第17話 メイドは包み込んでくれる


「どうぞ召し上がって」

「いただきます」


 味噌汁、サラダ、ベーコンエッグとごく普通の組み合わせだが俺にとってはありがたい手料理である。


 生ゴミ袋に入っている潰されたおにぎりが一瞬脳裏をよぎったが、ちゃんとした朝ごはんの匂いに俺は舌鼓を打ちながら食事を始める。


「美味しい……」

「ふふっ、急がなくてもいいよ。私と朝ごはんは逃げないから」

 

 愛璃咲が両手で頬杖をつきつつ大人しく微笑んで、ものすごいスピードで食べている俺を優しく見つめる。

 

「愛璃咲は食べない?」

「私も食べるから気にせず食べて」

「う、うん」

 

 昔の愛璃咲もこうやってお父さんが仕事している間、俺の家に来て食事を作ってくれた。あの頃の愛璃咲の料理はお世辞にも美味しいとは言えないものだったが、今はとても美味しい。まさしく家庭の味である。


 家庭……


 俺に家庭の味がわかるのだろうか。


 幼い頃、お母さんが病死してからは、ずっとスーパーで売っている弁当か牛丼屋などで食事を済ませてきた。


 3姉妹も同じ感じではないだろうか。彼女らのお母さんはご自分の会社でバリバリ働いてたから、料理をしたことは一度も見たことがない。だから、小学生の愛璃咲が頑張って食事を作ろうとしたのだ。


 だとしたら、これは家庭の味ではなく、昔を思い出させる味だ。


 味自体は今の方がもっと洗練されたが、その根底にあるものは、一緒。


 それを思うと、なぜか胸が締め付けられるように痛い。


「ゆう……泣いてる?」

「い、いや……これは」


 俺、泣いているのか?

 

 お父さんが死んで以来、一度も泣いたことなかったのに……


 泣いてる顔、愛璃咲に見られると思うとめっちゃ恥ずかしい。


 そう思って、袖で涙を拭ってそれとなく愛璃咲を見てみる。

 

 すると、


「おかわり、いっぱいあるから、いつでも言ってね」


 俺を咎めることをせず、赤色の鮮やかな瞳で俺を優しく捉える愛璃咲。そんな彼女を見ていると、なぜか涙腺が刺激される気がする。だけど、俺は必死に我慢して、誤魔化すようにご飯を食した。


 こんな感じで食事はあっという間に終わり、皿洗いを済ませた愛璃咲が電気ポットに入っているお湯をコップに注いでコーヒーを入れてくれた。


「どうぞ」

「ありがとう。コーヒーまで」

「ううん。だから」

「……」


 愛璃咲はコーヒーの入ったコップをテーブルにそっとおいてくれた。俺がそれに口をつけると、程よい苦味が口の中に広まる。


「それにしても、一人暮らしにしては、家、広いね」

「まあ、ずっとお父さんと一緒に過ごしてたからな」

「ゆうのお父さん、ここに住んでない?」

「……うん。いないよ」

「海外出張?」

 

 彼女の問いに俺は顔を横に振った。


「じゃ、単身赴任?」


 また振る。


 すると、諦念めいた俺の表情を見た愛璃咲がはたと目を見開いて、唇を微かに震わせる。


「ま、まさか……」

「もういない」


 俺の返事を聞いた愛璃咲は、コーヒーを飲むことを忘れて口を半開きにした。


「いつ?」

「一年前。ガンで亡くなった」

「う、嘘……」

「多分、お父さんは疲れたんだと思うよ。お母さんが死んでからずっと一人で頑張ってきたから……」

「ゆう……」

「愛璃咲?」


 彼女に目を見やれば、クリスタルのような涙を流していた。そして急に立ち上がり、椅子に座っている俺の方にやってきては、後ろから俺を抱きしめる。


「っ!」

「ゆう……辛かったよね」

「……愛璃咲たちはもっと辛い経験をしたんだ。だから……俺なんか」

、私がそばにいてあげる」

「……」

「私だけじゃない。愛お姉様も千愛も……ずっと一緒よ」

「いや、3人に迷惑をかけるわけには……」


 3姉妹にはそれぞれの人生がある。幸せになる権利がある。だから、あえて気づかれないように気を使っていた。


 俺の自意識過剰かもしれないが、辛い過去を背負っている彼女たちだから、きっと俺の置かれた状況を知ったら、ほっとくわけがないと、そう考えていた。


 充実な人生を歩んでいるはずなのに、俺みたいな邪魔者が現れれば彼女たちは幸せになれないと思っていた。

 

 だけど、愛璃咲は俺の予想を遥に上回る言葉を俺に囁く。


「ゆう」

「?」





「私……私たち、ゆう以外の男に興味ないの」


「な、なに!?」


 俺の悲しみを軽く吹き飛ばす言葉。そして、俺の全てを溶かすほどの軟肉。この二つの旋律は名状し難い感情を俺の心に芽生えさせた。


「全部、ゆうのおかげだから」

「俺のおかげ?」

「私たちが正気を失わず、ここまでやってこれた一番の理由はゆうだよ」

「俺は何もやってない」

「ううん。全部やってくれたの。昔のゆうは私たちの心の支えになってくれた。人生を諦めたくなった時も、お金持ちの気持ち悪い男たちが誘惑してくる時も、体を売って楽な道を歩きたいと思った時も、ゆうが全部守ってくれた」

「……」

「今のゆうは昔のゆうと同じなの。女の子をさせることができる男になったけど」

「っ!に、妊娠って……」

  

 俺は一瞬、体をひくつかせる。だけど、愛璃咲の爆のつく巨大なマシュマロが全部吸収してくれた。この感覚があまりにも心地よくて癖になってしまいそうだ。


「きっと私の両親とゆうの御両親は喜んでいると思うの。この再会を。私だってそう。聞こえるでしょ?この心臓の音」

「……」


 確かに、この大きな柔肉からは激しい鼓動が伝わって俺の背中を優しくノックしている。


「ゆう」

「なに?」






「その心の中にあるドス黒い感情を、全部私に注ぎ込んでも構わないわ。ゆうの気が済むなら、無理やり私を好きにしていいよ。ご主人様」

「っ!そ、そんなのできるか!」

「ふふ、やっぱり、ゆうは素敵。そういうのは早いか……じゃ、ずっとこのままでいよう」


 愛璃咲の体から発せられる香りは、俺を陶酔状態にする。


がずっとそばにいるわ。ずっと一緒」


 彼女の甘美なる声に俺の瞳は完全に色を失い、


 頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。


「ああ。ずっと一緒。昔みたいに」


 親が死んだ悲しみと愛璃咲がくれた温もり。


 一度も感じた事のないこの感情に俺は少し怖くなったが、彼女の優しくて大きい二つのマシュマロは、








 俺を優しく包み込んでくれた。


 それと同時に頭浮かぶ彼女の言葉。



『今のゆうは昔のゆうと同じなの。女の子をさせることができる男になったけど』

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