第9話 悠馬の決断

 愛璃咲と千愛はソファーで気持ちよく寝込んでいる悠馬を穴が開くほど見つめている。まるで自分が産んだ赤ちゃんを見ているようにその二つの視線には愛がこめられているように見てとれる。だけど、二人の面持ちには色気が漂っていた。


「愛璃咲姉ちゃん……ゆうにいちゃんだよ。私の……私たちの大好きな……」

「ええ。大人になっても、あの頃の優しさはそのまま残っているゆう……本当に夢みたい」


 うっとりとしている表情には、恋する乙女を彷彿とさせる美しさが宿っている。だけど、千愛は突然、俯いて自信なさそうに呟き始めた。


「でも、私たちはちょっと変わったよね……」


 落ち込む千愛の様子を見た愛璃咲は小さく息を吐いて、優しい声音で妹に慰めの言葉をかけてやった。


「いいの。きっとゆうはしてくれるはずよ」

「……そうかな?」

「ええ、だって……私たちは……」


 一旦切って、頬を少し赤く染め、身を捩る愛璃咲。その度に年頃の女性独特のフェロモンが振り撒かれ、寝ている悠馬の鼻の中に入る。





「だって……今の私たちは、ゆうがいないと生きていけないだもん……」


 ルビー色の目をカッと見開いて言う愛璃咲。自分の大切な姉を見ている千愛もまた頬を紅潮させ、悠馬の手が添えられていた自分の豊満な胸に手を置いて言う。


「やっぱり、他の男はみんなクズだわ。どれもあの獣と同じ目をしているんだもん……」

「そうね、視線を感じるだけでも吐き気がするわ。でも、そのたびにゆうを思い出してなんとか乗り越えてきたの」

「でも、今は、こうやってゆうにいちゃんが目の前に……っ!私……やっぱり我慢できないかも……」

 

 息を弾ませて自分胸を抱き締める千愛に、愛璃咲が首を横に振る。


「千愛、今はだめよ。愛お姉様がいないんだもの……それに、私たちは15年間ゆうが何をしてきたのかまだ分からない」


 と言って彼女は亜麻色の柔らかい髪をかき上げて、ピンク色の艶のある唇を再び動かす。


「だから、ゆうの全てを知り尽くさないと……私の体はそれを望んでいるから」


 吸い込まれてしまいそうな視線を悠馬に向ける愛璃咲に千愛は憧れの眼差しを送る。


「私も知りたい……ゆうにいちゃんの頭の中にある全ての記憶、どんな料理が好きでどんな女の子が好きか……全部知りたいの。全部吸収したいの……」


 わがままでちょっと小悪魔なところがある千愛のエメラルド色の目は生気を失っている。


「愛璃咲お姉ちゃん、私、ちょっと行ってくる」


 千愛はそう言って足早に歩き出す。


「……」


 すやすやと寝息を立てる悠馬。


 そんな彼を至近距離で見つめる愛璃咲。


 彼の吐く息は鼻筋の通った愛璃咲の鼻腔とピンク色の口の中に入り、彼女の鼓動を激しくする。


 だけど、彼女は彼に手を出すことなく、色褪せた赤い瞳で彼を捉えては、呟く。




「ゆうご主人様……」



X X X


「ん……」


 目が覚めた。


 俺、ここで寝てしまったのか。いくら幼馴染の会社だとはいえ、初めて来た会社で昼寝とかちょっと恥ずかしい。


 きっと2人だけだから忙しいはずだ。なのに俺は……


「ゆうにいちゃん!目覚めた?」

「ん、うん」

「あまりにもゆうが気持ちよく寝ていたものだから起こすのが勿体無いと思って私たちは仕事をしていたわ」

「も、申し訳ない」

「ううん、ゆうにいちゃんの寝顔、可愛かったからいいの」

「……」


 俺は覚めやらぬ目を擦ってスマホを取り出して時間を確認してみた。


「え?もう18時!?ここきたの13時くらいだからめっちゃ寝たじゃん……」


 俺が少しドン引きしてそういうと、愛璃咲がこともなげに言う。


「疲れていたんじゃないの?」


 なぜなろう、愛璃咲の言葉が妙に胸に刺さる。


「ああ、そうかも知れないね……」


 と、俺が返すと、二人とも目をはたと見開いて、合図を送り合う。そして、愛璃咲が話し始めた。


「ゆう」

「ん?」

「きっと、ここはゆうにとっていい職場になると思うの。私たちはゆうが必要。でも、されてばかりはいや。私たちはゆうをにしたい」

「し、幸せって……」


 やめて、そんなこと言われると、俺が通っているブラック会社が惨めに見えてしまうだろう……


「もし、ゆうにいちゃんがここで働けば、楽だと思うよ。うち、システム部署ないから実質ゆうにいちゃんがトップだし、あと邪魔する人間もいないし」


 二人は目を潤ませて俺を上目遣いしてきた。


 ……実に魅力的な話だ。


 意識の違い、価値観の違いで俺が通っている会社ではものすごいトラブルが起こっている。主に上司が問題で、転職してきたキャリア持ちの人も、新入社員も辟易して部署を変えたり辞めるのが日常茶飯事だ。


 俺はあんな地獄のような環境でずっと働いてきた。仕事を丸投げされるケースもいっぱいあったし、責任を押し付けられる場合も多かった。そのおかげか、俺の脳には、システム関係の仕事に関する知識がだいぶ蓄積されている。


 だから、これはやってみる価値があるかも知れない。


 意味のない争いを避けたいとずっと願っていた俺がどれほどできるのか。


 自分を証明したい。


 そう考えた俺は、真面目な表情で答える。


「雇ってくれるなら、ちゃんとした成果を出して一生懸命働くよ」


「「え?」」


 二人は俺の言葉に口を半開きにしたまま呆気にとられる。だから俺はわかりやすい形で再び言葉を発した。


「俺、この会社で働きたい。俺を必要とする人がいて、俺の価値を証明するのにもっとも相応しい環境も備わっている。それに……」


「「そ、それに?」」


「綺麗でかわいい幼馴染たちもいるし……」


「「っ!!!!!」」


 俺が照れ笑いをして、後ろ髪を引っ掻いていると、二人が息を激しく吸って吐くことを繰り返してから口を開いた。


「ゆう……ありがとう。ゆうはをしたと思うの。私、色々から」

「ゆうにいちゃん……4

「あ、ああ」


 二人はまた、ブラックホールのように全てを吸い尽くすような赤色と緑色の瞳で俺を捉えた。


 顔だけ見れば、芸能人や女優と比べても遜色ない。むしろ上回ってすら思える。


 だけど、この2人が……3人が漂わせるドス黒い謎の存在が一体なんなのか気になってしまう俺であった。



 


 



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