79 11月15日(火) 怖かったこと3

 10月15日(土)と14日(日)に『怖かったこと』と題して、僕の拙い経験をお話した。今回と次回もその続きをお話したい。だから、今日のよかったことは、皆様と僕の経験を共有できたことだよ。僕の拙い経験が皆様のお役に立てば幸いだ。


 もうだいぶ前のことになるが・・・仕事で大阪方面に用事があって、東京駅から始発の東海道新幹線に乗ったのだ。


 僕はいつも新幹線では普通指定席の通路側に座る。トイレに行くときに便利だし、携帯に電話が掛かってきても、すぐにデッキに出て通話ができるからだ。


 ご存じの方が多いと思うが、東海道新幹線の場合、普通指定席は通路を真ん中にして、3列シートと2列シートに分かれている。東海道新幹線で始発の東京から西に向かう場合は、進行方向に向かって通路の左側が3列シートだ。座席はA席からC席になる。A席が窓側でC席が通路側というわけだ。


 一方、進行方向に向かって通路の右側は2列シートで、座席はD席とE席だ。D席が通路側でE席が窓側になるのだ。


 だから、僕はいつもC席かD席の通路側指定席の切符を買うのだ。


 さて、その日、僕はD席、つまり2列シートの通路側指定席の切符を買って、東京始発の新幹線に乗り込んだのだ。


 僕の座席番号を眼で追いながら通路を歩いて行くと・・僕の座席の隣の窓側、つまりE席に先客が座っているのが見えた。E席に座っているのは、たいそう太った若い男だった。ネクタイを締めてスーツを着ているので、サラリーマンだろう。丸々と太った顔をして、一心不乱に週刊誌を読んでいた。


 しかし、その男の姿勢が実に奇妙なものだった。男は両手で週刊誌を持っていたのだが、両ひじを思い切り左右に伸ばしているのだ。だから、男の左ひじが僕の座席のD席の中央部分まで侵入してきているのだった。まるで、D席に誰かが座るのを左ひじで邪魔しているような姿勢だった。


 しかし、僕は、僕がそのD席の乗客だと分かったら、男がD席に掛かっている左ひじをけてくれるものと思っていた。


 当たり前だ。新幹線の座席では・・空席のときは別にして・・隣の席に常に誰かが座るのだ。隣に誰か座るのを邪魔したって何の意味もないし、新幹線で隣に誰か座るのを邪魔するなんて話は聞いたこともない。


 僕はそのまま通路を進んで、僕のD席の横で立ち止まった。そして、男が左ひじを除けてくれるのを待ったのだ。だが、男は左ひじを除けないのだ。最初、僕は男が週刊誌に熱中していて、僕に気づいていないのかと思った。しかし、すぐにそうではないと悟った。


 男はさっき書いたように、両ひじを左右に突っ張った姿勢で、両手に週刊誌を持って、その週刊誌を顔の前に広げていた。いかにも熱心に週刊誌を読んでいるように見えるのだが・・僕は男の眼が動いていないことに気づいたのだ。


 週刊誌を読んでいるのならば、活字を眼で追っていなければならない。しかし、男の両眼はじっと週刊誌の中央に据えられたままで、全く動いていないのだ。つまり、週刊誌は読んでいないのだ。もちろん、週刊誌のページをめくることもない。週刊誌を読んでいないと言っても、決して男が寝ているということではない。男は大きくはっきりと眼を見開いていた。まばたきもしているし、呼吸もちゃんとしているのだ。


 僕は困惑した。男の隣のD席の横に僕は突っ立ているのだ。誰が見ても、僕がD席の乗客だということは一目瞭然なのだ。男は週刊誌から眼を離さないが、男に僕がそこに立っているのが見えているのは間違いなかった。だって、男の数十センチ横に僕は立っているのだ。間違いなく男の眼の端には僕が映っているはずだ。それにそんな至近距離に人がいれば気配で分かるだろう。なのに、男はD席に掛かった左ひじを除けようとしないのだ。


 僕はこんな乗客には初めて出会った。


 僕は思わず「そのD席は僕の席なので、ひじを除けてくださいませんか?」と声を掛けようと思ったが・・・止めておいた。明らかに僕がD席の乗客だと分かっていても左ひじを除けないのだ。男には『言葉で言っても絶対にひじは除けないぞ』といった無言の雰囲気があった。そんな男に声を掛けるのは、はばかられた。だから僕はこの男に話しても無駄だと思ったのだ。


 そこで僕は実力行使に打って出た。無理やりD席に座ろうとしたのだ。無理に座ろうとしたら・・いくらなんでも、左ひじを除けざるを得ないだろう・・


 しかし、驚いたことに僕が無理やり座ろとしても、男は左ひじを除けなかったのだ。男の左ひじはD席の中央まで張り出したままなのだ。僕はD席になんとか座ったのだが・・・男の左ひじがD席の中央まで張り出しているために、僕は身体を半身にして、顔を通路に向けた横向きの姿勢で座席に座るしかなかった。お尻の端をちょこんと座席に乗せただけの珍妙な姿勢になった。


 僕はいくらなんでも・・ここまでしたら、もう僕はD席に座っている訳なので・・男が左ひじを除けてくれるのではないかと期待した。それで、その珍妙な半身の姿勢をしばらく続けた。そうして男が左ひじを除けてくれるのを待ったのだ。


 しかし、男は左ひじを除けなかった。言葉も発しなかった。


 僕は顔を後ろに向けて男を見た。男は相変わらず週刊誌を見つめているが、その眼は動いていなかった。じっと週刊誌を見つめて、まばたきだけを繰り返しているのだ。そして、その姿勢で男は静かに呼吸をしている。死んでいるわけでもないのだ。


 男の眼は週刊誌に向けられているが、男が僕に意識を向けているのは気配で分かった。それでも男は左ひじを除けない・・・


 異常だと思った。何のためにこんなことをしているのか見当もつかないが、この男は尋常ではないと思ったのだ。


 僕はすぐにD席から立ち上がった。そして、その車両を出て、自由席の車両に行ったのだ。幸い、自由席の通路側に空席があった。僕はそこに座った。指定料金が無駄になったが・・仕方がない。


 僕はもう男のいる車両には戻らなかった。だから、男がその後どうしたのかは知らない。


 しかし、世の中にはおかしな人間がいるものだ・・あのまま無理にD席に座っていたら、男に何をされたか分かったものではないと思った。


 自由席で新幹線の振動に揺られながら、僕の背筋が冷たくなった・・・


 皆様もこんなご経験はないだろうか? 


 そして、お気をつけください。


 こんな不可思議で、どう考えても異常としか言いようがない人間が世の中には本当にいるのです。。。

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