第36話 昇進のエレベーター
ラプッチは通話を終えて満足の笑みを浮かべた。メルセデスが見つかったという報告を受けたのだ。願ってもないことに、ステアリングロックの破壊とフェンダーのへこみを除けば車体はおおむね無傷。
代議士に言うべき事項を頭の中で整理した。まずは愛車が無事に発見されたことを伝え、これもひとえに友人として力を尽くした――捜索はジャンニに任せたが――結果であることを控えめに申し添える。
「シニョーレ、よろしいでしょうか。お話があります」
振り返ると、ミケランジェロ・ヴェッルーティが決然とした顔で立っていた。
ミケランジェロを機動捜査部に迎えるにあたって、ラプッチは歓迎の言葉を述べていた。活躍を期待するとも言った。モレッリ警部が伝えた件に関して、ひとこと説明があってしかるべきだった。
「すまないが、手が離せないので後にしてもらえるだろうか」
父親は恩を売って損はしない相手であり、ならば息子とも良好な関係を保つに越したことはない。両方にいい顔をするには
逃げるようにオフィスに入ってドアを閉め、携帯電話にマッシモ・ボスコの連絡先を表示させたところで内線が鳴った。男性の事務職員だった。
「マヤ・フリゾーニの母親という方から外線が入っています。モレッリ警部は不在だと伝えましたが、ならば
マヤ・フリゾーニは死体の発見者だ。転属が決まれば新聞に告知が載る。死体を発見してショックを受けている大学生の母親によい印象を与えることは、記事の内容にプラスに働くだろう。
「つないでくれたまえ」
上機嫌で背筋を伸ばした。
「刑事部長のラプッチです」
電話の向こうで大学生の母親が言った。
「証人保護プログラムの件について、詳しく説明していただきたいのですけど」
ラプッチは眉間に皺を寄せた。
「お話の内容が分かりかねますが……」
「うちの娘が証人保護プログラムの適用で政府の保護下に入るんです。そちらの警部さんに伺いました。ミサイル攻撃にも耐えられる家を手配して下さるんでしょ?」
思わず受話器を見つめた。このバカ女はいったい何の話をしてるんだ?
「捜査の状況はお伝えできませんが、モレッリ警部からは解決に向けて全力で取り組んでいると聞いております。その件については警部に確認し、あらためてご連絡を……」
ドアが開いてジャンニが入ってきた。片手に書類を持っている。
「メルセデスからコカインが出てきたよ。ピュアな上物だそうだ」
「武装した護衛もつけていただけるのかしら?」
ラプッチは混乱した。
「ちょ、ちょっとお待ちください」
送話口を手で押さえ、声を殺してジャンニに尋ねた。
「今なんと言った?」
ジャンニが成分分析表をよこした。
「車体に不審な点があったんで検めたところ、梱包されたコカインが出た。重さ約1.2キロ、一部は11包に小分けされてる」
「1.2キロ!?」
「10万ユーロ相当だそうだ」
受話器からはまだ相手の声がしていたが、ラプッチは呆然と架台に戻した。
「さしあたっては指紋採取と家宅捜索ってことになると思うけど、令状がとられる前に一応知っておきたいだろうと思って。なんせ親しい友達ってことだし」
分析結果は、試料が純度の高いコカインであることを簡潔に述べていた。
「し、しかし、チュニジア人の少年たちが乗りまわしていたそうじゃないか。その2人組が隠したんだろう」
「ひとつ、梱包に使われたラップは内側にも外側にも指紋がべったりついてる。どれも坊やたちのとは一致しない」
ジャンニは数を数える要領で握った手の指を開いていった。
「ふたつ、坊やたちの家からはドラッグとの関連を示すものは出なかった。この量のコカインを所持してたら計量器具なんかも持っているのが普通だ。みっつ、ふたりはすぐ住所を言ったんだよ。麻薬の売人はそう簡単にお巡りに住所を教えたりしない。あの手この手で言い逃れしようとするよ。家を調べられたらおしまいだから」
麻薬は、個人使用の範疇とされる微量なら大きな罪に問われることはないが、既定以上の量を所持していれば密売人とみなされて厳罰に処される。
マッシモ・ボスコは腕のいい弁護士を抱えているだろうが、麻薬ビジネスに関わっていたなら刑務所に行く可能性は否定できない。
「というわけで、コカインは盗難に遭う前から車内にあった可能性が高い。じゃ、あとのことは麻薬捜査課に任せるんで」
ラプッチは言うべき言葉を思いつかなかった。ボスコが、盗まれた車にドラッグが積んであることを承知の上でコンタクトをとってきたなら……その暗に意味するところは……。
1分前にドアが開いたと思った昇進のエレベーターは、ワイヤーが切れる寸前のポンコツだったらしい。
事態は一変していた。すべてがジャンニの責任に思えた。コカインなんか黙ってトイレに流してくれればよかったではないか。まったく、服務規程は平気で破るくせに、なぜこういうときだけ律儀に法律を守って報告なんかよこすのか……。
やるべきことは明らかだった。ラプッチは再び電話に手を伸ばした。
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