第3話 「運」や「タイミング」

 だけど、私の小学校のころを通じて賢治の作品が心に残ったかというと、そういうことはほとんどありませんでした。

 「風の又三郎」は、推薦図書に入っていたので、読んでみた記憶はあるのですが、まあ……。

 ぜんぜん、わかりませんでした!

 「北風小僧の寒太郎」みたいな話かとおもったらぜんぜん違うじゃん!

 「風の又三郎」には、「風野又三郎」という原型になったお話があります。この「風野又三郎」までさかのぼると、ほんとうの風の子の話なので、似てなくはないのですけど……。

 それで。

 それから何十年か経ったわけですが。

 すみません。いまでも、「風の又三郎」はよくわからないお話です。

 この物語がいい物語だとおっしゃる先生方には、「じゃあ、どこがいいの?」と深くお教えをいただきたいぐらい。

 「雨ニモ負ケズ」も知っていましたけど、ぜんぜん共感はできませんでした。

 「説教くさい」と言われるのですが、私のばあいはそれ以前でした。

 だいたい「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」ぐらいまではわかるのですが、その先がぜんぜんわかりませんでした。わかろうという興味も持てませんでした。

 だから、「銀河鉄道の夜」も、そういう本があるのは学校の図書室で見ていましたけど、やっぱり私には感動できない物語なんだろうな、と思って、読まずに見ていたわけです。

 それが、小学校6年生の、学習塾のテスト問題で出会った。そして、私に深い印象を残したわけです。

 たぶん、そのときの自分の気分に合った部分があったからだと思います。ちょうどこの物語が心に響く年齢でこの物語に出会えた、ということなのではないかと思うのです。

 中学校に入ってから、岩波文庫の『銀河鉄道の夜』(谷川徹三 編)を読み、「やっぱりこの物語だったか!」と確かめて、ちょっと得意な気分になりました。

 それから宮沢賢治のほかの作品も読むようになったわけです。

 もし、小学校6年生のときにその問題文に出会わなければ、私は宮沢賢治の作品にはいまも無関心なままだったかも知れません。物語に出会うには「運」や「タイミング」という要素もあるんだ、ということを、私は自分の体験から思います。


 *宮沢賢治作品を谷川徹三が編集した版は、現在では、最近の研究成果を反映していない「古い版」という位置づけになります。そのため、最近になって刊行された版や改版した版とは異なるところがいろいろとあります。その問題についてここではこれ以上触れないことにします。

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