60 6月18日(土) 僕は「らいぱちくん」

 昨日、僕は昭和を偏愛する恐ろしい秘密結社のことを書いた。


 えっ、お前は昨日、玉ねぎ姉ちゃんとクナイ姉ちゃんにられたんじゃなかったのかって?・・そ、それが・・玉ねぎのニオイがして、虫が首を這ってるところまでは記憶があるんだけど・・それから記憶がないんだよ。そう言えば、あれから、玉ねぎ姉ちゃんに恐怖の玉ねぎ拷問をされて、泣いてるところを、クナイ姉ちゃんに無理やり口を開けさせられて、寄生虫を飲まされたような気がするなあ・・今も何だか、頭の中で虫が動いている気がするよ。さっきから、頭の中で・・ロイコクロリディウムって声が聞こえるもんなあ。


 その声のせいかもしれないけど・・なぜか急に昭和の想い出が僕の頭に浮かんできてね、この日記に書きたくなったんだ。


 それが今日のよかったことだよ。


 さて、皆さんは『らいぱちくん』っていう野球マンガを知ってる?


 『らいぱち』ってのはねえ。野球で守備がライトで、打順が8番の選手のことだ。『らい』がライト、『ぱち』が8番だね。


 昔の草野球ではみんな右打者で、投手の投げた球を引っ張って打っていたんだ。だから、ライトに打球が飛ぶことはほとんどなかったんだよ。それで、ライトは一番守備が下手な選手が守るところだったんだ。今は違うよ。今は米メジャーリーグのイチロー選手がライトを守っていたこともあって、ライトは花形ポジションなんだよ。


 次に8番打者だけど・・打者は9人いるから、8番打者というと最後から2人目だよね。しかし、9番というのは、1番につなげる大切な打順なので、そこそこ打てる選手が入ることが多いんだ。つまるところ、8番打者というのは一番打てない選手の打順だったんだよ。


 つまり、『らいぱちくん』ってのは、守備はライトで、打順が8番という一番ダメな選手のことなんだ。『らいぱちくん』っていうマンガは、野球部でライトで8番打者だった主人公が頑張ってエースピッチャーになるという話なんだよ。


 実は、僕も『らいぱちくん』だったんだ。僕が中1のときのことだ。だけど、僕は野球部ではなかった。僕は剣道部だった。皆様から「え~、意外。女性から女子として扱われるあなたが剣道部ですって?」という声が聞こえるよ。言っとくけどね。『女性から女子として扱われる』という点については、とっても素敵な妖艶美人お姉さま方から『そうじゃないわよ』ってご意見をいただいてるんだ・・


 あっ、今日はそういう話じゃなかったね。僕は運動は苦手で、歌を歌うのも苦手で、楽器の演奏なんて何にもできないし・・というなんにも出来ない普通のオトコの子で、剣道の試合でも勝つより負けることの方が多かったんだ。


 さて、中1のときに、学校でクラス対抗男子ソフトボール大会があった。クラスで9人の選手を選ぶときに、何の間違いか、野球が苦手な僕の名前が挙がったんだ。そのとき、男子の体育の授業でもソフトボールをやっていて、授業で僕が眼をつぶってバットを振ったら、たまたまボールが当たって二塁打になったことがあったのだ。それを覚えていたクラスメートが、長打力があると言って僕の名前を選手候補に挙げてくれたというわけだ。ただ、僕は最後に候補を9人に絞るときに、当然、落とされるだろうと思って黙って見ていた。すると、なぜか選手候補の名前が9人しか出なくて・・なんと、そのまま、僕が選手として選ばれてしまったのだ。


 それでね、僕が一番ダメな『らいぱち』として、つまり守備はライトで、打順が8番ということで、クラス対抗男子ソフトボール大会に出ることになってしまったんだよ。


 さて、ソフトボール大会の当日になった。放課後にトーナメントの第一回戦が開始されたんだ。秋のさわやかな日だった。まさに秋晴れで、頭上には雲一つない青空が広がっていた。僕のクラスの相手は優勝候補のクラスで、ピッチャーは野球部でエース候補の選手だった。ちなみに、後に彼は高校の野球部で甲子園に出場するんだよ。


 僕らのクラスはそのピッチャーに完全に抑えられて、一人のランナーも出ないままに、8番の僕の打順になった。ピッチャーの彼が右バッターボックスの僕を怖い顔で睨みつけた。そして、第一球を投げたのだ。外角低めの速い球だ。僕は当てずっぽうにバットを振ったんだ。すると、幸運にも球の方からバットに当たってくれたのだ。


 しかし、完全に振り遅れだった。僕の打った球はボスッという鈍い音をたてて、ぼこぼこと二塁手の右に飛んで行った。しかし、二塁手もまさか僕が打つとは思ってもいなかったのだろう。グローブを出すのが遅れたのだ。慌ててグローブを差し出したのだが・・球はその下を抜けて・・なんとライトの前に転がっていったのだ。


 ヒットだ。応援しているクラスメートから「わー」という歓声が上がった・・・


 こうして、打つ方はなんとかラッキーなヒットを打ったのだが・・守備の方はヒヤヒヤだった。しかし、なかなかライトに打球が上がらない。僕は期待したんだ。このまま、守備を一度もすることなく、つまり打球を一度も処理することなく試合が終わってくれるんじゃないかってね。


 しかし、そうはいかなかった。最終回に、相手の最後の打者が打った球がポーンと高く上がって・・ライトの僕の方に飛んできたのだ。


 雲一つない秋の青空の中に白球が浮かび上がった。


 浅いフライだった。僕は前進したのだが・・そのとき、西日の太陽と白球が重なってしまったのだ。秋といっても・・西日の太陽は強烈だ。白球はたちまち、太陽の強い光の中に吸い込まれてしまって・・見えなくなった。僕はあわてた。思わず左手のクローブを高く差し上げたのだが・・落球するのは100%間違いなかった。だって、球が見えてなかったんだもの。


 そのとき、僕の頭に「落球したらいやだなあ、恥ずかしいなあ」って考えが浮かんだんだ。それで、あわてて、僕は右手を眼のところに持っていって、太陽を遮る振りをしたんだ。そして、眼をつぶって下を向いた。太陽がまぶしいって姿勢だ。こうして、クラスメートに太陽のせいで球を落としたんだってことをアピールしようとしたわけだ。しかし、そうしたときは、既に球を見失っていたわけで・・要するに、僕はいかにも今、太陽のせいで球が見えなくなりましたという猿芝居をしたってわけだ。


 こうして、僕はグローブを持った左手を高く青空に差し上げたままで、右手を眼のところに当てて、顔を下に向けた姿勢を取ったんだ。そして、球が落下するのを待った。その姿勢で長い時間が過ぎた。長い時間と書いたが、たぶん、1,2秒のことだったと思う。たった1,2秒でも、僕には寿命が縮むような時間が過ぎていったんだ。なんだか、死刑を待つ死刑囚のような気分だった。


 すると・・・高く差し出していた左手のグローブの中に、スポーンと球が入る感触が伝わってきたんだ。なんと、なんと、球の方から勝手にグローブの中に飛び込んでくれたんだよ。


 嘘のようなホントの話だ。


 よかった。チェンジだ。僕は当たり前のような、何もなかったような顔をして、そのままベンチに戻ったのだ。ベンチでも応援席でも、誰も僕に拍手するものはいなかったし、誰も僕の守備を誉めてくれるものもいなかった。つまり、クラスメートたちは誰も僕に関心を持たなかったんだ。要するに、僕がした猿芝居なんて・・誰も見ていなかったんだ。


 結局、ポーンと打球がライトに上がって、僕が普通にそれを取ったということで終わってしまったんだ。


 そして、その第一回戦で僕のクラスは優勝候補のクラスに大敗して、トーナメントの一回戦負けとなった。こうして、僕の『らいぱちくん』体験は幕を閉じたのだった・・


 雲一つなく真っ青に晴れ渡った空に、高く舞い上がった白球・・見事な青と白のコントラスト・・今でもはっきりと思い浮かべることができるよ。


 そして、『昭和』と聞くと、僕はいつもその青空に浮かぶ白球を思い出すんだ。


 こんな風に一つの言葉に特定の想い出のシーンが結びついてるってこと、あるよね。


 さて、皆さんは『昭和』と聞くと、どんなシーンを思い出すのかな?

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