第24話 深夜零時の追跡劇②

 ジャンニは道端にいる若い男女の2人組に訊いた。


「通報したのはあんた方かい?」


 片方がうなずき、通りの中ほどにある家を指差した。


「そうだよ。男が柵を乗り越えて中に入ってった。なんか様子が変だったよ」


 柵は2メートル近い高さだった。女が連れに囁く声が後ろから聞こえた。


「あのおじさん、警察の人? なんかよれよれで頼りなさそうじゃない?」


 ジャンニは懐中電灯を口にくわえて鉄の柵に足をかけた。


「警部!」


 ミケランジェロが追いついてきて、押し殺した声で下から呼んだ。ジャンニは反対側へまわって逃げ道をふさぐよう身振りで指示し、柵の内側の地面に飛び降りた。

 この高さから身を躍らせるのは、私服捜査員になってから20年というもの、やっていないのではなかろうか。案の定、着地すると膝にきた。


 屋外用のテーブルを懐中電灯の光がとらえた。その上の窓が開いている。窃盗犯はテーブルを踏み台にして窓から侵入したらしい。せっかくなので利用させてもらうことにし、よじ登って中をのぞいた。

 街灯の光がキッチンに入り込んでいた。磨き上げられたステンレスのシンクと調理台、洗って干してあるフライパン、花柄の鍋つかみ。住人は寝静まっているようだ。

 窓枠をまたぎ、足音を忍ばせて床に降りた。暗がりに懐中電灯を向けたところで酒臭い息がふわりと漂い、背後から伸びてきた太い腕が首にまわされた。

 ジャンニはとっさに身をふりほどこうとした。腕に爪を立てた。力は緩まないどころか、逆に全力で締めようとしてくる。

 懐中電灯が手から離れて落ちた。腹に肘打ちを食らわせようとしたが、うまく決まらない。くそ、やっぱり応援を待って踏み込むべきだった。

 ジャンニは男を背中にしょったままバランスを崩し、丸テーブルと一緒に倒れた。揉み合いながら床を転がり、懐中電灯を拾った。闇雲に振り回した拳が顎をとらえる手応えがあった。

 窓からの光が男の姿を照らしていた。上着の袖がめくれている。その毛深い手首をつかんで馬乗りになり、ジャンニは必死で懐中電灯を向けた。


 発光ダイオードの強烈な光に照らされた左手首に刺青は――なかった。


 ぱっと照明がついた。ダイニングのドアが開いて、60代に見える大柄な女が入ってきた。白いネグリジェを着て、頭にナイトキャップをかぶっている。


 ジャンニは男にのしかかって体重をかけ、警察の身分証を捜して自分のポケットをまさぐった。

「近くで窃盗をはたらいた男が窓から押し入ったんです。もう大丈夫」


 女はジャンニを睨み、それからキッチンの惨状を見た。


 ジャンニがあとから思い出すに、彼女を怒らせたのは夫が襲われたことではなく、台所の光景だった。丸テーブルは転がって食器棚を直撃したらしく、落ちた皿やグラスの破片にまみれていた。床はクルミが散乱し、焼き菓子が踏み潰され、ヤシの木の鉢植えは倒れて用土をぶちまけている。


「あんたたち台所で何やってるの?」


 たとえジャンニが夫の頭を懐中電灯で叩き割っていたとしても、これほど憤怒をたぎらせはしなかったのではないか。


 男のほうは寝技から逃れようとじたばたしていた。医療関係者を表す名札がポケットから落ちた。ジャンニは唖然とした。頭の禿げたこの男は、何度か見かけたことがある救急外来の医師だった。


 医師は顔を上げ、ギブアップの意思表示のように手で床を叩いた。

「パオラ」

 と妻に呼びかける。

「この泥棒野郎をどけてくれ。それから警察を呼べ、警察だ」




――〈木曜日〉 了――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る