夢 四

 こんな夢を見た。

 深い夜、深い森の中で迷ってしまった。持ち物も何もなかった。

「——! ——!」

 一緒にいたはずの誰かの名前を呼んでいたのを覚えている。すると、

「迷ってしまったの?」

 どこからともなくそんな声が聞こえた。えっ、と驚いて振り返ると、そこには子供くらいの背の人間が立っていた。夜の樹皮のような暗い色の羽織を着ていて、顔は大きなフードで隠れていて見えない。声は少女のものにしては低いし、変声期前の少年のものにしては高かった。

「こんばんは、月の綺麗な夜ね」

 そう言われて空を見上げてみたが、木々と霧に遮られて月など見えるわけがなかった。

「……?」

 首を傾げると、顔は見えないけれど、おかしそうに笑った気配。

「もう、帰らなきゃいけないのよ。こんなところにいては」

 どう答えていいのか、口をもごもごさせていると、突然空に何かが羽ばたく音が響いた。それも一つじゃない。次々に、次々に、その羽音は増えていく。黒い影が木々の隙間を飛んでいた。やがてそれらは次々に枝に止まっていく。一瞬視覚から色が飛んだ。目を擦りながら少しずつ開けてみると、色が飛んだのではなく、突然明かりがついたらしかった。枝に結びつけられた糸に吊るされた、無数の丸っこいぼんやりと暖色を浮かべる灯。真っ暗だった森を、仄かに柔らかく照らしていた。

 ほー、ほー、鳴き声が聞こえた。枝に止まっているいくつもの影は、ふくろうだった。

「ついてきて」

 振り返りもせず先を歩くのについていく。いろいろなふくろうがいた。丸っこいの、小さいの、大きいの。薄暗い影のように。目だけが明かりを反射して輝いていた。

 一分ほど歩くと、大木が朽ちて横になっている、他に木の生えていない開けた場所に着いた。それでも霧は深く、月明かりは見えなかった。空気中の水に明かりが反射して、空気が橙色をしていた。その大木の、ちょうどいいところを探して腰をかけたのに倣って、横に腰をかけた。

「帰り道がわからないのかしら」

 そう言いながら片手を伸ばすと、一羽のふくろうがやってきて止まった。膝の上に抱き優しく撫でると、心地よさそうに目を瞬かせた。背丈と声は子供のようであるが、口調とその様子を見ると年寄りのようでもあった。

「それとも、帰りたくないのかしら」

 心臓が跳ねた。居心地悪く目をそらすと、別のふくろうと目があった。目をそらすと、また別のふくろうと目があった。観念して向き直って、頷いた。

 ここにずっといられればいいと思った。慣れないけれど、美しいところだと思った。普段生活している街よりは。

「ううん、あなたはここにはいられない。招かれざる」

 不自然なところで切るから気になって見つめると、その場にすっくと立ちあがった。

「いるべき場所に帰りなさい。悪いけど、ここはあなたがいていい場所じゃないわ。何も知らないあなたには」

 拒否する声は、それでも優しげに聞こえた。すると突然、ばさばさっと羽ばたく音が聞こえた。その音を合図に、霧が一気に晴れていく。その小さな背中にはまん丸の月を背負っていた。黒い影のふくろうたちが、それを中心に放射状に飛び去っていく。星々に向かって、森に向かって、地面に向かって、どこへ向かって行くのだろう。どこへ、どこへ。

 置いていかないで。口からそんな言葉がこぼれた。

陰になって見えないけれど、微笑んだように見えた。もはや何も言わず、月を背に立っているだけだった。

あたりを見渡す。ばさばさばさ。羽音はどんどん強くなっていく。声を掛けようと向き直ると、そこには空っぽの月があるだけだった。どこかに行ってしまった。飛び去っていく。ふくろうたちが次々と飛び去っていく。いや、ここは彼らの住処のはずだ。だからきっと、去って行っているのは自分の方なんだ。ゆっくりと、月明かりも、灯も、消えていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る