54 6月12日(日) 女が僕を呼んだ・・「リョウ」
夜中に眼が覚めた。
時計を見ると真夜中の2時50分だ。なぜ、眼が覚めたのだろうと思った。
そのときだ。声が聞こえたのだ。
「リョウ」
その声はか細い女の声のようだった。
僕は妻と別室で寝ている。もともとは一緒に寝ていたのだが、あるとき妻が「イビキがうるさくて、眠れな~い」と言って、隣の和室にふとんを持って行って、和室で寝てしまったのだ。それから、妻とは別々に寝る生活になってしまった。
だから、その声は妻の声ではないのだ。
僕の名前は「リョウイチ」だ。友人たちは僕のことを「リョウ」と呼んでいる。つまり、「リョウ」というのは誰かが僕の名を呼んだのだ。
しかし・・そんな・・バカな? この寝室には僕しかいないのだ。いったい、誰が・・
僕はいつも寝室を真っ暗にして寝ている。それで、真っ暗闇の中で耳を澄ませてみたのだ。
何にも聞こえなかった。
さっきの声は空耳だったのか?・・あるいは、僕が夢でも見たんだろうか?・・
僕は平穏に安堵した。軽く息を吐いた。
そして、再び心地よい睡りの世界に戻ろうとした。
そのときだ。
「リョウ」
今度ははっきりと聞こえた。間違いない。か細い女の声だ。誰か寝室の中にいるのだ・・
僕は思わずベッドに半身を起こした。周りの暗闇に全神経を集中させた。何の気配もない。当たり前だ。深夜の僕の寝室に女がいるはずはないのだ。
神経を研ぎ澄ますと・・隣の和室から妻の寝息が聞こえてきた。暑いのでふすまを開け放して寝ているのだ。
やっぱり、あの声は妻ではないのだ。では、いったい・・
僕はラップ音だと思った。
読者の皆様は『ラップ音』をご存じだろうか? 一日が終わって、ベッドに入って灯りを消して目を閉じた途端に、どこからともなく「パキッ」とか「ミシッ」という不気味な音が聞こえたご経験はないだろうか?
これが『ラップ音』と呼ばれるものだ。いわゆる、家鳴りと言われている音だ。
しかし・・僕は考えた。
さっきのは声だった。はっきりと「リョウ」と聞こえた。あ、あれは・・「パキッ」とか「ミシッ」といったラップ音じゃない。・・声だ!
その声は僕にはこの世のものの声ではないように思えた。
身体から汗が吹き出してくるのが分かった。暗闇の中で僕の心臓が大きくドクンドクンと脈打つのが聞こえた。
あの声は・・い、いったい、誰の声だろう?
すると、僕の頭に幽霊・・といった言葉が浮かんできた。思わず、背筋が寒くなった。背中が震えた。
そのときだ。
「リョウ」
また聞こえた。か細い、嫌な声だ。まるで、地の底から聞こえてくるようだ。
恐怖が僕を襲った。僕は「誰だ!」って叫ぼうとした。だが、あまりの恐怖に声が出なかった。口からは、かすれたスーという息を吐く音がしただけだった。
今にも暗闇から女が僕を襲ってくるように思えた。だが、その女はいったいどこにいるんだ?・・
天井か? 僕は女が天井に張り付いているところを想像した。背中を冷たいものが流れた。僕は天井を見上げた。真っ暗な闇が広がっているだけだった。
恐怖がどんどん大きくなっていく・・僕はハーハーと大きく息をした。頭から血が引いていくのが分かった・・
僕は・・僕は・・このまま、寝室で幽霊に取り殺されるのだろうか・・
僕の恐怖は限界に達した。思わず、寝室から逃げ出そうとした。
そのときだ。
また声がした。今度は・・
「ぎゅるぅぅ」
えっ、あの声は・・
僕のお腹が鳴る音だった。
次いで「ぎゅるーい」という低いくぐもった音がお腹から聞こえた。「りょうーい」とも聞こえる音だった。
そうか! 僕が聞いた「リョウ」という声は「ぎゅるーい」と鳴ったお腹の音だったのだ。「ぎゅるーい」が「りょうーい」に聞こえ、それが「リョウ」という声として僕の頭に認識されたのだ。
1カ月ほど前から、なぜか空腹時にお腹がよく鳴るようになった。妻が「テレビでお腹が鳴るのは『若返りホルモン』が出てるからだと言ってたよ。お下品馬鹿夫がどんどん若返ってるんだ」と言って、僕をよく茶化していたのだ。
しかし、『若返りホルモン』といってもねえ。
僕はこの話にオチをつけようとして書いているのではない。ありのままに起こったことをを書いたら、オチがついてしまっただけなのだ。
しかし、ホントにこのときは怖かった。心の底から恐怖を感じたよ。
僕は『轆轤首の宿』という妖怪が出てくる駄作を書いている。この中の妖怪の主人公が「ろくろ首の女将」というんだ。なんだか、あまりに僕の駄作がくだらないので、その「ろくろ首の女将」が「もっと面白い話にせんか~い」と言って、僕に仕返しに来たのかと思ったよ。僕を取り殺すという仕返しにね。・・というのは、モチ、ウソだけどね。
怖かったのはホントだよ。『若返りホルモン』・・恐るべし!
だから、今日のよかったことは、『若返りホルモン』にいたずらされたってことなんだ。あ~、怖かった!
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