第65話 消えた死体発見者

 殺人課のオフィスは爽やかな5月の風が通り抜けていたが、ジャンニの気分は爽やかさとは程遠かった。テーブルに積まれた書類を見ると、ますます気が滅入った。死体発見現場の写真と、現時点までのすべての情報を記した資料だった。


 レンツォが書類を持ってやってきた。

「救急車を呼んだ男が割り出せたかもしれない」

 

 死体は118番救急への通報によって発見された。電話は男の声で、繁みに女が倒れているとだけ言い、一方的に切れていた。発信元は鉄道駅の公衆電話だったことが分かっている。


「昨日の夜8時半頃、若い男が駅構内のカフェを訪れて、近くに電話はあるかと店員に訊いた。店員は公衆電話の場所を教えた。問題の通話はそこから発信されてるんだ」

「監視カメラに映ってるかい?」

「うん、それだけじゃない。店員は男に見覚えがあった。家の近くのコンビニで働いてる男だったと言うんだ。相手のほうは落ち着かない様子で、顔を知られているとは気づいてなかったらしいけど」

「コンビニっていうと?」

 手に持った紙に目を落とす。

「店舗名は〈ミニマーケット・ドナ〉。経営者は……」

「映像を見せてみろ」


 駅の監視カメラが男の姿をとらえていた。やや小柄で、黒っぽいジャンパーを着ている。受話器を置き、左右を見て足早に立ち去る。数分後、同じ男が自転車にまたがるところが別のカメラに映っていた。


「この兄ちゃんについて、今のところ仮説はふたつだ。ひとつは、たまたま被害者を発見した。小便かなんかで立ち止まり、死体を見つけたとしよう。驚いて出るもんも出なくなり、自転車に飛び乗って逃げた。けど、よく考えたら救急車かパトカーを呼ぶべきだった気がする。素性は特定されないようにしないといけない。あの時間に公園をうろつく理由はお薬を売るか買うかのどっちかだ。で、公衆電話を探しはじめる。もしくはこいつが彼女を襲い、何らかの理由で救急車を呼んだ。犯人候補は今のところ、彼氏のクリスティ以外にはこの男しかいないし」


 フェデレ警部が眉をひそめた。

「恋人がやった可能性があるんですか?」


「まだ除外できないからな。大家の婆さまが言うには関係はうまくいってたらしいけど、アリバイがないんだよ」

「あの公園、毎週土曜日に朝市がありますよね。この時間ならまだやってるし、画像を見せて聞き込みしてきます」

「そうしてくれ。ミケ坊やを連れて行くといい」


 飲料の自販機の前にいたミケランジェロを呼び止め、女性警部は一緒に出て行った。ジャンニはパックから煙草を1本抜き取り、ミケランジェロがもうしばらく残れることを周囲に知らせた。


「そりゃよかった。今度みんなで一杯やりに行かなきゃ、って話してたんです」

「どの店にする?」

「〈モヨ〉はどうかな」

「あそこは音楽がうるさいよ」

「〈麒麟〉は?」

「あそこは客がうるさい」

「なんだよ、賑やかなほうが楽しいだろ」


 ジャンニは駅の監視カメラに映った男を観察していた。かなり若い。未成年かもしれない。

「今おれたちが行く必要があるのは〈ドナ〉だよ。ちょうど、オスカーの件でそこの経営者とお喋りしたいと思ってたんで」


「さっきそれを言おうとしたんだよ」

 レンツォが書類を見せてきた。店舗の所在地や代表者名が分かる資料のプリントアウトだった。

「経営者はユセフ・アマル。モロッコ系のギャングらしい」

「そうだ。ユセフは市内でいくつか店を経営してて、〈ドナ〉はそのひとつだよ。裏で高利貸もやってる。オスカーはギャンブルに店の金をつぎ込んでた。ユセフは彼に金を貸して、甥に取り立てをやらせてたんだ」

「警察には飲酒運転とスピード違反の記録しかないけど。どっちも6年前だ」

「実際はやくざの親玉だ。フィレンツェにいる同郷者の元締め的な存在でな。財務警察が武器と麻薬密輸の疑いで通話傍受したけど、尻尾はつかめなかったらしい。やつの子分がフラヴィアの死体を見つけたらしいってのは、非常に興味深いよ」


 レンツォは車のキーをポケットに入れて考え込む顔だった。


「彼女はなんで公園にいたのかな?」

「それが分からないんだよな。大家の婆さまは心あたりがないって言うし、マヤにも話を聞けてない。そうだ、あのお嬢ちゃんの名前で乗り物の予約があったかどうか調べといてくれるかい? 今日の10時半の列車に乗ると言ってたのに、荷物を置きっぱなしで行方が分からないそうだから」


 セバスティアーノが気がかりな顔をした。


「そりゃ緊急手配したほうがいいんじゃないですか? 何かあったのかもしれないし、事件に関与した可能性も……」

「いや、その必要はない。外泊は珍しくないそうだ。友達の家かどこかにいるんだよ、きっと。列車の話が事実だったかどうかだけ知りたい」


 緊急手配するべきだったのだ。しかしこのときはそう考えず、ジャンニはそそくさと外に向かった。早く煙草にありつきたかったから。もう少し後になってから、その判断を悔やむことになる。

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