第10話 呼び鈴を押したのは誰
ジャンニは駐車場に戻った。車に寄りかかって煙草を吸っていると着信音が鳴った。
「あんたはちっとも電話に出ないね」
科学捜査課のヴォルペだった。
「今出ただろ?」
「紀元前3000年頃は殺人の道具が発達した時代だ」
「へ?」
「青銅器の登場がその頃なんだ」
「せっかく出てやったのに考古学の講義か? 木の棒や石ころだって、じゅうぶん殺人の道具になっただろ」
「もっと硬くて丈夫な道具が作れるようになった。つまり、殺人に適した」
「ふむ」
「こんなことを思ったのは、被害者の皮膚と頭髪のサンプルを質量分析にかけたところ、青銅を検出したからだ」
「教授は青銅製の凶器で殴られたってことかい?」
「損傷を受けた箇所に微細な青銅が付着していた。衝撃によって凶器の表面が剥離したと考えていい」
ジャンニは現場を思い浮かべた。大量の書籍を別にすれば、ひとり住まいの室内には物は多くなかった。凶器となりそうな青銅製の道具や置物はなかったが……。
「それからもうひとつ、室内で発見された身分証明書の件だ。紫外線照射を行った結果、市販の用紙に家庭用プリンターで印刷されたものだとわかった。紙もプリンターも国内でひろく流通してるが、いちおう資料を送っといたよ」
「ヴォルペ、家庭用のプリンターで身分証明書を偽造した例は今までにあるかい?」
「13歳の少年が未成年禁止のダンスホールに入るために自宅で印刷した事例がある。ネットにやり方が載ってるんだよ」
レンツォがカフェテリアのほうから戻ってきた。
「思い出した」
「何をだい?」
「あの男。パクったことがあるんだ」
ジャンニは慌てて助手席側から乗り込んだ。
「あの身分証明書の男か? いつパクった?」
「何年か前。路上で女性のハンドバッグを引ったくって逃げていたんだ」
ジャンニは人の顔なんかすぐに忘れてしまうので、何年も前に見た男の人相をどうして覚えていられるのかさっぱり分からない。
「こういうことかい。大学教授が殺され、家には他人の身分証明書があった。それは偽造品で、数年前に窃盗を働いた男の顔写真が貼ってある。氏名の欄にはアントニオ・ビアンキとあるが、偽名だ。その引ったくり犯の名前は覚えてないのかい?」
「ぜんぜん」
「そいつの顔写真を使って存在しない人物の身分証明書が作られたか。もしくは……」
「そいつが偽名の身分証明書を作ったかだ」
車は街路樹が並ぶ大通りにさしかかっていた。この界隈でやるべきことがあったような気がしたが、思い出せなかった。煙草を捨て、マヤが語った内容を話して聞かせた。
教授が殺害された日、彼女は大学へ行って午前中の授業に出た。午後は旧市街のイベント会場へ出かけた。同居している友人が通う美術学校「フィレンツェ美術アカデミー」の作品展がそこで行われていたからだ。そのあと友人と3人で夜間開館日だった美術館へ行き、旧市街のレストランで食事して帰宅した。
翌日、再び教授を訪ねて死体を発見した。
彼女の悲鳴を聞いて駆けつけた男の靴は、タイルに残っていた足跡とは一致しなかった。
「どうなんだろう。本当のことを言ってるかな?」
「嘘をこいてるようには見えなかったな。けど、あのお嬢ちゃんが被害者の頭をがつんとやった可能性はまだ捨てなくていい」
「そうは言っても、大学の教授を殺す動機があるかな」
「単なる教授と学生じゃない。合鍵を渡すような間柄だぞ」
「ドアの呼び鈴についた指紋は彼女の?」
「かもしれないな。それを聞くのを忘れたよ。けど室内の他の指紋とは一致しないそうだから、配達員かなんかの可能性もある。事件とは関係ないかもしれないけど、気になるんだよ。指紋が拭き取られ、誰かが呼び鈴を押したってことが。……あ、思い出した。教授の離婚した女房ってのが近くに住んでるんだ。この辺で停めてくれ」
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