129 7月2日(日) 僕の『草枕』体験

『山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情にさおさせば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』


 以上は有名な夏目漱石の『草枕』の冒頭だ。ネットで調べると、『智に働けば・・』以降は次のような解釈になっている。


 『理知だけで割り切っていると他人と衝突する。個人的な感情を優先させれば、足元をすくわれてしまう。意地を通そうとするとがんじがらめになってしまう。何にせよ世間は生きづらい。』


 さて、僕は1年の入退院期間を終えて自宅で療養中だ。実は入院中に、僕が所属している某団体の代表からメールが来て、退院したらその団体の世話役をやってくれないかと要請されたのだ。そこは親睦的な意味合いの強い団体なので、世話役といっても報酬はない。つまりボランティアだ。代表が言うには、世話役をやってくれる人がいなくて困っているので、ぜひ引き受けてもらいたいということだった。


 入院中だったが、僕は僕のような者でもお役に立つならと思って、世話役の話を引き受けたのだ。代表が困っているなら助けてあげたいという気持ちだった。ただし、いつから世話役をやるかは、退院後の調子を見て相談させてくださいとお願いをした。


 すると、最後の入院を終えて自宅療養が始まったら、その代表から「そろそろ世話役を頼む」と再三の要請があったのだ。ここで、僕は困ってしまった。


 今までの退院ならば、2週間も自宅で療養すると体調が元に戻った。が、今回の自宅療養ではなかなか体調が元に戻らないのだ。医師からも「最後の入院では極めて強い薬を使うので、退院後の自宅療養でも数カ月は薬の影響が残って苦しい思いをすることがある」と聞かされていた。


 僕の場合は幸い『苦しい思い』というところまではいかないのだが、体調が普段の60%ぐらいまでしか回復していない状況が続いている。とても世話役をするような状況ではないのだ。


 僕は世話役を引き受けたことを後悔した。だが仕方がない。こんなに体調が回復しないなんて僕には予測できなかったのだ。


 そこで、「体調が回復しないので、申し訳ないが世話役の話を辞退させてもらおう」と僕は思った。ただ、世話役を引き受ける人がいないということなので、辞退しても代表から「体調は回復したか? いつからなら世話役を引き受けてもらえるか?」といった問い合わせが頻繁にくることが予想された。元気なときならともかく、体調が回復しないときに、こういった催促を受け続けるのもつらい。


 それで、その団体もいったん退会させてもらうことにした。体調が戻らないうちは、どうせその団体の行事に参加できないのだ。迷惑が掛からないようにその団体も一旦退会することにしたというわけだ。体調が戻ったら、再び団体に加入させてもらえばいいと思った。


 僕はその旨を相談するメールを代表に送った。だが、それだけでは分かりにくいので、自宅療養での状況や今後の治療などの事実をありのままに書き足した。


 すると、代表から返事が来た。それを読んで僕はびっくりしてしまった。「あなたが自分の病気のことを心配する気持ちは分かる。でも、それはあなたの心の中の問題に過ぎない。あなたの心の中の問題だから、あなたが好きにすればいい」と書かれていたのだ。かなり批判的で投げやりな書き方だった。


 僕は今の自分の状況と今後の治療などを極めて客観的に書いたつもりだった。病気の心配をしているなどということを書いた覚えは全くないのだ。


 でも、僕は困惑したり、代表に怒りを覚えるといった気持ちにはなれなかった。世の中はこんなものだと思ったのだ。どういうことかと言うと、努力して『10個』を人に伝えようとしても、人にはそのうちの『1つ』か『2つ』しか伝わらないのが普通だと思うのだ。


 僕は『人は他人の話を聞いても、自分が経験したこと以外は理解できない』と思っている。


 人は他人の話を自分の経験に照らし合わせて判断していると思うのだ。だから、他人の話の中で自分が経験したことがあれば、すぐに感情移入ができるし、内容も理解できる。しかし、自分が経験したことがない話は容易に受け入れることが出来ないのだ。ここで、『経験』という言葉には、自ら実体験したこと以外に、人から教えられたことや本で読んだことなども巾広く含まれる。


 つまり、僕が『10個』を誰かに伝えようとしても、その人と僕の経験が重なるのはたいてい『1つ』か『2つ』ぐらいなので、その人に理解できるのは『10個』のうち『1つ』か『2つ』しかないということだ。


 代表の話で言うと・・・普通の人は「病気が完全に治ったから退院した」と理解するだろうから、代表には僕の「退院後も体調が戻らない」という話が充分に理解できなかったと思うのだ。それで代表は、その部分を自分が理解できる「僕が病気の心配をしている」とか「僕の心の問題だ」という内容に置き換えて解釈したのだ。


 こういうことはよくある。だから、いちいち腹を立てても仕方がない。逆に、僕自身も同様なのだ。人の話を聞いても、僕には、その人が本当に言いたかったことの1割か2割程度しか理解できていないのだろうと思うのだ。


 で、結局、僕は世話役の辞退とともに、その団体も退会させてもらった。


 しかし、この経験って冒頭の漱石の文そのものですね。


 つまり・・・


 『智に働けば角が立つ』・・・自宅療養や今後の治療の話をありのままに伝えても、代表が僕の病気を経験していないので、大部分が伝わらず『角が立つ』ことになってしまった。


 『情にさおさせば流される』・・・逆に情にさおささず、世話役の話を引き受けたら、代表から「そろそろ頼む」という催促を受けることになってしまった。


 『意地を通せば窮屈だ』・・・僕の意志である辞退と退会を相談したら、批判的なメールを返された。


 まさに『とかくに人の世は住みにくい』なのだ。


 僕には漱石の『草枕』の冒頭の多くは、『人は他人の話を聞いても、自分が経験したこと以外は理解できない』ということから派生する事象だと思えてならないのだ。


 こうして『草枕』の冒頭を実体験できたことが、僕のよかったこと。。。


 ところで、皆様は『人は他人の話を聞いても、自分が経験したこと以外は理解できない』といったご経験をされたことはありますか?

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