130 7月5日(水) 寝台急行銀河のサスペンス
テレビで『寝台急行銀河』を舞台にした2時間ドラマをやっていた。昔のサスペンスドラマの再放送だ。
で、急速に記憶がよみがえってきた。何を隠そう、ボクは昔『寝台急行銀河』をよく利用していたのだ。
さて、皆様は『寝台急行銀河』をご存じだろうか?
『寝台急行銀河』は東京と大阪を結ぶ夜行列車だ。確か23時か23時半ごろ、東京を出発して、大阪に翌朝の7時ごろに着くのだ。ここで「えっ、今は新幹線で東京ー大阪間が2時間半なのに、そんなに時間が掛かるの?」と言ってはいけませんよ。
JRの人が雑誌に書いていたのだが、本当はもっと早く大阪に着けるのだそうだ。でも、朝の3時や4時に大阪に着いて「さあ、降りて下さい」って言われても、乗客は困ってしまう。まだどこも店が開いてないし、乗り換えるにしてもまだ始発が走っていないからね。そこで、大阪に翌朝の7時ごろに着くようにわざと調整して、ゆっくりと走っているというわけだ。だから、『寝台特急銀河』ではなくて『寝台急行銀河』なのだね。
ボクはエンジニアという仕事柄、出張が多かった。それで、よく『寝台急行銀河』を利用した。だって、すごく便利なのだ。まず東京発が23時か23時半なので、東京でギリギリまで仕事ができるし、時には仲間と一杯やってからでもゆっくりと列車に乗れるのだ。後は寝ていたら勝手に大阪に着く。大阪も朝7時ごろに着くので、9時から仕事だとしても、どこかでゆっくりと朝食を取ってコーヒーでも飲めるというわけだ。移動に長時間かかっても、移動時間のほとんどは寝ているわけなので、長時間の乗車という気は全くしない。だから、以前は『寝台急行銀河』は出張の人たちや京阪神に遊びに行く家族連れなんかでいつも満員だった。
でも、そんな『寝台急行銀河』も次第に乗客が減っていって・・・いつしか廃止になってしまった。
で、ボクが東京から大阪まで初めて『寝台急行銀河』に乗ったときのことだ。
ネットで調べると、『寝台急行銀河』の寝台車両にはさまざまな種類があったようだが、そのときボクが乗ったのは、通路の両側に、2段になった寝台ベッドが並んでいる車両だった。各寝台ベッドは長方形で、長い方の辺が通路に向くように配置されていた。寝台ベッドにはもちろん扉などはなく、そのベッドの長辺の部分にカーテンが設置してあって、そのカーテンを引いて通路と
さて、その日、ボクのベッドは2段になった寝台ベッドの下の段だった。ボクの上のベッドと通路の向かいの上下のベッドに寝るのは、お母さんと20代前半とおぼしき二人の娘さんの三人組だった。二人の娘さんはかなりの美人だ。
列車が東京駅を出発すると、ボクはカーテンを閉めてベッドに横になった。そして、駅で買ったお酒をちびちびと飲みながら本を読んでいた。母娘三人はパジャマに着替えて、ボクの向かいの2段ベッドの下に座わり、とりとめのない会話を交わしていた。
と言っても、別にボクがカーテンの隙間から母娘を覗いていたり、聞き耳を立てていたわけではないのだ。ボクと母娘とは1mも離れていない。だから、母娘の様子がカーテンの隙間からチラチラと見えたり、カーテンを通して母娘の小声の会話が聞こえてきたりしたのだ。話からすると、どうもこれから母娘で大阪のUSJに遊びにいくようだった。
母娘は20分ほど話していたが、やがて寝ようということになった。それで、ボクの向かいの上段にお母さんが、その下段に姉妹の妹さんが、そして、ボクの真上のベッドに姉妹のお姉さんが寝ることになったのだ。
2段ベッドの上段に上がるには、ベッドの通路側に小さな梯子があって、それを登らないといけない。最初、姉妹のお姉さんは「怖い、怖い」と言いながら、登るのを躊躇していた。低い梯子なのだが、女性なので梯子を登ったことがないようだった。
思わずボクは、下のベッドと代わってあげましょうかと言いかけたが・・・もう夜中の0時近い時間に、知らない男性にそんなことを言われても困るだろうと思って、声は掛けなかった。それに、「怖い、怖い」と言いながら、その梯子を登って、ベッドの上段で寝るのも寝台列車の楽しみ方の一つなのだ。
お姉さんは、そうしてしばらく躊躇していたのだが、やがて意を決してゆっくりと梯子を登りだした。ボクはさすがに心配になって、本を置いてカーテン越しにお姉さんが梯子を登るのを見ていた。カーテンに映るお姉さんの影が少しずつ梯子を登っていって・・・やがて、影はボクの上のベッドに無事に滑り込んで消えた。滑り込む瞬間に、カーテンの隙間からチラリとお姉さんのピンクの花柄のかわいらしい靴下が見えた。ボクは安堵した。
さて、お姉さんが上にあがったのを潮に、ボクも寝ようと思った。もう、時刻は0時を過ぎている。
寝る前に、ボクはベッドから起きてトイレに行くことにした。そこで、手荷物をどうしようかと考えた。外国ならともかく、今の日本で、列車の中でちょっとトイレに行くのに、いちいち乗車券や財布を持っていく人は少ないように思うのだ。統計を取っているわけではないが、たまに女性が乗車券や財布を入れたポシェットを持ってトイレに行っているのを見るくらいだ。トイレって短時間だから、そういったものを座席に置いていても盗られる心配はまずないのだ。
でも、今は通路を歩いている人は誰もいない。みんな寝ている。だから、ボクのベッドのカーテンが開いていた場合・・・通路を歩いてきた人がボクがいないのを見て、ちょっと手を横に伸ばして、ヘッドの上の切符や財布やその他の荷物などを黙って持って行く・・・といったことはやろうと思えば十分に可能なのだ。一方、カーテンが閉まっていた場合は、中に人が寝ているかどうか分からないので、通路を歩いている人がカーテンを開けて、中の荷物を盗るという確率は相当に低くなる。
ということは、手荷物をベッドの上に置いてトイレに行っても、カーテンを閉めておけば安心だということになる。
そこで、ボクは切符や財布をベッドに残して通路に出た。そして、通路側からカーテンをしっかりと閉めたのだ。さらに、カーテンの裾から手を差し入れて、備え付けの毛布の端をカーテンの方に寄せて、カーテンの隙間から少し覗かせた。いかにも、カーテンの中では人が寝ていますという状況を作り上げたのだ。
こうして、ボクは切符を含め、荷物をすべてベッドの上に残してトイレに行った。
さて、トイレで用を足して、ボクは戻ってきたのだが・・・眼の前の光景に絶句してしまった。と、言っても、別にボクのベッドが荒らされていたわけではない。
通路に立っているボクの眼の前には、カーテンを閉めた全く同じ寝台ベッドが、ずらりと並んでいたのだ。
位置的には、ボクがいま立っている正面の左側の列の下段に、ボクのベッドがあるのは間違いなかった。でも、どのベッドも全く同じ柄のカーテンがピシャリと降ろされていて、ボクのベッドがどこなのか、まるで見当がつかなかったのだ。間抜けなことに、ボクは自分のベッドが全く分からなくなってしまったという次第だ。
ボクのベッドの番号は切符に印刷してある。しかし、その切符はベッドの上だ。おまけに自分のベッドの番号なんて、ボクは全く覚えていない。
でも、眼の前にずらりと並んだ、閉まっているカーテンを順々に開けて、その中を確かめていくというのは、さすがにためらわれた。そりゃそうだろう。カーテンの中で寝ている人が眼を覚ましたら、びっくりして騒ぎ立てられるのは間違いない。そうなったら、完全にボクは『怪しい人物』だ。
こんなことなら、カーテンを閉めなければよかったと思った。加えてボクは、外から見てベッドの中にいかにも人が寝ているように毛布で小細工を施したのだ。あんな小細工もしなければよかった・・・
後悔したが、もう遅かった。
どうしたらいいんだろう・・・
ボクは一瞬、車掌さんに相談しようかと思った。でも、ボクの頭はそれを打ち消した。
もし、ボクがネットで切符を購入していれば、車掌さんに名前を言うと、コンピューターの記録から、ボクの名前でベッドの場所が分かったかもしれない。でも、ボクは東京駅の自動券売機で切符を買ったのだ。この列車の中では誰もボクの名前を知らない。車掌さんに僕の名前を言ったって、車掌さんにボクのベッドが分かるはずはないのだ。だから、車掌さんに「ボクのベッドはどこでしょうか?」って聞いても、きっと「怪しいヤツ」と思われるだけだろう。
ボクは途方に暮れた。
今、流行りの豪華寝台列車ならば、ロビーカーとかがあって、朝までそこで過ごすこともできるだろう。だが、残念ながら、我が『寝台急行銀河』にはそんな豪華なものはないのだ。
どうする? どうする?
いたずらに時間だけが過ぎていった・・・
しかし、いつまでも途方に暮れて、通路に突っ立っていても仕方がない。
ボクは最後の手段に打って出た。みんな、寝ているのだ。カーテンをそっと開ければ、寝ている人を起こすこともないだろう。
ボクはここじゃないかと思えるベッドにそっと近寄った。恐る恐る閉まっているカーテンに手を掛けた。そして、カーテンをほんの少しだけめくってみたのだ。
途端に中から「う~ん」という男性の声が聞こえた。
ボクはびっくりして、そのベッドから飛び離れた。そのまま通路にしばらく立っていた。逃げたりしたら、返って怪しまれると思ったのだ。しかし、ボクの心臓はドッキン、ドッキンと大きな鼓動を打っていた。
ベッドからは誰も起き出してこなかった。ボクはようやく落ち着いてきた。ボクは次にその隣のベッドにそっと近寄って、カーテンを少しだけめくってみた。
中に寝ている女性の横顔が見えた。女性が寝返りを打った。ボクはあわててカーテンから手を放した。
・・・・・
こうして、ボクは寝台ベッドのカーテンをめくりながら、実に30分ほども車両の中をさまよい歩いたのだ。そこまでしても、ボクのベッドは見つからなかった。そんなことをしていると、ボクの手が汗ばんできた。背中に汗が浮いてきた。暑かったのではない。スリルと緊張で汗が出てきたのだ。
これじゃあ、まるでテレビの安物のサスペンスドラマだ・・・
それでも幸いしたこともある。そんなことをしていても、ボクは誰にも会わなかったのだ。もし、乗客の誰かがボクを見ていたら、間違いなく不審者ということで車掌さんに通報されていただろう。もう深夜になっていて、乗客はみんなベッドの中で寝ていたのだ。
でも、さすがにボクはあせってきた。もう眠るどころではなくなった。ボクは大阪までこのまま通路に立っていなければならないのだろうか・・・
もう万策が尽きたように思えた。ボクは天を仰いだ。
そのときだ。
はるか向こうにある上段のベッドのカーテンの端から、中で寝ている人の足が少し通路に出ていた。・・・その足の靴下がボクの眼に入ったのだ。色はピンクだった。
あれは、ひょっとして・・・
近寄って見ると、なんと・・・見覚えのある、あの姉妹のお姉さんのピンクの花柄の靴下だった。えっ・・・と思った。そこはボクが思いもしない場所だったのだ。
しかし、あのお姉さんのベッドがここだとすると・・・
ボクはゆっくりとその下のベッドのカーテンをめくってみた。
懐かしいボクの荷物が見えた。ボクの切符もちゃんとトイレに行く直前の状態のままでベッドの上に置いてあった。
何故かボクはとんでもない勘違いをしていて、車両の全く別のところでベッドを探していたようなのだ。
そして、このとき季節は冬だったために、お姉さんが靴下を履いたまま寝ていたので助かったのだ。
こうして、ようやくボクは自分のベッドで眠りにつくことができた。
翌朝、列車が大阪駅に着く前に、上の段のお姉さんが梯子を下りてきた。ボクと眼があった。ボクは「おはようございます」と彼女に声を掛けた。彼女にお礼を言ったつもりだった。
お姉さんはちょっと驚いた顔をしたが、すぐに明るい笑顔でボクに「おはようございます」と返事を返してくれた。もちろん、お姉さんはお礼だとは分からなかったのだが、ボクはそれで充分満足だった。
こうして『寝台急行銀河』の中で『サスペンス』をたっぷり味わったボクは、朝陽に輝く大阪駅のホームに降り立ったのだ。
ボクの『寝台急行銀河のサスペンス』が終わった。
・・・・・
で、ここで、皆さんにご注意があります。。。
列車に乗っていて、トイレやなんかで席を離れるときは、絶対に切符を持っていかないとダメですよぉ。そうしないと、ボクのように、とんでもない『サスペンス』を味わうことになりますよぉ。。。
そして、この『サスペンス』をお話できたのが、今日のよかったこと。。。
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