第14話 約束された将来①

 ラプッチは手元の書類から顔も上げなかった。すぐに部長執務室に出頭しなかったことへのあてつけだ。


「おれに話があるってことだったけど、あんたが忙しいなら出直してくるよ。じゃ」


 ジャンニが立ち去ろうとすると、やっと万年筆のキャップを閉めて来客用の椅子を勧めた。


「捜査のほうはどうだね。何か進展はあったか?」


 おや? ジャンニは怪訝に思った。いつもなら嫌味のひとつでも言うところなのに、今日はやけに腰が低いじゃないか。


 こうなると、かえって警戒心が湧いた。デスクの前の椅子に座りながら、最近何をやらかしたかを思い出そうとした。コーヒーをぶちまけてモニタリング室の機器をショートさせたのを聞き及んだか。ピザとコーラの代金を署の経費で落としたのがバレたか。もしかすると、全パトロールカー向けの無線でラプッチの物真似をして笑いをとろうとしたことが気に障ったのかもしれない。


「偽造身分証の持ち主と思われる男が特定できたよ。名前はミルコ・ロッシ、データベースによると4年前に窃盗罪で服役し、去年出所してる」


 ラプッチは興味を引かれたようだった。

「その男は被害者と面識があったのだろうか?」


「可能性はあるけど、現場からそいつの指紋は出てないし、事件との関連も確認できてない。今のところ分かってるのは殺された男の家に偽名の身分証明書があったことだけだ」

「それでも手がかりには違いない。不正行為に関与の疑いで取り調べ、殺人に関しても何か知っているかどうか聞いてみたらどうかね」

「そのつもりだけど、こいつの住所が問題なんだよ。ピアッジェだ。昼間からヤク中や売人がうろうろしてるところだ」


 渡された資料を見て、ラプッチは顔をしかめた。60年代の高度成長期に集合住宅が乱立し、麻薬売買や犯罪の温床と化した地域だ。当該の男の家は住人がいなくなったあと見捨てられ、行政と警察にとって癌のような存在になっているマンションの隣だった。


「強制捜査の必要性と規模を判断して、必要な人員と装備を確保してもらいたい。ジャンニ、とにかくこの男が何に関わっているのかを明らかにするんだ。被害者が大学教員だったこともあって、世間の関心は高い。早急な解決が期待されているからね」


 ラプッチは警察分署コミッサリアートの署長を経て地元カターニアで組織犯罪の捜査を指揮し、フィレンツェに戻って機動捜査部スクアドラ・モービレのトップに就任した。しかし、今のポストも彼にとってはさらなる昇進のための足がかりに過ぎない。背が高く、まっすぐな姿勢と眼差しは野心を感じさせ、ジャンニ・モレッリ警部とはあらゆる点において正反対に見える。


「それと、大学教授が身分証偽造に関わった疑いについては事実関係が明らかになるまではマスコミには漏らさない。不要な騒動を避けるためだ。わかっているとは思うが、きみも関係者と話すときはそれを留意するように」

「了解」


 長居するとまた余計なことを言いつけられる。腰を上げて出て行こうとすると呼び止められた。


「ところで、ヴェッルーティ警部の件だが――」

「ミケランジェロなら、大丈夫だ、よくやってる。ここの環境にもすぐ慣れると思うよ」


 長い指で高級万年筆をもてあそび、ラプッチは言葉を濁した。

「いや、話したいのはそういうことではないんだ」


「というと?」

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