第78話 冴えているのか鈍いのか①

 疲れた足を引きずって警察署に戻ると、受付係のアントニーノが声をかけてきた。


「ジャンニ、御曹司の様子が変だ」

「変って?」

「さっきなんだけどさ。深刻な顔でスマホの画面を見ていたかと思うと、変な声をあげて椅子ごと横に倒れた」


 ジャンニは心配になった。


「どっか具合が悪いのか?」

「それが、嬉しそうだったんだよ」

「若いからな。何かいいことでもあったんだろ」

「ロトで当てたって感じだったな」

「あの坊やはそういうガラじゃない」

「じゃ、何だ?」

「往年の大女優の、幻のポルノ動画でも見つけたんじゃないかな」


 それはおっさん、あんたの趣味だろうと思ったが、アントニーノは口には出さずに左右を窺って、声を落とした。


「あいつ、クビになるのか?」

「正確には異動がなかったことになる。来週からもっと人が増えるし、あの坊やにまわせる人件費はないんだと。そもそも父親殿の思いつきなんだよ。息子を1週間だけ機動捜査部モービレに放り込むよう上に働きかけたらしいんだ、うんざりして警察を辞める気になるように」

「へえ。辞める気になった?」

「いいや、はりきってるよ」

「偉い連中は何も分かってないな。うんざりさせたいなら受付をやらせなきゃ。公衆便所と間違えて入ってくる酔っ払いや露出狂や自分をシリアルキラーと思い込んでる頭のおかしい爺さんを毎日相手にしてみな、すぐに辞めたくなるよ」


 コーヒーの自販機はまだ故障中だった。ジャンニは休憩室へ行き、テレビをつけた。防犯カメラの映像が再生された。古本屋のビデオテープがデッキに入ったままになっていたからだ。


 少ししてコンロの湯が沸いたが、ジャンニはそんなことを忘れて映像に見入った。


 *


 ミケランジェロは高速バス会社に電話した。マヤが他の交通手段を利用した可能性を探ってみたのだ。


「長距離バスを運営する会社に問い合わせましたが、彼女の名前で乗車した客はいないようです」

「そうか、わかった」


 ジャンニはオフィスに戻ってきたところだった。黒いビデオテープを横に置き、端末の電源を入れる。


「家族に知らせた方がいいと思うんです。失踪が疑われる状況だし、事情を説明して届出を出してもらうべきでは……」


 あのひとが返信をくれたが、今は浮かれてはいられない。関係者のひとりと連絡がつかないのだ。ジャンニは全然聞いていない様子だった。画面に顔を近づけ、ディスプレイの一点を見ながら手招きする。


「彼女、何かに気をとられてるように見えないか?」


 事件が起きたアパートメントの前の通りをとらえた映像はふたつある。少し離れた場所の街頭監視カメラと、斜め向かいの古書店の防犯カメラだ。

 ジャンニが見ているのは街頭監視カメラのほうだった。バスの窓際の席にフラヴィアがいる。


「これは昨日見たビデオですよね。それより、マヤの家族に……」

「いいか、フラヴィアはここで窓の外に顔を向ける。古本屋の防犯カメラは映像が粗いし、顔が見えなかった。これは反対側から映したやつだ。思ったとおりだよ、何かを見てる」


 バスが停留所に止まると、フラヴィアは背もたれから身を起こして窓の外に目をやる。気をとられているように見えなくもないが、それが重要だとはミケランジェロには思えなかった。


「だとしても、何を見ているかは分かりません。視線の先は映像の外です」

「いや、映ってる。ここだ」


 ジャンニは車体後部のドアを指さした。通しガラスがはめ込まれたスライド式のドア。車内も透けて見えるので判別しにくいが、路上にいる人物が映っているようだった。

 角度から考えて、被害者の家の入口付近。降車用ドアが開き、乗客が降りて閉まったあと、人影がほんの2秒ほどのあいだ映り込む。


「人が映ってますね。もしかすると、建物に入ろうとしているのかな」

「おれもそう思う。フラヴィアはバスの窓からそれを見てたんだ。気づいて、身を乗り出したんだよ」

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