第1話 若返りの泉 4

「手がかりは日記と鍵とカレンダーしかないってなんの謎かけよ」


 サンマリノ名物であるピアディーナをほおばり、メアリーは少し口からはみ出した生ハムをつるりとすすってため息をついた。


「ため息つくな。飯が不味くなるだろ。」


 うさぎのオーブン焼きを食べていたエドワードは手を止めてワインを一口飲んで食事中の溜息を指摘した。


「ため息つこうがつくまいが美味しいものは美味しいのよ。」


「気持ちの問題だ、気持ちの。それに収穫はあったじゃないか。」


「どういうこと?」


「あの大男だけが家具の位置が全体的に低いと感じるならまだしも、俺たちでさえ低いと感じるのなら前に住んでいたアルバーノは背がすごく低いか足腰が悪いかじゃないか?」


「でも日記にはそんなこと一言も書いてなかったわ」


「アルバーノ本人がそうだったか、もしくは」


「アルバーノと同居している人がそうなのかってこと?」


「そう、その可能性が極めて高い。どちらにせよ通常のサイズじゃないから特注でつくったはずだ。」


「写真じゃ足が悪い様子は一切ないからきっと同居している人がいたのね。」


 エドワードは自分のポケットから先ほどの大男から預かってきた二本の鍵をだした。

 一般的によくあるサイズの鍵ともう一本はロッカーの鍵より少し大きめくらいの小さな鍵だ。


「それとこの鍵だが、一つはサイズも小さいし丈夫な作りをしているから恐らくどこかの貸金庫の鍵だと思う。それがどこのものかは分からないし、本人じゃないと中身の確認は出来ないから俺たちには無理だけど手がかりにはなるだろう。」


「そうね。もしかしたらまだその銀行を使っている可能性もあるものね。」


 銀行を使っている可能性はあるが、行員に客のことを訪ねて応えてくれるという望みは薄い。だから貸金庫の鍵だと分かっていても最終的には依頼人であるナターシャに鍵ごと渡すことになり、自分たちはどうすることも出来ないだろうとエドワードは小さな鍵を軽くはじいた。いくらヒントになりそうでもこの鍵はナターシャに判断をゆだねるしかない。

 鍵からもし自分たちが出来ることがあるとすれば銀行を割り出すことだ。

 銀行をまだ使っているというメアリーの案は確かにあるかもしれないが、引っ越す際に家中の椅子を持ち出したことを考えるとあえて鍵はおいていったように感じた。


「とりあえずは前の職場に行ってみよう。」


「今度ははっきりと覚えている人がいればいいけど。」


「確かに近所の住民の話はどれもあいまいでアルバーノともあまり接点はないようだったが、ただ近所の人が言うにはあの家でアルバーノ以外の気配を感じたことはなかったそうだ。」


「ご近所的に言えばアルバーノは一人暮らしか…すみません!ピアディーナをもう一皿お願いします。」


 自分のワインが空になったタイミングで話を中断してメアリーは新しい注文を入れた。


「本当によく食うな。一体どこに入ってくんだ?今日あの家ででたケーキもホール半分はその胃袋に納めてただろ。」


 見るからに沢山食べそうな体格の大男は話の合間に一口二口食べるだけで結局出されたケーキのほとんどを食べたのはメアリーだった。


「余計なお世話よ。美味しいのが罪なのよ。一人暮らしだとするとあの家具はおかしいわよね?ナターシャとの写真だと身長はナターシャより少し上くらいだから180はあるでしょ?」


「まぁ180ないにしてもあの家具は低すぎるだろ。それに引っかかるのは家具の高さだけじゃなくて日付もなんだよな。日記にあったナターシャと最後に会った9日はまだあの家に住んでいたのにあの男が言うには10日に売り出されていたんだろ。売り出されたということはもうその時点には引越が終わっていたってことだろ?もし鍵を持っていて15日にあの男が住み始めるまでに引っ越すにしてもあまりにスピーディーすぎる。」


「そうなのよね。10日に売り出したということは9日にナターシャに会ったときにはすでに売ることを検討していたってことなのよね。直前に会っているのなら十分告げてもおかしくはないと思うんだけど、9日にナターシャと会ってもしくは会った後に何かあって急に引っ越さなければならなければいけなくなったというの?何故別れを告げなかったのかしら?」


「別れを告げるつもりがなかったんじゃないか?」


「告げるつもりがないってどういうこと?言いづらくて何も言わずに姿を消したっていうの?あ、どうも。ここにおいてください。」


 二人の白熱した会話に入りにくそうに遠慮がちに近づいてきたウエイトレスに気づいたメアリーが声をかけると、急に声をかけられ両肩がかすかにはねたウエイトレスはこのタイミングだといわんばかりに急いで皿をテーブルにのせすぐにたちさった。

 それを少し笑いながら見ていたメアリーはウエイトレスが遠ざかるのを確認してから今持ってきたばかりのピアディーナを再び口にほおばった。

 ピアディーナはやっぱり最高の味だ。


「そうかも知れない。しれないんだが、それにしても妙なんだよな。日記によると

10月9日

アルバーノとディナー

久しぶりのディナーだというのにアルバーノはポレンタを注文して一緒に飲もうと思っていたのに私は一人スプマンテを飲むことに。でも料理以外は完璧。

アルバーノは昇進することになったそう。

最近会う頻度が減ってきていたのは仕事が本当に忙しかったみたい。

本当に良かった。

忙しさが功を奏しての昇進なんだから今度ゆっくり何かでお祝いをしなくっちゃ。

仕事も落ち着いてこれでようやくアルバーノもゆっくりできるみたいだし結婚の話もそろそろ考えてくれるかしら?

… … …

だ、そうだ。

昇進を控え余裕も出てきてるアルバーノに自ら失踪する必要がどこにある?ってかポレンタってなんだよ。」


「あれね。」


「…あれ?」


メアリーが指さした近くのテーブルに運ばれたポレンタはリゾットのようで見た目の華やかさもなく白一択のいたってシンプルなものだった。


「粥か…金欠だったのか?」


「それなのに高額になる蔵書も家具も次の買主に譲ったっていうの?」


「ありえないな」


「そうね。ありえないわ。」


「じゃなんだ?わざわざ恋人とのディナーに粥を選ぶ心境とは一体…」


「知らないわよ。仕事のし過ぎで胃でもこわしたんじゃない?少なくとも日記からポレンタが出てきた時ナターシャの気持ちが残念一択だったのはよくわかるわ。久しぶりに会えた恋人との食事でおかゆが出てきたらね。」


「そりゃ残念に思うわな。まぁ胃を壊しているとしてもだ、仕事は順風満帆で努力が報われたところだっていうのに自分から消息不明になるか?」


「私だったら努力する前に消息不明になるわ」


「普通そうだよな、それか夢破れた瞬間とかさ。それに椅子と写真以外残されていたっていうのも妙な話だ。鍵までおいていくとか普通しないだろ。」


「単純に断捨離したかったんじゃない?にしても鍵と椅子は妙よね…」


 メアリーが次を注文しようと先ほどのポレンタに目を止めると、エドワードがやめておけと言わんばかりにメニュー票をひったくった。


「そう。もし本当に急にその場を去らなければいけないとするとわざわざ嵩張る椅子を持っていくのはかなり可笑しい行動だし、急遽その場を去らなければいけないとすれば家を売る余裕すらなかったんじゃないか?

 それに断捨離するにしても妙な話だ。書庫には貴重な蔵書がいくつかあったし、高そうなものだっていくつも残っている。持ち主なら価値もわかるだろうにそれらを残したまま家を売るだなんておかしい話じゃないか?それになにより今から家を売りますというのに冷蔵庫の中身までそのままにして売るだなんてあり得るのか?普通それくらいは捨てるだろ。」


「あの大男もまるでまだ住んでいるように感じるって言っていたものね。」


「不思議なんだよな。どう考えたって」


 一番嫌な考えがエドワードの頭をよぎった。

 もしかしたらアルバーノは自宅で殺されてしまったんじゃないか?

 そしてその相手がアルバーノの家を売ったんじゃないか?

 だが現在の段階でその予想を口にするのはあまりにぶっとんだ考えだった。

 まだ誰かに追われている線だってどこかにはあるのだ。

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