85 12月15日(木) 食べる場面
先日、この日記の第84話で、新幹線の中で『温めるお好み焼き』を食べたという恥ずかしい思い出を書いた。書いた後で、どうしてあんなに恥ずかしかったのだろうかと考えてみたのだ。
やっぱり、食べ物には、その食べ物を食べるのに『適する場面』があるのだね。
例えばだよ。お好み焼きだったら・・・
街のどこにでもあるような小さなお好み焼き屋さんで、狭い店内は満員の盛況で、熱い鉄板の上でアツアツのお好み焼きがいくつも焼かれていて、店内にはお好み焼きから流れたソースが鉄板の上で焦げるジュージューという音と、焦げたソースから立ちのぼる濃厚芳醇な香りが充満していて、お好み焼きから立ち上る湯気と熱気で、振りかけられた鰹節がわやわやと踊っていて、店内はワイワイガヤガヤ、ビールをゴクリと飲む音も聞こえる・・という場面で食べるお好み焼きは、とってもおいしくて・・こういうお好み焼きは、食べるのが恥ずかしいなんてことは絶対にないのだ。
しかし、その一方で、新幹線の中となると・・・
出張帰りのスーツ姿の人たちで満席で、誰もが押し黙っていて、車内アナウンスを除くと、時々ぼそぼそと話し声が聞こえる程度で、車両の中なので、周囲はプラスチックで出来た壁で取り囲まれていて、その壁を車内の照明が白々と照らしていて、周囲からは何の香りもしないというわけだ。これではあまりに無機質で・・こんなところで、アツアツのお好み焼きを食べたりすると、やっぱり、お好み焼きソースのあの強烈な香りがあまりに異質で目立ってしまうのだ。だから恥ずかしいのだね。つまり、アツアツのお好み焼きを食べるのには、新幹線は『適さない場面』なわけだ。
食べ物には、こういった、食べるのに『適した場面』と『適さない場面』があると思う。
だけど、世の中にはいろんな人がいて・・・そんな『適さない場面』でも平気で食事を取れる人もいるのだ。
ということで、前回と同様な思い出話が続いてしまうが・・・何卒ご勘弁いただいて、どうか聞いてもらいたい。
ローカルな話で恐縮だが、東京のJR中央線では夕方のラッシュ時に『中央ライナー』という列車が運行されている。東京で中央線沿いにお住まいの方や、中央線で通勤通学している人はよくご存知だと思うが。。。
この列車は、座席が進行方向に縦向きのロングシート(通勤列車によくある進行方向に長い座席)ではなく、特急列車なんかによくある、進行方向に横向きの二人がけのシートなのだ。通路を挟んで、二人掛けのシートが左右に並んでいる。全席が指定席だ。だが、駅の改札の前の券売機で切符を買う必要はない。中央線のプラットフォームに券売機が置いてあるので、思いついた時にすぐ数百円の指定券が買えるのだ。
中央線のラッシュは強烈なので、通勤通学の人たちが、この列車をよく使っている。だから、いつ乗っても満席なのだ。
ある夕方だ。僕もその中央ライナーに乗っていた。いつものように通路側の席だ。僕の右には通路があって、通路を挟んだ右側の二人掛けシートには、中年のサラリーマンのおじさんと若いOLのお姉さんが座っていた。通路側がおじさんで、窓側がお姉さんだ。当然、他人同士だろう。おじさんは座席で爆睡していた。要は座席が特急仕様なだけで、普段の通勤列車と何ら変わらない光景だった。
ただし、全席指定なので、通路に立っている人はいない。だから、僕は座席に座っていながら、通路の向こうのお姉さんがよく見えたのだ。
僕は見るともなく、お姉さんを見ていた。
すると、お姉さんが何やらバッグをごそごそしだしたのだ。
お姉さんがバッグから取り出したのは・・なんと、お湯を入れるポットだった。お茶の間にあるポットを少し小型にしたようなものだ。
えっ、ポット? こんな通勤列車で? 何をするんだろう?
僕は首を横にして、お姉さんを見つめた。
お姉さんが次にバッグから出したのは・・カップ麺だった。
えっ、まさか、この通勤列車の中でカップ麺を作るのではないだろうな?
でも、その『まさか』だったのだ。
お姉さんは座席の前のテーブルを出して、その上にカップ麺を置いた。そして、ポットからお湯をカップ麺に注ぐと、時間を測った。時間が来るとプラスチックのフォークを取り出して、本当にこんな通勤列車の中で、ズルズルと麺を
僕は面食らってしまった。
特急仕様の前向きシートなので、はっきりと見たわけではないが、列車の乗客は大部分が疲れ切って眠っているように思われた。話し声もしない。列車の中には、先ほどの新幹線と同じく無機質な光景があった。
その無機質な光景の中で、お姉さんのカップ麵を啜る音が響いている。
ほどなくして車両の中に、カップ麺のいい香りが漂ってきたが、ほとんどの人は眠りこんでいて、気がつかない様子だった。
そんな通勤列車の無機質と・・カップ麺を作って、ズルズルと食べているお姉さん・・あまりに異質な取り合わせに、僕は言葉を失ってしまったのだ。
これが・・お姉さんがパンとか『おにぎり』を食べていたのなら、僕も何とも思わなかっただろう。だが、無機質で冷たい感じのする通勤車両と、温かいカップ麺とそのふくよかな香りという何だか温かい家庭を連想させるものとの組合せがどうにも異質なんだね。
お姉さんは、ゆっくりとカップ麺を食べ終えると、今度はバッグからインスタントコーヒーのビンとコップを取り出した。そして、ポットのお湯でコーヒーを作って、ゆっくりと飲みだしたのだ。今度は車両の中にコーヒーの芳醇な香りが漂った。
たいしたものだと思った。僕には、こんな通勤列車の中で、とてもカップ麺を作って食べたり、コーヒーを作って飲んだりする度胸も勇気もない・・・
食べ物に明らかに『適さない場面』でも、平気で食事を取れる人がいることを初めて知ったという次第だ。
食べる場面に関する話をもう一つご紹介したい。
だいぶ前、新聞に載っていた話だ。
男性の新聞記者の体験談だった。
仕事が終わって、その記者が夜遅い時間に、最寄りの駅から自宅までの道を歩いていた。
すると、民家の前に夜鳴き蕎麦の屋台が出ていた。夜鳴き蕎麦の屋台といっても、今は軽トラックやバンなどの車の後部を屋台のように改造しているのだ。人が引っ張るのではなく車で移動するわけだ。あのチャルメラの音もテープで流すようになっている。
それでも、記者は「今どき、夜鳴き蕎麦とは珍しい」と思った。それで、蕎麦を一杯注文したのだ。蕎麦はすぐに出てきた。昔は屋台でも陶器のドンブリだったが、今は使い捨ての発泡スチロールのドンブリに変わっていた。
記者は、お金を払って、割り箸を割って・・さあ食べようとしたのだが、昔の屋台のように座るイスがない。やむなく、記者は屋台の車の横に立って、蕎麦を啜りだしたのだ。ちょうど、駅に電車が着いたらしく、多くの人が駅から出てきて、記者の前を通過していくところだった。
すると、突然、その夜鳴き蕎麦の屋台がエンジンを掛けて、どこかに走り去ってしまったのだ。記者は蕎麦のドンブリと割り箸を持ったまま、道端に置き去りにされてしまった。
記者は民家の前の道端に突っ立って、蕎麦を啜っている。その前を今、駅から出てきた人たちが通り過ぎて行く。
これを、駅から出てきた通行人の視点で見ると・・通行人たちは何とも珍妙な光景を眼にすることになるわけだ。
民家の前の道路に一人の男が立っていて、なぜか・・道端に突っ立ったままで蕎麦を啜っているのだ。
記者は恥ずかしくって、蕎麦を啜りながら真っ赤になった・・・という記事だった。
僕はこの記事を読んで笑ってしまった。横に屋台があって、蕎麦を啜っているのはサマになっているが・・・何もない普通の民家の前の道端にただ突っ立って、蕎麦を啜っている人というのは・・・記者には悪いが、何とも愉快で滑稽なのだ。
これも、民家の前というか、道端というのが、蕎麦を啜るのに『適さない場面』だからだろうね。
こんな話をお伝えできたことが、今日のよかったこと。
皆様はそんな『適さない場面』で食事をされたことってありますか?
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