第7話 二人の姉妹は獲物を捉える
あれから1週間という時間が過ぎた。今日の俺は少し緊張している。いつも責任を擦りつける上司せいでもなければ、辞めたいと駄々をこねる後輩のせいでもない。
そう。今日は、桐江3姉妹の勤める会社に行く日なのだ。なので、俺は有給休暇を使った。なので、平日なのに俺は会社にいない。ていうか、上司はなんであんなに怒るんだろう。今まで溜まりに溜まった有給休暇を使えば、高校時代の夏休みより休めるぞ。
まあ、いずれ退職するつもりだからどうでもいいけど。
そんな本当にどうでもいいことを考えながら俺は住所が書かれたメッセージに目を通した。
「ここか……」
意識高そうな人たちが働きそうなビジネスビルに入った俺はレガンダという文字が書かれた自動扉に立っている。だけど、扉は動かない。だからしばし待つことにした。そしたら、中から見覚えのある二人がやってきてボタンを押してくれた。
「ゆうにいちゃん!おはよう!」
「ゆう……ずっと待ってた」
「おはよう」
フリルのついた黒いドレスを着ている愛璃咲とショートパンツに白いシャツを着ている千愛。
雰囲気は違えど一つ言えることがある。
とっても美しい。
昔は可愛い印象だったけど、まさかこんなに変わるなんて……
カフェで話していた時は、ちょっと驚いて、この二人をじっくり見る時間も余裕もなかった。
だけど、こうやって二人の姿を見ていると、思わずうっとりとした表情になってしまう。
柔らかい亜麻色の髪を掻き揚げ、赤い瞳で俺を捉える愛璃咲と短い金髪を微かに揺らしてエメラルド色の瞳で俺を見つめる千愛。
甘くて酸っぱい匂いは俺の鼻を刺激し、巨のつく胸は揺れ出す。
「ゆう、待たせてごめんね」
「ううん。きたばかりだから気にしなくてもいいよ」
「ここ、指紋認証だから私たちじゃないと絶対入れないの」
「そ、そうか?」
「そう!愛璃咲お姉ちゃんの言う通り、ここに入れる人は愛お姉ちゃんと愛璃咲お姉ちゃんと私だけだよ!」
「俺、入っていいかな……なんだか3人だけの空間を邪魔するみたいな気がするけど」
俺がちょっと申し訳なさそうに言うと二人は口角を微かに吊り上げた。それから千愛が吸い込まれてしまいそうな視線を送り、口を開く。
「ゆうにちゃん」
「ん?」
「ゆうにいちゃんは特別だから、指紋、登録しちゃおっか」
「と、特別?」
千愛の言葉に若干戸惑いを覚えている俺を見て愛璃咲も言葉を添える。
「そうね。ゆうがここを通れないのはあり得ないんだから」
謎の雰囲気に呑まれてしまいそうなので、俺は深く息を吸って吐く。
ま、まあ……指紋登録くらい別にやっても構わないんだろう。
「ああ……いいよ」
俺の返答を聞いた二人は、色っぽく息を吐き、満足げに笑った。二人の表情を見ていると、なぜかこの前、俺が握り潰したおにぎりが浮んでしまう。
X X X
「へえ……すごい綺麗だな」
服を売る会社だけあった内装には結構気合を入れている。レガンダの専属モデルである千愛が可愛い服を着ている姿が写っているポスターやいろんな植物、そして高そうなオフィス家具。
灰色だらけの俺の会社とは全く違う世界である。
ちなみに今日の愛姉は外回り中。なので、ここには俺たち3人しかいない。
休憩スペースらしきところに案内された俺は、新品のようなソファーに腰掛けた。ちなみにソファーは全部同じモデルだが、三つは使用感のあるもので、残りの一つは新品のようであった。
「ちょっとコーヒー淹れてくるね」
「あ、ああ」
愛璃咲がそう言って給湯室へと向かった。
千愛と二人きりになった俺はちょっと気まずかったので、目を逸らす。けれど、千愛はずっと俺に視線を送り続けていた。
「ねえ、ゆうにいちゃん」
「な、何?」
「今、付き合ってる人いる?」
「な、なんだよいきなり」
「ゆうにいちゃんのこともっと知りたいから」
「……そんなのいないよ」
「そ、そう?」
急に俺の恋愛事情を聞いてきたもので当惑したが、まあ、久しぶりに会ったわけだし、ちょっとストレートではあるが、こういうのもありか。
「そういう千愛ちゃんはどうだ?そんなに可愛いと引くて数多だよね?」
「私?」
俺に聞かれた千愛は、急に暗い顔で視線を外す。それから、昔、あの犯罪者を思い出す時に見せる表情を浮かべて口を開いた。
「そんなヤツ、いない」
「千愛ちゃん……」
やっぱり、あの時のこと未だに気にしているのか。忘れられない悲しい思い出は時としてトラウマになりフラッシュバックすることがよくある。だから俺は、彼女を安心させるべく、語りかけた。
「偉いよ」
「え?」
「辛いことがいっぱいあったのに、こんなに素敵な人になって……なんだか遠くへ行っちゃったみたいで寂しいけど、嬉しい」
「っ!!!!!!!!こんなところで、そんなこと言われたら……」
俺の勘違いかもしれない。「なんだこいつ、キモい」と思われてもしれない。だが、あの表情を見てしまったら、言わずにはいられない。
千愛は急に体をブルブルさせて、立ち上がる。
そして、俺に飛び込んできた。
「ゆうにいちゃん!!!!!」
「千愛ちゃん!?」
「ゆうにいちゃんゆうにいちゃんゆうにいちゃん……」
まるで昔のように俺に甘える千愛の姿を見て俺は気づく。
こんなに綺麗で可愛くなっても、千愛は千愛だと。なのに、俺は線引きして、壁を作って、この3姉妹から離れようとした。
それが美徳であると捉えたから。
でも、そんなのは言い訳にすぎない。
だから俺は、昔のように千愛の頭を優しく撫でてやった。
「私……怖かった……」
「だよね。だって、あんな辛いことがあったんだ。正気を保っているだけでも奇跡だよ」
千愛は3姉妹の中でドがつくほど甘えん坊だった。ことあるごとに俺の家にやってきてはこうやって抱きつく。
見た目は見違えるほど変わったが、彼女の仕草と言動には昔の面影が残っている。そのことに安心感を覚えた俺は、小さく息を吐いた。
だけど、
香水の香り、甘酸っぱい匂い、整った目鼻立ち、俺の胸を圧迫する巨大な二つのマシュマロは、安堵する俺に違和感をもたらした。
極め付けは
「ゆうにいちゃん……」
俺のすべてを飲み込んでしまいそうなエメラルド色の瞳。そこから発せられる視線は、一度も見たことのないものだった。
「千愛」
口を半開きにして千愛を目をずっと眺めていた俺の耳に聞こえてきたのは愛璃咲の声。
「幸せそうな千愛……素敵」
「愛璃咲お姉ちゃん……」
「コーヒー持ってきたわ」
彼女に言われた千愛は、涙を拭って微笑みを湛え、俺から離れる。
俺は無意識のうちに愛璃咲を見ていたが、
コーヒー盆を持っている彼女もまた、吸い込まれてしまいそうな赤色の瞳で俺を
捉えていた。
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