第21話 容疑者リストに残った男

 床の清掃を待つあいだ、ジャンニは主が不在の執務室に避難した。デスクの上の外線電話が鳴った。捜査はぜんぜん進まないのに、電話ばかり鳴りやがる。


「あいよ」


 ラプッチの執務室にいることを思い出したときには遅かった。テレビの討論番組でおなじみのダミ声が受話口から聞こえ、警視長を愛称で呼んだ。


「やあ、トーニ。どうだね、調子は」


 くそ、代議士のマッシモ・ボスコだ。ジャンニはうっかり受話器をとってしまった己を罵り、咳払いしてラプッチの声を真似た。


「変わりないよ。そちらはどうだ?」

「ぼちぼちだ。私の車は見つかりそうかね」


 盗まれたメルセデス・ベンツはナンバーをパトロール隊員に伝えてあるが、発見の知らせはまだどこからも入らない。


「全署を挙げて捜索に取り組んでいる。しかしだね、これは私の勘なのだが、きみの愛車はもうバラバラに分解されてタンザニアあたりに売り飛ばされていると思うよ」

「まさかあのモレッリとかいう男に任せていないだろうね。テレビにときどき映っている、あの愚鈍そうな警部に?」

「モレッリ? ああ、フィレンツェ署きってのセクシー・ガイ、モレッリ警部か。いや、彼はこの私より有能な刑事だよ。数々の難事件を解決している。それにひきかえ私は机にふんぞり返って偉そうに文句を垂れているだけだ。いっそ彼の部下になりたいよ」

「見つかったらただちに知らせてほしい。愛車だからね、傷でもついていないかと心配なんだ。取り戻すことができたら相応の礼はさせてもらう」

「ふむ、私はどんなことを期待できるのかな」

「もう言ったと思うが、たいへん親切にしてもらったと組織犯罪捜査局D・I・A長官に伝えよう。次期フィレンツェ支局長としてきみを推薦できると思う」


 組織犯罪捜査局D・I・Aはマフィアとの闘いを任務とする捜査機関だ。あの野郎、そんな話をしてやがったのか。どうりで本腰を入れろと言ってくるはずだ。

 ジャンニ・モレッリ警部は上司の出世のために失せ物捜しをやっているというわけだった。クソでも食らえとでも言いたくなったが、それは別の機会にして適当に話を切り上げ、廊下に出るとレンツォが濃緑色のリュックサックを不審そうに見ていた。テーブルに置いてあり、誰のものだか分からない。


「これ、誰の?」

「ニコラスの忘れもんだよ。取りにきたら渡してやれ」


 ニコラスは留置場の簡易ベッドで休ませている。ジャンニは椅子に身を投げ出し、あの大学院生は容疑者リストから消えたなと思った。血痕と靴の検査はまだだが、結果は見なくてもわかる。

 大学教授と接点があったと思われる外国人の名前がいくつか判明していた。うち1名はタイ人の女で、今は旧市街のブティックで働いている。

 内線電話が鳴った。留置場の看守だった。


「ジャンニ、酔っ払いをいっぺんに2人もよこすなよ。床を汚されるこっちの身にもなってみろ」

「2人? そっちにご案内さしあげたのはひとりだけだけど」

「もうひとりいるだろ、ゲロまみれで呆然としてる若いやつ」

「そりゃうちのミケランジェロだ。留置場に入れちゃだめだ、ニコラスをそっちに連れて行ってもらっただけだよ」

「ああ、例の御曹司ね。青い顔してるほうの兄ちゃんは?」

「そっちがニコラスだ。体調がよくなったら帰っていいと言ってくれ。それと、荷物を忘れてるぞってな」


 ジャンニは殺人現場で見つかった偽造身分証明書を眺めた。写真の男は年齢37歳、窃盗罪で服役して半年前に出所。詐欺に関与しただけでなく、教授殺人事件の重要な証人でもある可能性が高い。

 氏名はミルコ・ロッシ。家は違法薬物の取引場所として知られる廃墟の隣だ。


「よし、こいつを表敬訪問してみよう。ニコラス坊やが消えた今、容疑者リストに残ってるのはこの男しかいないからな」


「同行します」

 セバスティアーノが上着をとった。


「ああいう場所はな、おれみたいなやつがひとりで行ったほうがいいんだよ。どこから見てもしょぼくれた失業者で、お巡りとは分からないやつが」

「だめです。ラリった売人に刺されたりして明日の新聞に載りたいんですか?」

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