第16話 整いすぎている鈴徽妃
淋珂達は朝起きてもなお機嫌が悪かった。
「淋珂様、絶対に機嫌の悪さを表に出さないでくださいよ」
「そんなことできる自信がないんだけど」
淋珂は泉喬の注意にため息を吐くと、席を立つ。
一斉に淋珂を着替えさせる女官たち。
彼女たちはあの地獄の時間を味わっていないのだ。
自分たちの苦しみを皆にもおすそ分けしたい、淋珂は生き生きと仕事をしている女官達を力なく見る。
「昨日の事は昨日、今日の事は今日、です」
「貴女も少し苛立っているわよね?」
「何のことですか?」
最悪の雰囲気のまま準備を終える。
女官たちは淋珂達のそんな雰囲気を一切感じることなく去っていく。
自分も女官だったら、そう考える淋珂。
「女官も女官で大変なんですよ?」
「なんでそんな事分かるの?」
「いや、私だって女官ですし」
「・・・、そうだったか」
泉喬の舌打ちが聞こえたような気がしたが淋珂はそれを無視、「さ、さぁ行こう」と言ってその場から逃亡した。
「淋珂さま、あらかじめ言っておくと鈴徽妃はきちんとこの国の高位貴族です。ですから梨澄妃の時とは少し違った思考の持ち主です」
「というと、高慢なアレみたいな風ではないのね」
「それでもって頭がいいです」
「なるほど」
「せめて話すに値する人物という程度に認識はされておいたほうがいいと思いますよ」
今日の泉喬はいつにもまして毒づいている。
しかし他の女官や宦官たちはそんなもの慣れっこだというように、一切無反応で淋珂の後ろについている。
淋珂は梅花宮にも味方はいないのかもしれないと感じながら菊花宮へと向かう。
その途中、「すみません」と声をかけられた。
「どなたですか?」
「私は桃清妃様の女官、
天、か。
確かに桂花宮でそのような名前を聞いた覚えがある。
「どうぞ、お受け取りください」
天は両膝を地面に付けると頭を深く下げ手紙を渡してくる。
そこまでのへりくだり方をされたことのない淋珂は、手紙を受け取るだけという簡単な動作にひどく緊張してしまった。
天の手が震えている。
挙げている手が疲れたのか、桃清妃の手紙がそれほど恐れ多いものだと思っているのか・・・。
しばらく何もしないままでいると、泉喬がしびれを切らしたかのように言う。
「淋珂様、早くお手紙をお受け取りになってください。なんなんですかこの時間は!」
「あ、そうだったわね」
サッと手紙を受け取る。
その途端に天は「ごめんなさい」と言って走って行ってしまった。
どうして天は逃げてしまったのだろう、淋珂にはそれが分からなかった。
しかし泉喬はそれにもちろん気が付いていて、
「天、同じ女官ながら同情します。淋珂様、あまりにかわいそうではないですか」
「なっ、いったい何が?」
泉喬は呆れたような口調で淋珂の前に立ち、ゆっくりと言った。
「天の手が、震えていましたよね?」
「ええ、挙げている手がつらかったのかしら」
「この馬鹿っ、危ない、本音が出るところでした」
「やっぱりあなたが一番昨日の事を引きづっているじゃない」
「私は良いんですよ、私は!」
泉喬は少し声を荒げて言う。
淋珂もそれに動揺しまくって何も声に出せない。
「天は、不安に震えていたのですよ。なぜ手紙を受け取ってもらえないのか、自分が何か粗相をしてしまったのか、そうなったら桃清妃の名前に傷が・・・。とか」
「それは・・・」
淋珂も天の震えの意味を知り、さすがにかわいそうなことをしたと思った。
自分はあまり感じたことのない感情だが、というか不安に震えるという体験をしたことが無かった自分も少し頭が悪かったか、と思う程度には反省した。
「手紙は、いつ読むべきだと思う?」
「一応梅花宮からは出てしまっていますし、ですが相手は第一妃。難しいですね」
泉喬と淋珂は頭を悩ます。
今から鈴徽妃へと挨拶に行った方がいいのか、まず桃清妃の手紙を読むか。
手紙が緊急だったらどうしようか、鈴徽妃が時間に厳しい方だったらどうしようか。
そんなことを悩みに悩み、結局先に鈴徽妃へ挨拶に行くことにした。
もし緊急のようならば、手紙でなく直接使者が来るはずだという結論に淋珂達も納得したためだ。
手紙を懐にしまい、菊花宮へと歩みを進める。
とうとう菊花宮に到着した。
見事なほどに何もない広場の奥に屋敷が立っている。
その前には女官が整列して並び、淋珂達を見ている。
「整いすぎていない?」
「はい、整っていますね」
「石畳も整ってる」
「鈴徽妃は、とにかくそういうところが気になるお方なのです」
だとしたらなぜ明香妃の味方なのだろうか。
嫌な感じはしなかったとはいえ、明香妃の蘭花宮はいわば混沌。
花々が咲き乱れる宮殿に住む方だったはずなのに。
淋珂は、かなり気になった。
鈴徽妃の菊花宮を見たことでなおさら気になる。
「淋珂様、頑張ってください。王様は、淋珂の後宮での安寧を願って勅令を出されたのです」
ホントはその逆だろう、とのどまで出かかった言葉を飲み込む淋珂。
安寧などこの後宮には存在しないのだろう、そんなことはとっくに分かっている。
淋珂はもう諦めているのだ、こっそりと今までやってきたような暗殺をするだけでは今の自分の状況は切り抜けられない、と。
「やるだけやってみる」
「やるなら失敗は許されないですよ」
泉喬は、淋珂様が消えたら自分はまたあそこに・・・。
そう心の中で考えてはいたが絶対に声には出さない。
泉喬は二度と戻りたくないのだ。
あの王にこき使われるだけの地獄に。
「さぁ、いきますよ」
「分かってるわ」
淋珂と泉喬は菊花宮宮内に通された。
宮内は左右対称、置かれている物はきちんと整列されており光を反射している。
そしてその最奥に置かれた椅子に、鈴徽妃は座っていた。
衣服こそ絶対に左右対称にはならないものの、簪も左右同じ格好をしている。
一体どのようにして刺しているのか、淋珂は疑問に思った。
「貴女が淋珂妃ですか。はじめまして」
「初めまして、犀淋珂と申し「分かっているわ」」
言葉を遮られムッとする淋珂。
しかしそれを悟られないように「そうでしたか」と引く。
梨澄妃とは違った人間の見下し方をしているのだろうか。
それとも誰にでもこのような態度なのか。
「これからよろしくお願いします」
「私は私の邪魔をする人間以外に無駄に対立関係を作りたくないの。其れこそ無駄でしょう?だから一応その”よろしく”は受け取っておくけれど、私の邪魔をするようなら容赦はしないから。私が王様のお子を授かる、その邪魔をあなたはしないでね?」
「え、あっ・・・」
「いいわ、よろしい。もう行ってくださる?大丈夫、私は貴女を嫌ってはいないわ、そして好いてもいない。貴女は梨澄妃がお好きかしら?それだけ、一応聞いておくわ」
話しが終わる感じだったのに急にすごく怖い質問が・・・。
淋珂はひどく動揺する。
今ここで「好きですよ」と言えば、鈴徽妃の性格上絶対の嫌われる。
しかし「いいえ、嫌いです」なんて言ったら確実に梨澄妃を敵に回す。
劉様はどっちにも好かれず嫌われるなと言っていた。
「無理難題じゃない・・・」
「何か言った?早く答えてくれないかしら」
「・・・。こ、好意というものは沸きませんでした。しかし悪い気持ちも同じです」
「そう、まぁまだ後宮に来て日が浅いものね。淋珂さん、私はね、梨澄妃と違って身分や家柄で人間を見ることはしないわ。私はその人の頭・の・良・さ・、ただそれだけで人を評価している。貴女が梨澄妃のようにならないことを祈るわ」
かすかに口角を上げて言う。
それから部屋からいなくなってしまった。
淋珂と泉喬は再び淋珂の部屋で脱力していた。
「泉喬、この疲れは一体何なの?」
「おそらく鈴徽妃の醸し出す雰囲気の所為かと」
「雰囲気、か」
「それにしても最後の質問、ドキドキしましたよ」
「私だってそうよ」
梨澄妃の時ほどではないが、淋珂と泉喬は疲れを感じていた。
精神的な疲れが肉体の疲れを幻覚させる。
泉喬が劉に今日の報告をしに行った後、淋珂はすぐに眠ってしまった。
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