第10話 転職と引き継ぎ作業と上司

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 愛璃咲と千愛と話し合ってから1週間ほどが経過した。愛姉は俺の決定をとても喜んでくれた。


 年収、勤務時間、残業手当、肩書きなど、全てにおいて、俺が今通っている会社より待遇が大変良く、すんなりと交渉が進んだ。

 

 俺は会社の上司に転職の話を切り出した。すると、語気を強めて俺を罵り誹謗中傷を飛ばした。


 だけど、そんなにストレスは受けられなかった。というのも、俺はもうこの会社を去る人間だから。


 現在の俺は、他の社員と一緒に引き継ぎ作業をやっている。


「えっと、このプログラムはちょっとややこしくて……まあ、実際いじってみた方が確実だと思いますね。これで1割くらいかな?」

「……こんなの新入社員の僕にできるはずがありません」

「高橋さん、こんなに仕事抱えていたんですか?5人かかってもできないんですよ……これは」


 新入社員は絶望のドン底にいるような表情を浮かべ、他の職員は顔を引き攣らせている。


「頑張ってください。俺はもうすぐこの会社を去る人間なんで」


 二人がちょっと可哀想ではあるが、まあ、恨むなら会社を恨んでくれ。


 結局二人は膨大な量の引き継ぎ内容に辟易して、上司にもっと人がいると訴えかけた。だが、上司は俺一人で回せた仕事を二人ができないのはあり得ないというふうに二人を叱って人を増やしてくれなかった。


 こんな感じで、有給休暇を全部消化する日が近づいてきた。


 だが、引き継ぎはまだ半分も終わってない状態で、新入社員と他の社員は死んだゾンビのような顔である。


 他の部署のみんなは俺の所属している部署がどんな雰囲気なのか察したらしく、誰も目を合わせようとしない。問題となる上司に至っては、最初こそ、俺に対して癇癪を起こしたり、ここに残るように脅しをかけたりもしたが、もう俺はここにいる理由がないので、スルーしたら、何も言ってこない。


 普段この中年の上司は「お前の代わりはいくらでもいる」「俺の下で働けている事実に感謝しろ」といった言葉を口にする嫌いがある。

 

 だが、そんな上司が、今日はだいぶ大人しい。


 俺はいつものように絶望の顔をしている二人に仕事を教えようとしたけど、突然上司が俺のところにやってきた。


「高橋くん、ちょっと話がある」

「?」


 いつものように揚げ足取ってガンガン怒るのかと思いきや、震える声音で言ってきたのだ。なので、俺たちは、会社の屋上へとやってきた。


「来週からは有給休暇使うんだったよね?」

「はい」

「……君を主任に昇進させるという話があったけど、残念だったな。俺は寛大な人なんでね、チャンスはまだある。どうだ?上には話は通してある。もし、君がここに留まれば、出世する可能性は高まるだろう。悪くない条件だと思うがな」

「……」

「転職してもどうせ似たり寄ったりだ。だとしたら、一つの会社で長く勤めた方が有利だよ。まあ、まだ君は半人前だが、俺の下で数年働けば、一人前になるはずだ。だとしたら将来的には部長になることも不可能ではない。あくまで俺の指導と君のやる気次第だけどな」


 偉く上から目線だな。


 でも、むしろありがたい。

 

 これで、はっきりとわかった。


 こいつはダメだ。


 まあ、ずっと前から知っていたけどな。


「あの……山下部長」

「何?愚かな選択をせず、考えを改める気になったのか?」






「俺、転職先で、部長やるんで」

「え?」

「部長、やるんですよ。俺」

「な、なんだと!?」

「頑張ってください。山下部長。俺、応援しますんで」


 俺はそう言って、軽い足取りで屋上から降りた。


 引き継ぎはまだ5割も終わってない。一応資料などは全部作ってあるが、ざっくりとした流れは把握できても、細かいところが数えきれないほど多いため、全部理解できるかどうかは甚だ疑問である。


 まあ、優秀な俺の上司がなんとかするだろう。


 俺はちゃんとした段階を踏んでこの会社を辞めるわけだから、問題なし。あの上司は俺をずっと無視し続けて、引き継ぎ作業は二人で事足りると、引き継ぎ作業はあっという間に終わると踏んでいた。


 でも、恐らく現実が見えてきたんだろう。


 まあ、最悪俺は作った資料読んで頑張ってくれ。


 この会社で俺の代わりはいくらでもある。

 

 だから、これから俺が部長(部署に俺一人しかいないが)として働く「レガンダ」で桐江3姉妹の役に立てるように頑張らないといけない。

 

 3人は、俺を必要としてくれているから。


 彼女らと一緒にいれば、この心の痛みが少しは和らぐ気がする。だけど、甘えてはならない。彼女らは心に深い傷を負っている。優しく接してあげないと。でも、気を使ったりすることはちょっと違う気がする。


 昔と同じでいいか。


 その方が俺にとって気が楽だ。

 

 昔はお母さんが亡くなってから桐江3姉妹とずっと一緒だったな。お父さんは仕事が忙しくて、俺はぽっかりと空いた心の穴を桐江3姉妹で埋めていた。


 愛姉はそんな俺をまるでお母さんのように包み込んでくれて、愛璃咲はずっと俺に寄り添ってくれて、千愛は小悪魔っぽく俺をからかったり甘えたりした。俺は3人を喜ばせるために必死だったな。

 

 今、会社にいるのに桐江3姉妹のことで頭がいっぱいだ。


「はあ……働きたくないな」


 そう呟いて、俺は、死んだ魚のような目をした二人がいる場所へと移動した。



 

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