第3話 被害者のもうひとつの顔

 警察を呼んだ男性は上階に住んでいた。30代前半に見え、銀縁の眼鏡をかけている。ジャンニが声をかけた。


「あんたが通報した人?」

「そうです」


 男はマヌエル・ベリンと名乗り、警察のバッジを見ると嬉しそうに目を輝かせた。


「よかったら、部屋でコーヒーでもいかがですか?」

「今日はもう胸焼けするほど飲んだんだ、署の自販機のまずいやつを」

「仕事から帰ってテレビを見ていたら、下の階から女性の叫び声が聞こえたんです。駆けつけるとドアが開いてて、若い女の子が座り込んでるのが見えました。ディ・カプアさんは倒れてるし、床に血がついてるし、もう驚いたのなんの」

「ディ・カプアさんとは知り合いでしたか?」

「会ったら挨拶はしたけど、知り合いってわけじゃありませんでした」

「あの女の子は知っている子?」


 通報者とは別に関係者の女性がいるらしい、とミケランジェロは思った。下に停まっていた救急車の中にいるのだろうか。


「いや、見たことないです。あの子、大丈夫ですか?」

「病院で検査を受けるから心配いらないよ」

「取り乱して泣いてたんです。こういうときって第一発見者は疑われるんですよね? てことは彼女、容疑者ですか?」

「それはまだなんとも言えない。下の部屋のドアがいつから開いてたか知ってますか?」


 ベリンはしばらく考え込んだ。


「朝から閉まってたような気がします。開いてたら不用心だなと思うはずですから。ええ、間違いなく閉まってました。少なくとも、自分が前を通りかかったときは」

「さっきまで履いてた靴を預からせてください。指紋採取にもご協力を」


 ベリンは市内のフードデリバリー会社勤務で、平日は留守にしている時間が多い。家にいるあいだに不審な物音や声はしなかったとのことだった。


「これから周辺の聞き込みですか? よければ近所をご案内しますよ」

「それには及ばない」

「ぼく、刑事ドラマが好きなんです。あの、人を撃ったことあります? 今までに何人くらい凶悪犯を射殺したんですか?」

「がっかりさせたら申し訳ないけど、ドラマとはだいぶ違うと思うよ」


 *


 建物の外にはテレビ局の取材班がいて、事件のあった2階の窓にカメラを向けていた。道路脇に停められたシトロエンの後部座席にジャンニが乗り込むと、明るい金髪の男が助手席から振り向いた。


「病院から連絡がありましたよ」


 ジャンニは潰れた煙草の箱を取り出した。

「あのお嬢ちゃんの様子はどうだって?」


「手の怪我は心配いらないそうです。しかし、かなりショックを受けてるみたいですね。事情聴取できるのは明日以降になるだろうって」

「そりゃショックだろうな、たまたま死体を見つけたっていう話が本当なら」

「あのう……」


 ミケランジェロは話に割り込んだ。警部に引っぱりまわされるばかりで、事件の概要をまだ聞いていない。


「ぼくは急いで駆けつけたんで、通報記録を確認する暇がなかったんです。その女性は関係者なんですか?」

「そうだ。ああ、まだ紹介してなかったな。バスティアーノ、うちに配属になったミケランジェロだ」


 殺人捜査課のセバスティアーノ・ローザは後部座席のミケランジェロに右手を差し出した。

「やあ、よろしく」


 ジャンニは煙を逃がすために車の窓を開けた。


「こういうことだ。夕方7時頃、男が頭から血を流して死んでいるのが見つかった。発見したのはマヤ・フリゾーニ、大学生で、死んだ教授の教え子らしい。玄関が開いてたんで中に入り、死体が転がってるのを見たと言ってる。怪我は床に散らばっていたグラスの破片に触ったからだそうだ。悲鳴を聞いて上の住人が駆けつけ、警察に電話したってわけだ」


 ミケランジェロは先ほど聞いた話を思い出した。


「ドアが開いてたんですか? 通報者の男性は朝から閉まってたと言いましたよね」

「そうなんだ。2人のどっちかが勘違いしてるのかもしれないから、そのへんを明日もういちど確認しなけりゃな。腹ごしらえに付き合いたいやつは?」


 誰もいなかった。ミケランジェロも首を振って遠慮した。


 それにしても、あの身分証明書。他人名義の身分証を所持しているというのは普通だろうか? 


 殺された男には、大学教授という肩書は異なる、もうひとつの顔があったように思えてくる。

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