第13話 明香妃への挨拶
「淋珂、お前、絶対にヘマをするなよ?」
翌日、淋珂は起きて早々に劉から釘を刺されていた。
朝に泉喬が起こしに来たかと思ったらその背後に劉がいるという心臓に悪い状況のまま、劉に捲し立てられる淋珂。
半分寝惚けた頭でその話を聞いていた。
「いつもどーりやれば良いんでしょ?」
「お前はいつもと言えるほど経験を積んでいないだろう」
劉も淋珂が寝惚けていると気付き話を中断する。
そして頭を抑えた。
「お前が一番危ないんだぞ?」
「そんなことは分かっているけど・・・」
「けど、何なんだ?少しは緊張感を持ったらどうだ」
淋珂は目を擦りながら劉を見て目をそらした。
「其れを持って眠れなかったって言うのも、ね。それを明香妃に気付かれたらダメでしょ?」
「それはそうだが・・・」
言いたいことははっきり言ってもらいたい、そう思う淋珂。
劉はそんな淋珂を見て諦めるように言った。
「桃清の時のようなものを想像しては駄目だぞ?周囲にいる女官や宦官はすべて敵。たとえ泉喬と二人だけだと思っても、どこで誰がその話を聞いているのか分からない。そんな場所にお前はこれから向かうのだ」
「そうですよ、淋珂様。蘭花宮はとっても怖いところです。それだけは知っています」
劉と泉喬に半分叱られている気分の淋珂。
何故そこまで言われなければならないのか。
(陰)に自分に自信を持たなければならないといわれたのだ。
多少の緊張は克服しなければならない。
そんなことを淋珂は考えていたのだが、
「淋珂様、明香妃へ挨拶へ行くときはさすがに緊張してください」
早速(陰)に裏切られた気分だった。
「どうして?自分に自信を持てって」
「それはそれ、これはこれです。今から挨拶をしに行くのはこれからあなたが仕事をしていく上で最も敵に回してはいけない人間です。もちろん彼女はもう桃清様と敵対関係にいることはいますが、直接手出ししてこないのは弱みを握らせていないため、大義名分を与えていないためです」
いつも以上に熱心に語る(陰)。
淋珂はそんな(陰)を見て、徐々に緊張してきた。
「つまり少しでもミスしたら?」
「明香妃から身を守りながら、その他の危険因子を排除するしかありません」
逃げ場がなくなる、という事か。
しかも桃清妃を守りづらくもなる。
淋珂が近づくことによって、明香妃に何か大義名分を与えてしまう可能性がある。
そうなると桃清妃が危なくなる。
「つまり、今日の挨拶次第でこれからの仕事のしやすさが大きく変わってくる、という事か」
「はい、一番良いのは馬鹿だと思われることですね」
いきなり素っ頓狂なことを言い出した(陰)。
そんな(陰)に淋珂は徐々に不信感を覚えていた。
実は泉喬の地仙版なのでは、と。
「兎に角、今日は貴女を手伝えませんから」
「どうして?」
「他にもやる事がいっぱいなんですよ。出来ればお近くに居たかったのですが、仕方のない事です。私は淋珂様を信用していますからね」
さらなる重圧をかけてくる(陰)。
果たしてそれは無意識なのか、意識しているのか。
どちらにせよ淋珂はどんどん緊張していた。
「では淋珂様、向かいましょう」
泉喬が呼びに来た。
その頃にはいつも通り(陰)は消えており、その所為か余計にガチガチになっている。
「行かないと言う選択肢は?」
「成る程、馬鹿という演技をするのですね」
ニッコリと笑う泉喬。
どうやら冗談として受け流すようだ。
その場が凍りつくような冷たい雰囲気を放つ泉喬は、まるで魔道まどうでも修めているかのよう。
「仙人と敵対したりしていない?」
「そんなに役に入らなくても良いんですよ?」
より冷たい雰囲気になった事を流石に淋珂も察して黙った。
「準備は、良いですね?」
「あ、あぁ」
「こ、と、ば、づ、か、い!」
「はい!」
「そんな事ではいつボロが出るのか怖くて堪りません。ちゃんとしてください」
無茶な事を言わないで欲しい。
緊張しろだの落ち着けだのとコロコロと変わる意見。
一体何が正解なんだ、そんな事が頭の中を埋め尽くす。
「行きますよ」
泉喬は淋珂を蘭花宮へと連れて行く。
その途中多くの女官や宦官の視線を感じる。
果たしてそれが好奇心に依るものか、はたまた敵対心に依るものかは分からない。
淋珂は泉喬に手を支えられながら 堂々と、歩いた。
周囲の視線はそれでも淋珂にとって居心地の良いものではない。
それは泉喬も感じており、いつもより少し早歩きで先へと進んだ。
「おはようございます」
蘭花宮の門前に、一人の女官が立っていた。
淡い黄色の衣を着た女官。
その女官を挟むように立つ水色の衣を着た宦官が此方を睨んでいる。
「ご案内いたします。どうぞこちらへ」
女官はくるりと背を向けると蘭花宮内部に向けて歩き始める。
蘭花宮には色とりどりの花が咲き乱れ、統一感の一切無い花々は妙な気持ち悪さを感じさせた。
屋敷を囲むように作られた池の中には大小様々な魚が泳ぎ、赤銀色に光る魚や全身黄色い魚等、今まで見たこともないような物ばかり。
その時点で、淋珂は明香妃への警戒度をまた強めた。
「明香様、淋珂様が御到着です」
その女官が扉に向かって言うと、静かに扉が開いた。
様々な花の香りが淋珂達を包む。
蘭花宮の内部にも様々な花が咲き乱れ、全身を黒い衣で覆った人間が五、六人その中に潜んでいる。
泉喬はそれに気が付いていなかったが、淋珂はそれに気が付かないふりをしながら女官についていく。
「初めまして、淋珂妃」
明香妃は蘭花宮の最奥の椅子に座っていた。
その隣で男が座りながら眠っている。
花の咲き乱れた屋敷に明香妃と男が寝ているという状況を目の当たりにし、淋珂は絶句していた。
「貴女が、劉の新しい妃よね?」
「あ、はい」
明香妃は安心したように「よかった」と言い微笑む。
それから昼食を共に取り、椅子に座り話をした。
ここまで淋珂は明香妃に対して全く悪い印象を持たなかった。
むしろとても優しく、まったく悪いところなど分からない。
何故劉が明香妃を嫌っているのか。
ただ、あまりに隙が無さすぎるというというところ以外、何の違和感を持たなかった。
「ところで淋珂さん、後宮はどう?」
「どう、とは?」
「不自由していない?ほら、婚姻の儀の時はとても危ない思いをしたでしょう?」
「あぁ、そのような危険なことは一度も」
明香妃は「ならいいわ」と微笑み淋珂を見た。
「桃清妃は、どう?何か悪さしてない?」
どうして桃清妃が?
淋珂は明香妃の質問に違和感を覚えるものの、「優しくしていただいています」と答えた。
それを聞いた明香妃は顔色一つ変えず、ただ一切抑揚無く「そう」といった。
まるで温度が消えたように淋珂は感じた。
「これからも、仲良くしましょうね?」
「ええ、よろしくお願いします」
桃清妃についての質問の後、すぐに淋珂は明香妃と別れた。
別れ際に一つ、透明な石が入った袋をくれた。
明香妃曰くお守りらしい。
それをありがたくいただき梅花宮に戻った。
「淋珂様、お帰りなさいませ」
泉喬とは屋敷の外で別れた。
明香妃との会話の内容を劉様に伝えるらしい。
ひとりで部屋にいると、少し離れたところに(陰)が現れた。
「淋珂様、桃清様が念のためにその石は預かるとおっしゃっています」
「どうして?」
「念のため、と言えば聞こえがいいですが、貴女はまだ知らなくてもいい事です。その石を袋ごとその箱に入れて私に渡してください」
(陰)は懐から握りこぶし程の大きさの箱を取り出した。
それを淋珂から少し離れた場所に置く。
「入れたら呼んでください」
(陰)はそのまま消えていった。
淋珂は箱の中に石を入れると、(陰)を呼んだ。
(陰)はその箱を持って再び消える。
何故桃清達がそこまで明香妃を恐れるのか、淋珂には分からなかった。
唯一心に残っていることと言えば・・・。
「なんだったっけ?」
淋珂は何かを花々の中に見た筈だが、なぜかそれを忘れてしまった。
そしてそれを全く気にならなかった。
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