77 10月16日(日) 怖かったこと2

 今日は『怖かったこと』の第2弾のお話をしたい。


 昨日、大阪の宝石店の話を書いたが、この話も同じころに起こった出来事だ。だから、そんなに遠い昔の話ではない。


 当時、僕は事情があって勤めていた会社を退職し、新たな仕事先を探していた。今は、様々な求人サイトがあるので、そういったサイトにも登録していた。


 すると求人サイトを介して、ある会社からメールが来た。「あなたの経歴を拝見して、ぜひ我が社で技術顧問をやってほしい」といった内容だった。僕の本業はエンジニアなので、時々、技術顧問といったお話を頂戴するのだ。


 そこは聞いたことのない会社だったので、僕はインターネットでその会社を調べてみた。すると、インターネットにホームページはあったのだが・・何故か、ベンチャー企業とだけ書いてあって、その会社の情報は全く記載されていなかった。


 それで、その会社に電話をしてみたのだ。すると、人事担当役員という人が出て、こんなことを言ったのだ。


 「うちはベンチャー企業なので、機密が漏洩しないように意図してホームページには会社の情報は掲載していないのです」


 そして、その人は僕と話がしたいので、ぜひその会社の本社に来てくれと言った。聞いてみると、その本社というのはX県にあるらしい。X県は僕が住んでいるところから、かなり遠かった。そして、その人は会社の規定で旅費は出せないので、自腹で来てくれと言ったのだ。


 向こうからX県の本社に来てくれと言っておきながら、旅費は出せないというのもおかしな話だなと思った。ただ、このとき僕は事態を深く考えなかった。とにかく、行ってみないことには話は進まないのだ。そう思った僕は、こんな会社もあるんだなといった程度で、あまり考えずに自腹でX県の本社に行くことを了承したのだ。当日は、朝早く自宅を出て、午前中にX県に入り、昼一番にその会社の本社に行くことになった。


 約束の日に僕が訪れてみると、本社というのは大きな倉庫のような建物だった。玄関で来訪した旨を告げると、電話で話した人事担当の役員という人が出てきた。


 僕は当然、その人が会議室なんかに連れて行ってくれて、会社の概要を説明してくれるものと思っていたが・・その人事担当役員という人は玄関で僕にこんなことを言ったのだ。


 「この建物は1階部分が倉庫になっていて、2階が事務所になっています。1階の倉庫にうちの会社の製品が置いてありますので、まずそれを見てください」


 そして、その人は僕を1階の倉庫に連れて行った。


 その会社の製品というのは、オートバイくらいの大きさの機械だった。ある技術を使って、特殊な形状の物品を製造できるというものだった。だた、僕は疑問に思った。『ある技術』というのは、僕がいる業界では50年ぐらい前の古いものなのだ。いまどき、こんな古い技術を使うベンチャー企業があるのだと驚いた。ただ、そんなことを言っては先方に失礼になるので、僕はもちろんその思いを口にしなかった。


 しかも聞いてみると、その機械を使って『特殊な形状の物品』を製造して何をしようとしているのかもはっきりと決まっていないようだった。その人は「その機械を使って『特殊な形状の物品』を製造すれば、いろいろな分野に応用できるので、今はどんな分野に展開するか検討しています」と言うのだ。


 さらに、その人事担当役員はこんな話を付け加えた。


 「実は、最近、ベトナムの大企業の社長がこの機械を気に入ってくれたんです。それで、その社長は数億円を出して、この機械を100台買ってくれました。これが我が社の初めての売り上げでして・・ベトナムには、ベトナム政府が北部の山奥の大森林地帯を切り開いて造った広大な工業団地があって、その大企業はその工業団地に工場を持っているのです。そして、工場の倉庫にこの機械が100台並べて置いてあるんです」


 そして、人事担当役員は時計を見ながら、僕にこう言った。


 「実はこれから、社長はじめ役員がでる役員会があるのです。ぜひ、その会議に出てください。そうすると、会社の雰囲気もおわかりいただけますので・・」


 僕は正直驚いてしまった。まだ、その会社に入った訳ではないのに、役員会に同席しろとは・・こういった、社外の人を社内の会議に出席させるといったケースはないことはない。しかし、その場合は、社外の人に『秘密保持契約書』にサインしてもらって、会議に同席してもらうというのが常識になっている。僕はそう言ったのだが・・人事担当役員は「そんな堅苦しいことは不要です」と言うのだ。


 後で考えると、僕はここで「何かおかしい」と思うべきだったのだが・・そのまま、人事担当役員に連れられて2階の質素な会議室に行ってしまったのだ。


 そこで、僕は何か釈然としないままに、『役員会』という会議に出席した。社長を初め人事担当役員も含めて全部で5,6人の役員が出席していた。僕は彼らと名刺を交換した後、社長の横に座らされて、まだその会社のことを何も説明されていないのに・・その会議に参加したのだ。


 参加したといっても・・もちろん、僕が発言することは何もない。僕はまだその会社のことを何も説明されていないのだから、発言のしようもないわけだ。僕は黙って会議の進行を見ていた。


 すると、会議が始まって30分ほど経ったときだ。社長がポンと手を打って、こんなことを言ったのだ。


 「そうだ。いいことを思いついた。来週このメンバーで、ベトナムの大企業を訪問して、倉庫に置いてある100台の機械を見ることになっているだろう。それに、ナガシマさんも同行してもらって、べトナムに置いてある我が社の機械を見てもらうというのはどうだろう?」


 すると、それを聞いた他の役員たちが口々に「それはいい考えだ」、「ぜひ、そうしよう」と言い出したのだ。僕は、僕の都合も聞かずに勝手にこんなことを決めないでもらいたいと思った。それに、はっきり言って、わざわざベトナムまで行って、倉庫に並んでいる機械を見ても仕方がないとも思ったのだ。


 だって、その機械はさっき1階の倉庫で見せてもらった訳で、ベトナムの倉庫に、ここの1階にあるのと全く同じ機械が100台並んでいるだけなのだ。だから、ベトナムまでわざわざ行って、そんなもの見ても仕方がないわけだ。だが、そんなことを言うと話に水を差すので僕は黙っていた。


 すると、社長が「ナガシマさん。どうですか? 来週、我々とベトナムに行っていただけませんか?」と僕に聞いてきたのだ。僕はベトナムならば、行って帰っても4~5日で済むだろうと思った。それならば都合がついたのだ。それにいくらなんでもベトナムまで自腹で行けとは言わないだろう。それで、社長に「ええ、いいですよ」と答えたのだ。


 それからも会議は続いた。なんだか、重要議題をみんなで討論するというより、みんなで雑談しているような不思議な役員会だった。


 さらに30分ほど経ったときだ。


 社長がまたポンと手を打って、こんなことを言い出したのだ。


 「そうだ。また、いいことを思いついた。来週、ナガシマさんも含めて、我々でベトナムの大企業を訪問することになったが・・ナガシマさんは日本には帰らずに、そのままベトナムの工業団地に駐在してもらうというのはどうだろう?」

 

 すると周りの役員たちがさっきと同じように口々に「それはいい考えだ」、「ぜひ、そうしよう」と言い出したのだ。


 僕はさすがにちょっと待ってくれと思った。僕はその会社の説明を何も受けていないのだ。いつ、誰が、何を目的に設立した会社で・・従業員は何人で・・これからどんなスケジュールで何をしようとしていて・・組織はどうなっていて・・本社はこことしても、あと営業所などはどこにあって・・といったことは全く聞かされていない。


 まして、ベトナムの山奥の大森林地帯を切り開いた工業団地に来週から駐在してくれと言われても・・・ベトナムについても何も聞かされていないのだ。承諾できるわけがない。


 ベトナムの工業団地には、この会社の日本人スタッフはいるのか・・いるとしたら、現地はどんな組織になっているのか・・そもそも工業団地にこの会社の事務所はあるのか・・駐在というのは一体何をするのか・・駐在はどんなスケージュールで、いつまでベトナムにいるのか・・そんな僻地にベトナム語が話せない日本人がいきなり行って生活ができるのか・・日本の健康保険のようなものはあるのか・・現地で病気になったときには医療機関を受診することはできるのか・・


 そんなことは何も説明がないのに、いきなり来週からベトナムに駐在しろとは、あまりにも無茶苦茶ではないか!


 たまらず、僕は言った。


 「ちょっと待ってください。僕はこの会社のことをまだ何も説明されていないのですよ。それなのに、いきなりベトナムで駐在しろと言われても困ります・・そもそも、ベトナム駐在というのは何をするのですか? また、どんなスケジュールで、一体いつまで駐在するのですか? あるいは、現地で病気になったときに、健康保険のようなものがあって、僕は医療機関を受診することができるのですか? まず、そういったことを説明していただけませんか?」


 すると、さっきの人事担当役員が僕にこんなことを言うのだ。


 「ナガシマさん。あんたの考えはおかしい」


 「・・・」


 「我々はベンチャー企業なのだ。ベンチャー企業の仕事というものは、日々刻々と変わるのが普通なのだ。だから、ベトナムの駐在が5年になるか10年になるか、そんなことは誰にも分からない。その間、一度も日本に戻れないことも当然あるのだ。そんなことをいちいち気にしていてはベンチャー企業では仕事にならない。だから、駐在するスケジュールなんか、あらかじめ決めておける訳はないだろう。現地の健康保険もそうだ。あなたは健康保険が無いと海外で駐在できないというのか? そんな弱腰ではベンチャー企業はやっていけないのだ」


 すると社長初め、その場にいた役員たちが全員「そうだ」、「そうだ」と人事担当役員の意見に賛同を示したのだ。


 僕は驚いた。人事担当役員は、はっきりと「ベトナムの駐在が5年になるか10年になるか、そんなことは誰にも分からない。その間、一度も日本に戻れないことも当然あるのだ」と言ったのだ。10年間もベトナムの山奥の田舎に駐在するんだって! しかもその間、日本に一度も戻れないだって! これじゃあまるで、ベトナムに捨てられてしまったようじゃないか! こんな海外勤務は聞いたことがない。


 僕はその日のうちにX県から帰ってきた。そして結局、その会社の『技術顧問』というオファーは断ったのだ。


 しかし何もかも納得できない話だったので・・僕は断ってから、いろいろと調べて考えてみたのだ。


 そして、この話は最初から仕組まれていたという結論になった。これは僕の推測だが・・まず間違っていないと思う。


 つまり、こういうことだ。


 ベトナムの大企業の社長が気まぐれで、その日本のベンチャー企業の機械を数億円出して100台買ったのだ。大金持ちのベトナムの社長にとって数億円という金は物の数ではなかったのだろう。おそらく「何かに使えるかもしれない」といった程度の軽い気持ちで機械を買って、何に使うのかも決めないままに倉庫に入れておいたのだろう。


 だが、ベンチャー企業にとってはその社長が唯一の顧客だ。そして、もしベトナムの社長が倉庫にある100台の機械のことを忘れてしまったら、もうベンチャー企業は相手にされなくなるわけだ。ベンチャー企業としては、そういう事態は絶対に避けなければならない。


 それでベトナムに、その大企業の社長のご機嫌をとる役目の人間、つまり常に社長の前に出てベンチャー企業のことを忘れさせない役目の人間を置いておく必要が生じたのだ。この人間は常にベトナムの工業団地にいる必要がある。何もすることがなくても、ベトナムの工業団地にいること自体が目的なのだ。だから5年経とうが10年経とうが、その人はその間ずっとベトナムにいなければならない。いわば、ベトナムの大企業の社長のところへ、ベンチャー企業が人質あるいは人身御供を差し出す必要が生じたというわけだ。


 こうして、ベンチャー企業は人質あるいは人身御供になる人間を急遽探さなければならなくなった。それで、求人サイトを探して僕に眼をつけたのだ。


 僕はX県から遠いところに住んでいる。彼らはそんな僕を、僕の自腹で遠い『本社』までおびき出したというわけだ。僕は自腹を切って、はるばる遠距離をやってきたわけだから、変な話を聞いても、どうしても「せっかく、こんな遠いところへ自腹で来たんだから、もう少し話を聞いてみよう」と思うわけだ。つまり、彼らが変な話を吹っかけても、僕がすぐには帰らないようにしたのだ。


 そして、僕に会社のことは何も説明せずに、いきなり機械を見せて、次に『役員会』なるものに出席させたのだ。そして、その席で、社長がさも今思いついたように僕に「ベトナム行きの話」を持ち掛け、次いで、やはり思いついたような振りをして「そのままベトナムに駐在する」という話をなしくずし的に僕に了承させようとしたのだ。


 おそらく、ベトナムにベンチャー企業の事務所などはないのだろう。それどころか、『駐在員』には健康保険などもないのだろう。彼らにとって、僕は人質あるいは人身御供といった存在なので、ベトナムで僕が病気になって手当もなく死んでしまったとしても、痛くもかゆくもないのだ。なぜなら、そのときには日本でまた新たな人質を見つけ、騙してベトナムに送り込めばいいのだから・・・『技術顧問』なんて僕を騙すための罠で、嘘っぱちだったわけだ。 


 危ないところだった。


 もしベトナムに彼らと一緒に行って、日本に帰るという日に、社長から「そうだ。ナガシマさんは日本には帰らずに、このままベトナムの工業団地に駐在してもらうというのはどうだろう?」と言われる可能性もあったわけだ。僕が「そんな無茶な」と言っても、社長が「実は、あなたの帰りのフライトは取っていないのです」と言ったら、ベトナムの山奥で僕はどうにも動きが取れなくなるところであった。


 これを思うと、今でも僕の背筋が寒くなるのだ。僕だけではない。妻ともこのときのことをよく話すが・・妻は「あのとき、あなたが騙されて何年もベトナムに行ってしまったら・・と思うと、今でも夜も眠れなくなる」と言っている。


 もう少しで騙されるところだった。怖い話だ。皆様もこう言った話に騙されないようにご注意ください。


 *********


 さて、明日からまた約1ケ月の入院になります。頂戴したコメントへのお礼やお返事が遅れたり、出来なかったりするかもしれません。何卒、ご容赦ください。


 ではでは・・

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