第5話 狩人は焦り出す

「疲れた」


 今日も激務や人間関係で少しストレスが溜まった俺は会社を出た途端、深々とため息をつく。だが、これは絶望によるため息ではない。どちらかというと安堵のため息と言いたいところだ。


 終わりがある。この会社をやめて新しい会社に行く。そんな目標があるだけで、人間はどんな苦難も乗り越えられるのだ。

 

 しかも今日は、約束がある。


 愛姉との食事。


 久々の再会というわけだから今まで何をしてきたのか、幼馴染として知っておきたいだけだろう。それ以上でも以下でもない。


 俺としても、桐江3姉妹があの事故からどんな人生を歩んできたのか多少興味がある。幼い時に絶望を味わった3人がどうしてあんなに輝いているのか、どうしてあんなに明るく笑っていられるのか。それが知りたいのだ。


 なので、今日はちょっと高めのスーツを着ている。


 時刻は18時30分


 待ち合わせ時間が19時だから急がねば。


X X X


 19時02分


 オフィス街の高級レストラン

 

 最初は俺がスマホでおしゃれな店を探していたのだが、愛姉が「お姉ちゃんに任せなさい」というメッセージを送って、予約まで全部やってくれた。こういう時はいいところを見せたいところだが、変に背伸びして醜態を晒したらもっと恥ずかしいので、愛姉に任せる形となった。

 

 レストランの中に入った俺は、あたりを見回す。開発者としてずっと働いていたため、会食は小汚い居酒屋ですることがほとんどだった。なので、慣れない場所にいる俺は小さく息を吐いて、従業員に案内された席に通された。


 そこには、


 黒髪の長いポニーテールにメガネをかけた美女が座っていた。スーツを着ており、整った目鼻立ちとメリハリのある体は実に魅力的で隣で食事をしている男たちが視線をチラチラ送っている。だが、彼女はそんな視線なんか気にも留めず、スリムなノートパソコンと睨めっこしていた。


 だが、俺の存在に気づいた美女は、いそいそとソートパソコンをしまい、手を振ってくれた。俺も手を振って向かいの席に腰掛ける。


「私を待たせるなんて、いい度胸ね。ふふ」

「ごめん、電車のダイヤ乱れてて」

「電車できたの?」

「うん」

「それなら仕方ないね」


 一見、強圧的な話し方のように聞こえる愛姉さんの言葉だが、彼女は昔から大人しい性格だったので、むしろ懐かしさを感じてしまう。


「とりあえず食べてから話そう。私、が空いているの」

「あ、ああ」


 謎の迫力を感じさせる愛姉の言葉と表情にちょっと違和感を感じつつ、運ばれた料理を食した。

 

 途中、俺は食事をしつつ、愛姉の様子を見ようとしたが、爆のつく胸がこれみよがしにその大きさを見せつけていたため、俺はすぐに目を逸らし食べることに集中した。


 やがて、食事を終えてティータイムが訪れる。


「愛姉たちは元気してた?」


 俺の問いに愛姉はコーヒーコップから唇を離して言う。


「うん。今の私たちはとっても元気よ」

「そうか。それはよかった」

「ゆうちゃんと再会できて元気になったの」

「っ!冗談はよせよ……」

「ふふ」


 鮮やかなブラウン色の瞳を細めて俺を見つめる愛姉。その妖艶さはメガネのレンズを介しても色褪せることはない。俺はなんとか誤魔化すために別の話を持ちかけた。


「ところで愛姉たちは何してるの?」

「私たちね……」


 思案顔で言った愛姉は突然ポケットに手を突っ込んで名刺入れを取り出す。そこから一枚の名刺を取り出して俺に渡した。それを受け取った俺は何が書いてあるのかざっと目を通す。


 株式会社レガンダ


 代表取締役社長

 

 桐江愛


「!?」

「数年前に、愛璃咲と千愛と一緒に会社を立てたの。服を売っている小さな会社よ。愛璃咲はここで実務全般、千愛は専属モデルと広報の仕事をやっているよ」

「このロゴと名前……確か駅近のデパートで見たことあるような……」

「そうね。ここから近いデパートでも店があるわ」

「す、すごい」

「ううん。まだ大変なところがいっぱいある」

「いや、本当にすごいよ。俺なんか、どんな会社に転職しようかと悩んでいるのに、愛姉たちは自分の会社を持っているなんて……なんだかスケールが違いすぎるというか……」

「て、転職ですって!?!?!?」

「っ!ど、どうしたいきなり!?」


 愛姉は転職という言葉を聞いた途端、目を丸くし、俺の瞳を穴が開くほど見つめながら聞き返した。


 今までずっと知的で冷静で大人しい雰囲気を漂わせた黒髪のメガネ美人はどうやら動揺しているようだ。

 

 だが、愛姉は次第に表情を変える。頬を桜色に染め、物欲しそうに俺に視線を送り続けている。


 解せない反応に俺は固唾を飲んでから、コーヒーコップに口をつけた。ちょっと気まずい雰囲気になってしまったな。だけど、俺の心の奥底からは安心感が溢れてきた。


 ちゃんと元気よく生きているんだな。愛姉も愛璃咲も千愛も……


 そのことが嬉すぎて、つい頬が緩んでしまった。なので、俺は愛姉にありのままの俺の気持ちを伝えることにした。


「離れ離れになってから、ずっと気になってた。でも、うまくやっているみたいでとても安心したよ」

「っ!!」


 長年、心のどこかで俺を悩ませた問題が解決した瞬間だった。あとは、3姉妹を離れたところから応援するだけ。


 そう思いながら俺は立ち上がった。


 コーヒーも全部飲んだわけだし、もう夜も遅い。


 明日も平日だから、長居してもいいことはない。


 そろそろ潮時だろう。


「ちょっとトイレ行ってくる」

 

 そう言葉を添えて俺は、踵を返してレジへと向かった。


 トイレ行くついでに会計済ませとこう。それからここを出よう。


「え、え!?ちょ、ちょっと……と同じ表情……」

 

 後ろから何か聞こえた気がするが、別に俺の気にするようなことはないだろう。あんなに美人で能力もある。他の男がほっとくわけがない。だから自分を愛してくれる男と出会って、悲しい過去は忘れて幸せに暮らしてくれ。そんな願望を胸にレジに来たが、


「あの……お代は既に彼女さんが支払ってくれましたけど……」

「え?」

「待ちなさい!ゆうちゃん!」


 後ろを振り向くと、息を弾ませて俺を切ない表情で見つめる愛姉がいた。細くて長い足をブルブル震わせて色っぽく吐息を吐いている彼女のブラウン色の瞳は


 俺をに捉えていた。


「行かないで……」

「え?」




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