第17話 アカデミック・ストレス①

 ディ・カプア教授には同僚がいた。名前をアンドレア・コスタといい、同じ科目を担当し、学部長によれば大学で最も近い関係にあったという。


 その氏名にジャンニは聞き覚えがあった。通話履歴から導き出したリストに載っていた。殺害された教授の携帯電話には火曜日の午後6時半頃に不在着信があり、それがアンドレア・コスタという人物の携帯電話の番号だったのだ。


 ジャンニが会いたいと申し出ると、学部長は電話で連絡を取った。コスタ教授は外出中だった。


「彼はちょうどこちらに向かっています。バスで15分ほどかかるそうですが、お待ちいただけるかしら」


 年配の学部長は言い、微笑みかけた。テーラードジャケットに身を包んだ端整な顔立ちのミケランジェロに。ジャンニにはヒキガエルを見るような眼差しを向け、最後は視線を合わせようともしなかった。


 構内は静かで、学生の姿はなかった。ジャンニは講堂をのぞいた。教壇のそばで若い男がプロジェクターの電源をいじっていた。明るい色の髪で、背が高く、紺のシャツとジーンズを身につけている。


「コスタ教授を待ってるんだが、邪魔じゃなければここで待たせてもらってもいいかな?」

「どうぞ。機器のチェックをしてるだけですから」

「あんたはここの学生かい?」

「いえ、講師です」


 ジャンニが警察の身分証を見せると、講師は屈んでいた姿勢を起こした。


「私は学部時代、ディ・カプア教授に教わりました。事件のことはまだ信じられません。ニコラスの研究発表会に来なかったので、変だとは思ってはいたんですが……」

「ニコラスってのは誰だい?」

「ディ・カプア教授が指導していた学生です。火曜日は彼の研究内容を紹介する場がもうけられていたんです。博士課程の学生にとっては重要な機会なのに、指導教官が来ないのだから困りましたよ。ニコラスも調子が出せないようでした」

「調子が出せなかったというと、どんなふうに?」

「手が震えてました。専門用語を思い出せなかったり、スライドを間違えたりして失笑をかう場面がありました。私はてっきり、教授は何か気に入らないことがあって来ないんだろうと思ったんです。亡くなった人を悪く言いたくありませんが、気難しい人だったから。ニコラスもそのせいでずいぶん困ってましたよ」

「分かるよ、おれも上にいる人間には恵まれないから。ニコラス君にはどこへ行けば会える?」


 講師は気がかりな顔でスマートフォンの画面を確認した。


「実は分からないんです。発表会のあと何度かチャットに連絡したけど、返事がなくて。大学にもあれ以来、姿を見せていないようです」


 *


 講堂に現れたアンドレア・コスタ教授は、ディ・カプアと同じくらいの年齢に見える男だった。紺のジャケットに白のポロシャツ。長めの髪には白髪が目立つ。ジャンニが出した警察の身分証にうなずいた。警察が来ていることは学部長から説明を受けていた。


「事件のせいで我々も学生も動揺している。犯人の手がかりはつかめたんでしょうか」

「いや、まだです。コスタ教授、火曜日の夕方にディ・カプア教授の携帯に電話されてますね」

「研究発表会に来ないので、心配して電話したんです。でも、出ませんでした」

「担当の学生の発表会だったそうですね。ええと、名前はなんだっけ……」


「教授が指導していた学生ですね。ニコラスという」

 ジャンニより記憶力がいいらしいミケランジェロが言った。


「そうです。ニコラス・ロマーノ」

「あんたから見て、ニコラスはどんな学生ですか?」

「研究熱心な学生ですよ。博士課程に所属しています」

「火曜日の発表会では手が震えていたそうだけど」

「ええ、それはいつものことです。もともと内気な学生なんです。我々は研究に自信をもつようアドバイスしています。もっと気を楽にし、聴衆と積極的に交流するようにと」


 コスタ教授はそこで講師の存在に気づき、顔を向けて言った。


「クリスティ、USBメモリーは見つかったか?」

「それが、ないんです。先週までは研究室にあったのに」

「困ったな、学会で配る資料が入っていたんだが……。仕方がない、作り直してくれ」


 講師は困惑顔になった。

「今日中にですか? それはちょっと……。これからディ・カプア教授の代講だし、無理ですよ」


「私は学部長と打ち合わせだ。我々がやらなかったら、誰がやるんだ」

「事務の人にでも頼んで下さいよ」

「任せられるわけがないだろう。USBメモリーを見たら口紅と間違えて塗ろうとするクチだよ、あの女どもは」


 ジャンニは横から口を挟んだ。

「おれはライターと間違えて火をつけようとするクチですよ。ディ・カプア教授を憎んでいた人間に心あたりはないかな? なんらかの違法行為や、揉めごとに巻き込まれていたなんてことは?」


 コスタ教授は眉をひそめた。

「違法行為? なんですかそれは? 彼は変なことに足を突っ込む人じゃありませんでしたよ。憎まれる理由も思いあたりません。信じられない。あんなふうに人生を終えるとは」


「ここには教授が個人的に使っていた部屋はあるのかな?」

「研究室でしたら、この上です。ご案内します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る