第31話 警部と展覧会の絵

「ベリンさんは事件当日、午後3時頃にこの会場に来ました」


 報告事柄を整理して待っていたミケランジェロが話しはじめた。


「話が面白くなったら呼んでくれ。おれは芸術鑑賞してるから」


 ジャンニは展示スペースにぶらぶら歩いていった。壁に絵が掛かっていた。鮮やかな色の線が白い画面を埋めつくしている。神経網のように緻密だが、何が描かれた絵なのかさっぱり分からない。


「おれが便所の壁に描いたちんこのほうがよっぽど芸術的だったけどな」


「それはフラヴィアの作品です。夢に見たイメージを絵にしたんだって」

 受付係の学生が解説した。幸いなことに、ジャンニの独り言は聞こえなかったようだ。


「フラヴィア?」

「警部、フラヴィア・リッチですよ。ここで展覧会を開いている美術学校の学生で、マヤの同居人です」


 ミケランジェロの説明を聞いて、マヤが彼女の頼みで会場の設営を手伝ったと話していたことを思い出す。


 ジャンニは次の絵に移った。肉感的な裸の女が地面に尻をついて座り、足を大きく広げている。股間の前に花瓶が置いてある。


「どうせ夢に見るなら、おれはこっちのほうがいいな」

「でしょうね。そろそろ話の続きをしてもいいですか?」

「おれが聞いといたほうがいい話があるって言わなかったかい?」

「今それを言おうとしていたんです。マヤは午後3時半からここにいたと警部に話したそうですが、同じ時間帯にいたベリンさんは彼女に見覚えがない。来場者が記帳するノートにもマヤの名前はないんです」

「アリバイは嘘だって言いたいのかい? じゃ、あの受付のお嬢ちゃんに当日の写真やビデオがあるかどうか聞いてみろ。学生なら、そういうものを撮りまくるはずだ」


 そして作品を眺めた。針金でできた奇怪なオブジェや、小動物の骨を詰め込んだクマのぬいぐるみ。


 受付の学生はスマホ端末に収められている動画を見せてきた。

 マヤは懇親会の動画に映っていた。シャンパンの瓶や軽食が並ぶ場面で、他の学生と顔を見合わせて笑っている。撮影時刻は午後4時少し前。

 次の動画はその1時間半後、展示スペースで撮られたものだった。カメラを向けられた学生は笑顔を浮かべたり、おどけたり、自分の作品を紹介したりしている。


「今のは?」

「え?」

「今のところだ。戻ってくれ」


 画面の奥に並んで立っている男女が映った。どちらも20代後半から30代前半。ジャンニは男のほうに目を凝らした。ぶれていて鮮明な映像ではないが、大学で会った若い講師だった。


「おい、ミケ、この兄ちゃんは昨日おれたちが話を聞いたやつだぞ」


 ジャンニは名前を思い出そうと頭をひねり、ミケランジェロに先を越された。


「クリスティさんですね」

「あ、その人。フラヴィアの彼氏です」

「つまり、マヤの同居人はディ・カプアの同僚だった男とつきあってるってわけか。そりゃまた奇遇なことで」


 講師といっしょにいる背の高い女性がフラヴィアだった。カメラは展示スペースを一巡したが、マヤの姿は映っていなかった。


 *

 

 ジャンニは通りに出て、潰れた煙草の箱をポケットから出した。

「で、お前さんの考えを言ってみろ」

「事件当日の行動について、マヤは嘘を言っていると思います」

「けど、動画には映ってる。あそこにいたのは明らかだ。ベリンはたまたま彼女を見なかったんだよ。腹を下してトイレにいたのかもしれないだろ?」

「ふたつめの動画には映っていません。少なくとも展示スペースにいなかったのは確かです。彼女は教授が殺された時間帯のアリバイがないことになります」

「そんなに気になるなら、マヤに直接話を聞いてもいいぞ。おれは署に戻るから」


 ポケットの中の携帯電話が鳴った。ラプッチだった。着信が何件も残っているのを見て、ジャンニはげんなりした。


「なんだよ、あいつ、おれ以外に構ってくれる友達はいないのか? 待ってくれ、署に戻るのはやめた。おれも行く」

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