻を争うかもしれないんだ。彼女の財布や携帯が捨てられて河原で見つかった。家族が心配してる。何か知ってたら教えてほしい」
情に訴える魂胆だった。クリスティは目に迷いを浮かべていた。言葉が喉まで出かかっている顔だった。
「どうなんだ?」
「僕が関わってると思っているようですが、あなたの話は論理的じゃないですね」
固唾を呑んで見つめる前で、青年は椅子に背をあずけた。言いあぐねるような顔は消えていた。
「なんで僕がフラヴィアの車で出かけなくちゃいけないんですか。マヤも殺したと言いたいんでしょうか。それで証拠隠滅のために所持品を河原に捨てたと? 僕ならそうしない。見つからないよう水に沈めるか、埋めたほうがいい」
それから自嘲気味に笑った。
「もしくは廃墟に捨てるとか」
*
「はやまったよ」
ジャンニはしょげていた。威勢よく取調室へ行ったのに、うってかわって意気消沈していた。デスクに戻って黒い鍵を放った。突きつければ簡単に口を割ると思っていたのだ。
「あの減らず口の冷血漢、マヤの死体を始末しに行ったんだよ。その途中で映像に残ったんだ」
「クリスティはひとまず脇に置いといたらどうですか。キーは被害者が落としたってのはありそうな話だし」
「で? ハイテク車輌窃盗団がルノーを盗んで乗り回したのか? 違う、運転していたのは奴だよ。でなけりゃ筋が通らない」
「公園へは自分の車で行ったのに、フラヴィアの車に乗り換えたんですか?」
「事件には説明できないことがついてまわるもんだ。一つくらいは、解決したあとも残るものが」
意固地になっていると自覚しつつ、ジャンニは壁にかかった去年のカレンダーの前を行き来した。
「橋を渡ったあと、白い車はどっちへ行った?」
「旧市街の方向へ折れて信号機の下を通過しました。街頭監視カメラをしらみつぶしにすれば映ってるかも」
「マヤが行方不明になったのは昨日だ。そんな悠長なことはやってられないよ」
言ってから、もう遅いのにと思った。それもこれもあの大学生を重要視していなかったからだ。家に帰ってこない? いちいち気にしていられるか、体がふたつ欲しいくらい忙しいのに。
いや、そんなのは言い訳だ。事件の関係者が消息を絶ったのだ。真剣に受け止めればよかった。そうすればこの状況は避けられた。少なくとも、今とは違っていた。家族が何時間も気を揉む事態は起こらなかったかもしれない。心配する親の姿を見るのはいつでも辛いものだ。
手がかりはあの車だった。せめて行き先が分かれば……
壁のカレンダーは去年の12月のままだった。几帳面にめくる者が誰もいないからだ。ふと24日に目がいき、罰金の紙のことを思い出した。従兄弟の家に行った帰りに
「このあいだ、罰金のお知らせが来てたんだ。おれのアイゴがクリスマスイブに車両進入禁止エリアに入ったからって。そんなはずない、旧市街の道は熟知してるんだからって言ってみたけど、取り下げてくれなかった。機械が侵入を感知したって言いやがるんだよ。まあ、道を間違えた記憶はあるから、そのときだろうな。カメラの前を通るとシステムが作動するんだ」
その場にいる他の全員が顔を見合わせた――クソどうでもいい話をしやがって、このおっさん、ついに頭のネジが飛んだのか?
【脚注】
交通規制区域:ZTL (Zona Traffico Limitato) と呼ばれる、緊急車両や居住者以外の車の乗り入れが制限されている区域。歴史的地区の保護や交通量を減らす目的で、イタリアの多くの都市に設置される。許可なく車で侵入すると罰金が科される。
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