第29話 心に浮かんだ思い

 ミケランジェロは受付で警察の身分証を提示した。


 旧市街にあるイベントスペース。ちょうど美術学校の学生が作品展を開催している。殺害された大学教授と交際していたマヤ・フリゾーニは、事件当日、同居人のフラヴィア・リッチと一緒にここを訪れたと供述したらしい。警部からはそのアリバイの真偽を確かめるよう指示されている。


「この人を知ってますか?」


 ソーシャルメディアで見つけたマヤのプロフィール画像を見せると、受付係の学生はうなずいた。


「見たことならある。フラヴィアの友達の子よね」

「そうです。彼女が今週の火曜日にここに来たかどうか知りたいんですが」

「火曜日は人がたくさんいたからなあ。作品展の初日だったの。うちの学生はみんな友達を連れてきたし、親睦会でもいろんな人がいたし、ちょっと覚えてない……あ、来場者名簿を見れば分かるかも。待ってて」


 展示スペースは誰もいないようだ。奥で映像作品が上映され、音声と明滅する光が通路に漏れている。


 ミケランジェロはスマートフォンのアプリを開いた。


 昨日のの投稿。


 またも黒いエナメルのコスチュームだ。胸元が大胆に開き、編上げ紐の奥の谷間に否が応でも目が吸い寄せられてしまう。女王のように革張りのソファに腰掛け、ピンヒールのブーツをはいた脚を組み、蔑むような視線を画面の向こうのフォロワーに向けている。



アレッサンドラ@人妻

「なに物欲しそうな顔してるのよ。許可なく私を見つめていいとでも思ってるの? この変態ブタ野郎」

いいね! 36,766件



 ミケランジェロは初めてのコメントを打った。短く、けれど心に浮かんだ思いをありのままに。送信ボタンをタップする指は緊張で震えた。



「きみはとても綺麗だ」



 それが昨晩のことだった。朝から何度も確認しているが、彼女からリアクションはない。まだ気づいていないのだろうか。


 左手首には細い金鎖のブレスレット。イルカの形をした飾りがチャーミングだった。彼女は投稿の中でいつもこれを身につけている。きっと大事なアクセサリーなんだろう。


 胸がちくりと傷んだ。


 弁護士だという夫の贈り物だろうか?


 学生が来場者名簿を持ってきた。50人ほどが記帳していたが、マヤの名前はない。しかし、記入は任意だろう。書かなかっただけかもしれない。


「あれっ? このあいだの警察の人じゃないですか?」


 聞き覚えのある声に振り返ると、眼鏡をかけた若い男がいた。被害者と同じアパートメントに住むマヌエル・ベリンだ。死体が見つかった日、ミケランジェロはモレッリ警部といっしょにこの人物から話を聞いていた。


 やっぱりそうだ、とベリンは笑顔を浮かべ、学生の女の子に言った。

「ねえ、知ってた? 彼、機動捜査部スクアドラ・モービレの刑事さんなんですよ。大学教授を殺した犯人を捜してるんだ」

 それからミケランジェロに向き直り、

容疑者ホシの目星はつきましたか? ここでお目にかかるってことは、ひょっとして犯人は近くに?」

「ええと、捜査に関することはお伝えできないんです。ここで何をされてるんですか?」

「仕事です。フードデリバリー会社で働いてます」


 彼が勤めるフードデリバリー会社はこの作品展の親睦会で料理と飲み物を提供した。そのためにベリンも数時間、会場にいたとのことだった。


「それじゃ、この人を見ませんでしたか?」


 ミケランジェロはスマートフォンにもういちどマヤの画像を表示させた。


「これって、死体を発見したあの子じゃないですか?」

「そうです。火曜日にここで見かけたんじゃないかと思うんですが」


 ベリンは記憶を辿るように首をかしげた。


「へえ、あの女の子、ここにいたんですか? ぼくは見た覚えはないけど」

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