第5話 壬莉の想い
私は、桃清様のことが大好きだ。
あの方は優しくて、桂花宮内にいるすべての女官や警備用の宦官にまで気を遣う。
そして王様の寵愛をその一身に受けられている女性の鏡。
だからこそ、多くの人に狙われてしまうのだ。
「壬莉、どうしたの考え込んで。」
「あ、いえ。」
桂花宮の中庭で一人、桃清様からのお役目を待っていると、桃清様が私に声をかけてくださった。
しかし正直に「あなたのことが心配で。」と言ってしまうと、桃清様のことだ。
「私の所為であなたにまで心労をかけてしまったのですね。」とご自分を責められるに決まっている。
「どうしてそんなに悩んでいるのか、よかったら教えてくれないかしら?」
「それは・・・。そう、何か仕事は無いかな、と考えていたのです。」
「あら、そうだったの。仕事熱心なのはいいことだけど、きちんと休んでね。」
「ありがとうございます。」
少し苦しいかと思ったごまかしが何とか通り安心した。
今の桃清様は、ご自分の身がどれだけ危険な状態に置かれているのかを知らない。
王様直々の命で、桃清様が怖がらないようにお伝えしていないのだ。
そのため、桂花宮にいる女官の数人は、腕利きの元国直属の諜報部隊員だ。
其れだけ王様は、桃清様にお気を使われている。
とても繊細な桃清様を心配させるわけにはいかないのだ。
「そうだ、壬莉。一つ頼まれてくれない?」
「なんでしょうか。」
「梨澄さんのところに枇杷を届けてほしいの。この前桃を送っていただいたでしょう?」
「了解しました。数個見繕って持っていきます。」
「お願いね。」
桃清様はご自分の状況を分かっていらっしゃらない。
第二妃、梨澄妃と第三妃、鈴徽妃が実は命を狙っているという事も、知る由は無い。
実際、梨澄妃から送られてきた桃は、見えないところを虫が食っていた。
これはただの事故ではない。
おそらく意図的に、桃を汚したのだろう。
同様の嫌がらせを鈴徽妃からも受けているのだ。
しかしこのお二方は明香妃のお気に入り。
たとえ劉様に直訴してもどうにもならないのだ。
「星羅、食物庫から籠と枇杷12個を見繕って持ってきて。」
「はい。」
星羅は元諜報員の一人で、主に食物の検査をしている。
桂花宮の食物庫番だ。
彼女は幼いころから毒を食べていたらしく、常人には持ちえない毒への耐性がある。
「壬莉様、お持ちしました。」
「ありがとう。」
星羅にお礼を言うと梨澄妃のいる蓮花宮へと向かった。
蓮花宮は桂花宮の正反対にある。
その間に王宮があるため、明香妃のお屋敷、蘭花宮の前を通り鈴徽妃のお屋敷、菊花宮の前を通らなければならない。
とんだ大回りではあるものの、それしか後宮内に道は無いため、こっそりと後宮の敷地を出て後宮の外から移動するようにしていた。
コレを梨澄妃や鈴徽妃の女官に勘付かれると、多少厄介なことになるものの、彼女たちの女官は運動が出来ない。そしてまず日に当たりたがらないお高く留まったヤツらだから、バレる心配も少ない。
私は出来るだけ大きな動きをしたくない。
それが桃清様の弱点、もとい梨澄妃、鈴徽妃の付け入るスキを与えてしまう可能性があるからだ。
出来る限り速足で蓮花宮に向かう。
「あら、壬莉様。お久しぶりでございます。貴女の主は何かの病ですの?」
「いきなり何を言うのですか、旬恋。」
「だって、後宮内で桃清様をお見掛けすることがないのですもの。梨澄様は毎日夕暮れ時になると後宮の周りをお歩きになるの。健康のため、そして美しさのためにね。それなのに一度もお会いすることがないので何かのご病気なのか、と思った次第でございます。」
分かり易すぎる挑発に壬莉は笑顔をひきつらせる。
いくら長い間桃清様に支えていたとしても、このような類の挑発には慣れないものだ。
「桃清様はそんな事をせずとも健康で、お綺麗なのです。しかし、梨澄様の健康、美意識には感心します。そしてコレは桃清様から、この前の桃のお返しです。美しい瑞々しい桃をありがとう、との事です。」
「そうですか、有り難く受け取りますわ。桃清様によろしくお願いしますわ。」
旬恋は不機嫌さを前面に出しながら蓮花宮へと戻っていった。
桂花宮から出ると、いつもこの調子で桃清様を馬鹿にする女官たちに絡まれるのは、私にとっては本当に嫌な時間。
本当なら桂花宮から一歩も出ないで桃清様をお守りしたい。
人生というのは、本当にうまくいかないものなのだ。
桂花宮に帰ってくると、女官たちがざわざわとしていた。
私が外出している間に桃清様に何かあったのか。
そんな考えが頭をよぎる。
「そんなにざわざわとして、何かあったのですか?」
「実は、隣の梅花宮に新しい妃が入ったらしいのです。確か名前は・・・。」
「淋珂様、だよ。」
女官の背後から声がした。
「あら、
珠佳は常時後宮内の情報を集めて回る元諜報官の一人だ。
「あぁ、まぁ。にしても淋珂ってのは、なんか匂うんだよなぁ。」
「いったいどういう事?」
「いや、最近の王様は桃清様を守るために一歩も外出なさらなかったのに、このタイミングでいきなり第四妃を娶るか?」
「確かに・・・。」
明香妃の回し者なのか?
それともまた別の勢力の刺客か。
「怪しいわね。」
「あぁ、まぁそんなとこだ。」
珠佳は私に手を振ると、またどこかへ行ってしまった。
今まだ中に淋珂妃がいるのか。
それだけでも背中がゾワリとした。
ただでさえ大きすぎる敵がいるこの後宮に、また新しい(何か)が入ってきた。
万が一にもないとは思うけど、王様をたぶらかしたのか、また別の方法を使ったのか。
とにかく淋珂妃を最も注意深く見ていなければならない。
少しの間外で待っていると、王様が退室なさった。
しかし問題の淋珂妃はいない。
気になって平然を装い屋敷に入る。
「桃清様、ただいま戻りました。」
「ありがとう、壬莉。そういえばお隣の梅花宮に新しいお妃様が入るんだって。淋珂さんと言ってね、とってもきれいな人だったわ。しかも劉様が彼女は私を守るために迎え入れた、なんていてるの。不思議よね。」
「そ、そうなのですか。」
なぜ王様は桃清様にそんなことを言ったのか。
そしてどうして桃清様は少しの危機感もお持ちにならないのか。
やはり私がしっかりしないと。
「そうだ、壬莉。淋珂さんに一通手紙を届けてくれない?もしかしたらそこに劉様がいるかもしれないけど、劉様には読まないでって言っておいてね。」
「分かりました。」
桃清様はにっこりと微笑むと、書棚から紙を取り出し筆を出した。
書をされる桃清様はとても美しく、墨汁を含んだ筆が優雅に紙面を滑る。
「では、お願いね。」
「はい。」
桃清様は桃の花をあしらった絵を描いた紙でその手紙を包み私に渡す。
本当ならこの手紙を開いてみてみたい。
しかしそれをすると桃清様を裏切ることになる。
しかし、王様にも言えないことが書かれているとはいったい何をお伝えになるのか。
考えれば考えるほど分からない。
梅花宮に着くまでずっと葛藤していた。
梅花宮は、まだ完全に妃を迎え入れる準備は出来ていないようで、女官や宦官の出入りは無かった。
しかし、ここまで誰も出入りしないものか。
そこが非常に気になった。
王様がまだ梅花宮に人をやっていないのかもしれない。
そう考えると、淋珂妃に対する不信感がみるみると育っていく。
気が付くと私は無意識に梅花宮の屋敷の扉を開けていた。
自分の淋珂妃への不信感が募りに募った結果だろう。
「桃清様から淋珂様へのお手紙です。」
こうなったら思っていることを淋珂妃に直接言ってしまおう。
それが淋珂という未知の人間に対する牽制となるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます