第74話 彼女がいない人生
ミケランジェロはマヤの両親の家に電話した。呼出音が2回鳴り、母親が出た。
「何かあったんですね。そうでしょう」
マヤはその日、午前10時半の列車に乗る予定だった。到着時刻に母親は駅まで迎えに行ったが、ホームに娘の姿は見あたらなかった。遅れるという連絡はなく、メッセージを送っても既読にならず、心配をつのらせていたところへ警察からの電話だった。
不安の滲み出た声に、ミケランジェロはしどろもどろになった。いえ、そういうわけでは……こちらも連絡をとりたくて……いや、たいした用事じゃないんです。何かご存じかと……
学生証が落ちていたことはまだ伝えないよう指示されている。一緒に見つかった他の物品も彼女のものかどうかを、今は確認している最中だ。
このあとも本人から連絡がなければ最寄りの法執行機関に知らせるよう言い、ミケランジェロは相手が質問を思いつかないうちに急いで通話を終わらせた。
溜め息が出た。
嘘をついていたのはマヤではなく、フラヴィアだった。事件当日に自宅を出た時間をごまかそうとした。そのことはモレッリ警部に言われるまで気づかなかった。
どうしてかは分かっている。例の写真共有アプリで頭がいっぱいだったからだ。10分おきに見たり返信を期待してコメントを書き込むなんてバカじゃないのか。
ついつい手が伸びてしまう。
もう見ないと誓ったのに。
鏡の前に立つ彼女。今朝の投稿だ。どこかのホテルの一室で、縦長の窓からはマリンブルーの空が見える。
アレッサンドラ@人妻
「新しい水着👙✨💓」
いいね! 56,125件
仕事に支障をきたしているのを認めないわけにはいかなかった。昨日は危うく取り乱すところだったじゃないか。ブレスレットだけで死体を彼女と思い込むなんて、自分でも驚き呆れる。
このままじゃだめだ。もうやめないと。昨日はアプリごと消そうとしたときに人が来て、慌てて洗面所から出てしまった。再び同じ操作をしようとし、スマホを握りしめ、目をきつく閉じる。
彼女がいなくなる?
僕の人生から?
そんなの耐えられるわけがない。
オフィスの窓からは抜けるような青空が見えた。画像の背景にあった、遠いエーゲ海の碧空と不思議に似ている。
この空の向こうのどこかに、彼女がいる。
同じ空の下にいるのなら。
ミケランジェロはコメント投稿欄に書き込んだ。
「君は美しく、賢く、情熱的で、たくさんのことを教えてくれる。そばにいられたら、僕は世界一幸せな男になれる。それは叶わない。でもいいんだ。君の光がこの世界を照らし、さらに素晴らしいものにしてくれるから。君がいるから僕は仕事に打ち込める。こうして生きている理由も同じだ。」
下品な一言やハートマークが並ぶなか、長文のコメントは異質だった。最初は書き込む連中を下等生物呼ばわりしていたのに、この始末だ。自嘲の笑みがこぼれてしまう。
だけど。
こいつらの誰も僕と同じことは言えない。
さようなら、僕のプリンセス。
しばらく窓の外を眺め、心を決めた。アプリケーションのアイコンを選択し、削除を選ぶ。
――削除しますか?
という最終確認に対し「OK」をタップしようとしたとき、聞いたことのない通知音がポロンと鳴って画面上にメッセージが現れた。
「お仕事がんばってね 💋✨💕」
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