第69話 闇に消えた人影

「どうして逃げた?」


 ラヤンはパトロールカーの中でうつむき、ジャンニの質問に答えようとしなかった。擦り傷から血が滲んでいる。逃げようとして転んだらしい。兄よりずいぶん若く、17歳くらいにしか見えない。


「言ってやろうか、兄貴のキングコングといっしょに〈フローレンス〉に押し入っただろ」

「やりたくはなかったよ。けど、メディが今度は2人だけでやってみようって……」

「前にもやったことがあるのか?」

「うん、時計屋」

「ひょっとして〈ラウレンティ時計店〉?」

「おれと兄貴は誘われてついて行っただけで、何もしてないんだ。盗んだモノを誰が持ってるか知らないし、分け前ももらえなかった。店のガラスにマンホールの蓋をぶつけるんだぜ、あいつら。アホかよ。だから2人だけでやろうってなった。手始めにちっちゃな店で……」

「うまくいったらもっとデカいヤマを、ってか? ケイシーを壁にぶつけるのはアホじゃないと思ったのかい?」

「あんなはずじゃなかった。誰も怪我するとは思わなかった……ピストルだって、メディは撃つ気で持ってたんじゃない。脅すためだ」


 殺人の捜査は糞詰まりなのに、強盗団は手の内に転がり込んできそうだとは、なんともはや……。


「アクセサリー・ショップは? シャッターを壊して侵入しただろ。〈フローレンス〉の次の日だ」

「おれたちじゃない。あんなこと、もうできるわけがない。いつ警察がくるかビクビクしてたんだから。連中の誰かがやったんだろ、たぶん」

「その連中に、シンデレラって渾名の男がいるかい?」


 怪訝な顔が横に振られた。


「聞いたことがない」

「昨日の夜8時頃、どこにいた?」


 話の方向転換に戸惑いながらも、ラヤンはぎょっとした。


「どこって?」

「カシーネ公園に行ったろ? そのあと駅の公衆電話で救急車を呼んだ」

「なんでそれを……いや、行ってない。電話なんて――」


 そこで、質問の意味を察したようだった。薄茶色の目に恐怖が宿る。


「もしかして、あの人……死んで……?」

「救急隊員が見つけたときにはな」


 慌てたように腰を浮かせる。


「まさか、おれが何かしたと思ってないだろ? 何もやってない。関係ない。指一本触ってないんだから!」

「大声を出さなくていい、ちゃんと聞こえてるから。どうして公園にいた?」

「マリファナの売人がよくあの辺にいるから。自転車チャリでまわってたら、手みたいなものが見えたんだ。最初はマネキンかと思ったよ。スマホで照らしたら、人でさ」

「スマホがあったなら、その場で電話できただろ?」

「だって、ラリってんのかもしれないだろ。怖くなってとりあえず逃げた。でもやっぱり救急車を呼んだほうがよかったんじゃないかって……死んだなんて、そんな……」


 フラヴィアはすでに死んでいた可能性が高く、いつ救急車を呼ぼうが結果は同じだったが、別に罪悪感を軽くしてやるいわれはなかった。


「他に誰がいた?」

「誰も。ひとりだった」

「よく思い出せ。足音や声は?」


 ラヤンは黙って首を横に振った。


「女は前からの知り合いか?」

「いや、全然」


 ジャンニはイヴァン・クリスティを昨夜すぐに帰してしまったことを思った。殺人の被害者が女性の場合、犯人は嫉妬深い夫や恋人であることが多い。

 クリスティは昨日の晩は家にいたと言っている。それが本当かを調べる方法のひとつは携帯電話の位置情報の確認だ。


「ほんとに草を買いたかっただけなんだよ。最初にいた男は違ったんだ。だから、現れるまでその辺をぶらぶらしようと思って――」


 ぴちぴちなタンクトップの若い女性が、パトロールカーに好奇の目を向けて歩いて行った。おしくらまんじゅうする豊かな胸に気を取られていたので、ジャンニはラヤンの言葉を危うく聞き逃すところだった。


「待て、なんだ、その最初にいた男ってのは。誰もいなかったんじゃないのか?」

「倒れてる人を見る前だよ。あんたが聞いたのは見つけたときの話だろ? その手前で立ってるやつがいたんだ」

「どのへんに?」

「植え込みのそば。売人かと思って近づいたら、さっさと駐車場のほうへ歩いていっちゃった」

「どんなやつだった?」

「どうって言われても……普通のオッサンぽい感じ」

「もう一度顔を見たら分かるか?」

「うん」

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