第15話 重なる面倒

明香妃との挨拶が終わり、淋珂は脱力していた。


周囲の人間が明香妃のことを過剰に悪く言っていた為、変に力が入りすぎていたのだ。


実際に会ってみたら、蘭花宮に




淋珂自身、なぜか明香妃と会うまでは蘭花宮に何とも言えない気持ち悪さを感じていた。


それなのに何故気持ちが悪いと思ったのか、それが分からないのだ。


今思い返してみると、そんな感情を持つ間などない。




「淋珂様、失礼します」




泉喬が部屋に帰ってきた。


手にはなぜか竹簡を持っている。




「淋珂様、異例の事態です」


「そんな落ち着いた抑揚のない声でその台詞を言われても、ね?」




泉喬は腹が立つほど大きなため息をこぼし、淋珂の前に立つ。




「これは本当なら景躁けいそう様がやらないといけないことですが、私が代わりにやらせていただきます」




景躁、誰だったっけ。


淋珂は記憶を探る。


そしてようやく思い出した。




「存在感の無い人か!」


「景躁様のことをそんな風に言っては駄目です。あの方は国王様の秘書官なんですから」


「・・・、なんて?


「国王様と共に国を動かしている方です。」




そこまで大それた人ならば言ってくれればよかったのに、と思う淋珂。


景躁本人から自己紹介されたことすら欠片も覚えてはいなかった。




「犀淋珂、王様からの勅令だ」




急に変わった口調に口を閉ざす淋珂。


そんな淋珂を前に、泉喬は続ける




「頭を低く、謹んで承りなさい」




取り敢えず頭を下げてお辞儀をしたような姿勢になる。




「片膝を地面につけて下さい」




泉喬に注意をされた。


何故泉喬にそんな事をしなければならないのかは分からないが、仕方がないため従う。




「犀淋珂、今日より4日の間に梨澄妃、鈴徽妃への挨拶を済ませる事。しかし、そのどちらにも気に入られず、嫌われない事」




泉喬は竹簡を巻いて紐を結ぶ。


そして両手で淋珂に差しだしてくる。


淋珂もよく分からないなりに竹簡を受け取る。




「ありがたく頂戴します、と言ってください」


「ありがたく頂戴します」


「はい、おしまいです」




急に泉喬の雰囲気が変わる。


一体さっきのは何だったのか。




「そういう事なので、さっそく明日と明後日は続けて挨拶に行きましょう」


「どういうことなの?」


「勅令に逆らったら駄目なんですよ」




その勅令というモノの内容がまた面倒臭いものだ。


淋珂は目を瞑って泉喬の肩を持つ。




「いきなりすぎない?」


「仕方のない事です。これからに関わる事ですし」


「また、今日みたいな事をしなければならないの?」


「何なら今日よりも難しいですね」




さらっと簡単に言う泉喬。


貴女は何もやらないじゃない、と言い返したくなる淋珂。


しかしそれを言う前に、泉喬は部屋を出て行った。




「自分勝手がすぎないか?劉様も、泉喬も」


「仕方のない事です」




いきなり(陰)が現れた。


淋珂を諭すようにそっと言葉をかける。


それでも淋珂は納得できない。


どうして後宮に入った途端に、こんなことばかりをしなければならないのか。


しかも他人に気を使い続けなければならないのか。




「王様も、いろいろ考えているのですよ。人との関係づくりはとっても大事なことですよ?」


「そうかもしれないけど、やる気は起きないし」


「挨拶が終われば、当分このような面倒事はやってきません。ですから、ね?」




(陰)は親身になってくれているのだろう。


たぶん。


しかし、やはり暗殺者である淋珂は他人と気を使って話すという事に常人の何倍も疲労していた。


そしてこれから会いに行く2人とは仲良くも、悪くもなってはいけないのだ。


ただでさえ気を遣う事にさらに難題を突き付けられ、淋珂は劉を蹴飛ばしたくなっていた。




「暗殺対象に劉も加えるか・・・」


「それが出来なかったからここにいるんですよね?」




会話が終わり、淋珂は食事をとっていた。


机に置かれた料理は、野菜や魚、肉がふんだんに使われた数々の品。


一品ずつの量がくなくとも品数が多いため、後宮に入って間もない淋珂にとって多すぎる食事だ。




「(陰)、何か食べる?」


「いいえ、ご自分でお食べください」


「でも多すぎる」


「それならば残せばいいのでは?」


「もったいないでしょう?」


「確かにそうですけど・・・」




(陰)は言い淀んだ。


食べ物を残すという事については(陰)も思うところがあるようだ。




「分かりました、一応もらっておきます」




料理をお皿ごとどこかに持って行った。


しかしこれはいつでもできるわけではない。


今日は泉喬が食事中淋珂の近くにいなかった。


他の女官たちは部屋の中にまで入ってくることを許可されていない。


誰も見ていない空間でだからこそ出来る技だ。




「いつでも人が近くにいるっていうのも、疲れるものだ」




久しぶりに一人で食事をとる今、改めて一人の楽さを実感している。


しばらくして、(陰)が空の皿をもって帰ってきた。


恐らく誰かが食べたのだろう。


もしや桃清妃が、と思った淋珂。




「桃清様には渡しませんよ」




呆れた声で、(陰)に否定された。




食事が終わると淋珂は寝台に腰かける。


そして(陰)に質問をした。




「嫌われず、好かれない。これほど難しいことはある?」


「ありませんね」




(陰)は間髪入れずに答えた。


「当たり前、か」淋珂はため息を吐く。


地仙であっても他人との会話は難しいと思うのか。




「何か助言してくれない?」


「そうですね・・・。無害と思われればいいのです。ですから・・・、淋珂様に何も教えないことが一番の得策かもしれないですね」


「馬鹿にしているの?」


「いえ、貴女の無知が役に立とうとしているのです」




やはり遠回しで馬鹿にしているのか?


淋珂が(陰)にらんだ時、もうそこに(陰)はいなかった。




あっという間に時は過ぎる。


先程明香妃と話したかと思ったら、もう夜が明け朝になっている。


今日は第二妃、梨澄への挨拶があるのだ。


昨日のアノ会話以降、(陰)は淋珂の前に現れなかった。


(陰)の言うところの”いろいろと忙しい”のだろう。


一体地仙というのはこんなにも落ち着かない存在なのだろうか。


仙人と言っても、様々なのか。




「淋珂様、頑張ってくださいね」




抑揚のない声で泉喬が言う。


一切心がこもっていない。


こっちは感情を覚えて今まで何も感じなかったことに敏感になっているというのに、それと真逆で心のこもっていない言葉しか泉喬の口から出てこない。


心なしか此方の感情の豊かさと泉喬の感情の豊かさが反比例しているように思えた。


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