私だけのヒーロー

うた

私だけのヒーロー

紗弥さや、どうしたんだよ!? そのほっぺた!」


 私は秋月あきつき紗弥。高校二年生。特に目立つ事もなく、いたって平凡な女子高生だ。

 目の前で驚いた表情を見せている相手は、時任雅史ときとうまさし。幼馴染の男の子で、身長も高く、イケメンの部類に入る。艶のある黒髪で、頭も良く、明るいクラスの人気者だ。何人もの女子に告白されているが、全員振っているらしい。


 正直に言うと、私もこいつに惚れている。小さい頃からずっと。この学校の誰よりも、彼を見て来たのだ。けれど、告白には至っていない。振られて気まずくなるのが嫌だ。今のこの距離が遠くなってしまうのが、私にとっては何よりも辛いから。


「あのね、あんまり騒がないで」


 あぁ、やっぱり。周りの女子達がこっちを見てる。隣の幼馴染をキラキラ見つめる眼と、なんでお前がそこにいるんだと私をじっとり見る眼。お願いだから、睨まないで。


「はぁ。今日は、あんたに見つからない内に帰ろうと思ってたのに……」

「はぁ? 俺がお前を見つけられねぇとでも、思ってんのかよ?」


 ふふん。と得意げに威張っている雅史。今日だけは本当に彼に会いたくなかったので、眉間に皺を寄せて「なにそれ」と呟いた。

「その顔、ブサイクになってんぞ。で、その右頬、腫れてるけど、誰かに殴られた?」

「んなわけあるか。ほっといて」

 どうしても雅史に気付いて欲しくなかった。っていうか、私が鏡を見てもそんなに腫れは目立たなかったはず。クラスの子にもバレてない。なのに、何でこいつは気付くんだ!?


 雅史から離れようと、歩幅を大きくしてスタスタ歩く。


「おーい、紗弥。逃げんなよ」

「逃げるわよ! あんたの近くにいたら、私が睨まれる」

「んな事気にすんなって。まだほっぺたの答え、聞いてねぇぞ」

「しつこい――っ!! いったぁ……」

 突然、ピシッと激痛が走る。思わず立ち止まり、頬を抑えた。

「大丈夫か!?」

 近くまで駆け寄って来て心配してくれる。そんな気遣いが嬉しくドキドキしているのだが、この現状が素直にさせてくれない。

「へ、へいき……」

「平気って顔じゃねぇぞ。この腫れって――」

「!?」

 雅史の大きな手が、いきなり私の顎を上げる。有無を言わさず顔を上に向けられたのだ。目の前には、大好きな顔があった。しかも近い。

「っ!!」

 顔が熱い。いきなり熱を持った。それに伴い、頬の腫れもジンジンと痛みが増していく。あぁ、嫌だ。バレないで。お願いだから離れてよ!

「はっは~ん」

 雅史の顔がにやりと歪んだ。どこか、楽しんでいるようだ。私の顔は、真っ赤に染まっている。



「じゃ、行こうか」



 私の手をぎゅっと握った。雅史の手は、大きくて、温かい。どこか、ホッとする。こんな風に手を繋ぐの、幼稚園の時以来だ。

 思い出に浸る間もなく、私の頭はパニックを起こしていた。手ぇ繋いでる! ドキドキしすぎて心臓が痛い! そして頬が痛い!!

「え、え!? なっ、ちょっと、離してって!!」

「だーめ。怖いんだろ?」

「うっ。こ、こわいけど……」

 にっこり笑う雅史の顔が怖い。私が逆らえない事を知っている。

「俺に任せとけって。さ、俺ん家行くぞー」

「うわぁ! ちょっと待ってええぇぇ!!」

 絶叫にも似た叫びをあげる。涙を滲ませる私をよそに、雅史は笑顔で私をずるずると引きずって歩き出した。

「ほらっ、周りが見てる! 私を解放してっ」

「周りなんて、気にすんな。手が嫌なら、御姫様抱っこしてやろうか?」

「それは勘弁してくだせぇ……」


 そんな事をされたら、きっと喜びすぎて気絶してしまう。


 いやいやっ、今日はそれどころじゃない。雅史から逃げられないのは、私にとって一大事なのだ。

「お願いっ、今日は! 今日だけは!!」

「お前なぁ。長引けばしんどいぞ? 放っておいたら、体にも悪いんだからな」

「ああああぁぁ~~」

 もはや、言葉にならない声。そんな私を見て、雅史はくすりと笑った。

「俺にバレないよう必死だったんだろう? その虫歯」

「うぅ……」



 そうです。虫歯が痛くて我慢してました。いつか自然に治るだろうと思ってたら、腫れてきました。絶望しかありませんよ。



「俺ん家、歯医者だもんな。俺から逃げてたのも、納得だ」

 雅史はどこか嬉しそうだった。

「しっかり父さんに治してもらえよ。治ったら、デートでもするか?」

「……え? で、でぇとって……」

 繋いでいた手に力が籠められ、ぐっと引き寄せられた。雅史との距離が、ぐっと近くなる。視界に映った雅史の顔が、少し赤い。

「俺は、お前と遊びに行きてぇの。良いか?」

「う、うん……」


 私の返事を聞いた雅史の顔が、太陽のように眩しい笑顔になった。彼には、私の虫歯の事も、私の気持ちも、みんなお見通しなのだ。

 幼稚園の頃、いじめられて泣いていた時も助けてくれた。いつも困っている時に手を差し伸べてくれる。強くて、優しい奴。


(ずっと、私のヒーローだった。これからも、私だけのヒーローだって、思って良いのかな)


 心がぽかぽかする。歯の痛みも、雅史の顔を見ていたら気にならなくなってきた。



「安心しろよ。治療中も、ずっと手を握っててやるからな!」

「それだけはやめてっっ!!」



 歯、痛みがぶり返したわ。

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私だけのヒーロー うた @aozora-sakura

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