第22話 表敬訪問、伝言ゲームになる

 煉瓦造りの4階建ては鋼鉄のフェンスで囲まれていた。もとはマンションだったが今は住人がいなくなり、薬物売買とゴミの不法投棄が行われる廃墟と化している。


「それで、彼に言ったんですか?」


 ミケランジェロが元の部署に戻される話を、ジャンニはセバスティアーノと麻薬捜査課のアンナ・メルカード警部に話したところだった。


「いや、まだだ」

「こういうことは早く伝えたほうがいいんじゃないですか?」

「そうだな」


 敷地内はゴミだらけで雑草が生い茂り、だいぶ前に捨てられたらしい自転車の残骸やマットレスがオレンジ色の街灯に照らされていた。


「お巡り稼業より、ここでゴミ拾いしたほうが実入りが多そうだ。代議士のメルセデスもここにあるかもしれないぞ」


 ミルコ・ロッシの自宅住所は隣の低所得者向けアパートメントだった。表札は色褪せていて読めない。インターホンのひとつを押すと、年配の男の声で応答があった。


「誰だね?」

「警察です。お話を伺いたいんですが」


 茶色いカーディガンを着た老人が出てきた。大家だと名乗り、ロッシの写真を見せられると震える手で階段の下を指さした。


「3階の男だ。夜中に女と喧嘩して、騒々しいったらありゃしない。文句を言おうもんなら、うるせえ、死ね、クソじじい! だからね。また何か悪さしたなら、とっとと連れてってくれ」


 よぼよぼだが元気そうな老人だった。3階の廊下は電球が切れていたが、ドアと床の隙間から明かりがもれていた。呼び鈴を押しても反応がない。ジャンニは戸を叩いた。


「警察だ、開けろ」


 部屋の奥から足音が近づき、くぐもった男の声がした。

「……ちょいと待ちな。開けるから」


 錠の外れる音が響いて男が出てきた。黒いブリーフ一枚という格好で目をぎらぎらさせ、右手にビール瓶を握りしめている。ドアが開くやいなや、男はジャンニの顔めがけて瓶を勢いよく振り下ろそうとし、セバスティアーノに一瞬でねじ伏せられた。


 男は抵抗をやめた。ウェイト・トレーニングをしていたかのように汗まみれだ。


「ミルコってやつじゃないな」


 ジャンニは部屋の中をのぞいた。衣服の前をはだけた若い女がベッドに寝そべっている。アンナが携帯無線機で署を呼び出し、酒瓶で殴りかかってきた男と薬物の影響下にあるらしい女を発見した旨を伝えた。

 奥の部屋ではイヤホンをした男がリズムに合わせて体を揺らしていた。ジャンニがイヤホンを機器から引っこ抜くと、男は頭を巡らせた。パジャマ姿だ。


「な、何だ、あんた?」

「警察だよ。ミルコ・ロッシだな」


 警察と聞くや、ロッシは廊下に飛び出し、取り押さえられた男を見て愕然とした。


「リーアム! おいやめろ、手荒なことはしないでくれ」

「あんたがミルコだろ」

「そうだよ、だったら何だ」

「じゃ、これは誰だい?」


 ジャンニは偽名が印字された身分証明書を放った。写真の中の男は髭が短く、ネクタイをしめている。今よりも整っている自分の姿を見つめ、ロッシは唾を飲み込んだ。


「知らねえよ、こんなの」


 パトロールカーのサイレンが近づいてきた。通信指令室の要請に従ってやってきたのは、警邏隊のエリア・レオネッティ巡査部長と相棒の巡査だった。


「警部、素っ裸になってビール瓶でヤク中の頭を殴ったんですって?」

「誰がそんなこと言ったんだ。伝言ゲームでもしてたのか? 脱いでるのはおれじゃない、あちらのご婦人だよ」


 上半身裸の男は手錠をかけられて連れて行かれた。ジャンニはロッシに尋ねた。


「あいつは誰なんだ?」

「弟だ」

「じゃ、女のほうは?」

「おれの妻だ」

「ちょっと待て。てことは女房が弟とコトに及んでるのに、自分はのんきに音楽鑑賞してたのか?」

「悪いかよ」

「この身分証明書、誰が作った? 綴りがどこも間違ってないし、お前さんは写真を裁断しようとして自分の指を切り落としちまうクチだ。よってお前さんが作ったものじゃない」

「知らないって言ってるだろ」

「バスティアーノ、こちらのお客様にもお車を用意してさしあげろ。あちらのお嬢様には救急車だ」


 家の中はペットボトルとスナックの袋が散乱し、漆喰の壁はカビに覆われ、ひびの入った窓ガラスは段ボールで塞いである。

 ジャンニは外に出た。着いたばかりの車からミケランジェロが降り、心配そうな顔で走ってきた。


「警部、全裸で酔っ払いと格闘して頭を殴られたんですか?」

「うちの通信指令室はいったいどうなってるんだ。どうして素っ裸で暴れたことになるのがいつもおれなんだ?」

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