すれ違い
考えさせろと、一度話を中断させる。
このまま、加熱した空気のまま話を続けるのは危険だ。俺達も楊にもクールダウンが必要だと判断したからだ。
取調室を出て早々、俺とマリアは大きな溜息をついた。
曹が隣の部屋から飛び出してきた。
「赤沼さん……まさか、連れて行くんじゃ……」
「それを考えるために、部屋から出てきた」
それを聞いて少しは安心したのか、強張っていた彼の頬が緩んだ。
休憩スペースまで案内してもらい、自販機でミネラルウォーターを買った。カラカラになった喉に染み、胃に冷たいモノが広がっていく感触が堪らなく心地良い。
「……それにしても、変な奴だったね」
「だな」
変は変だが、イカレてはいない。マトモに話が出来るだけいい。
問答無用で襲ってくる殺し屋や。自己紹介もせずに自ら命を絶ったマフィアに、人と話す気が無い犯罪者。
ここ二か月、面と向かってきた奴らがそうだっただけに、余計に話せることが尊く感じる。
「浩史……」
「ん?」
「連れて行くの?」
すがりつく子犬の様な色の奥に熱い意思が見え隠れする瞳が、俺を捉える。
「連れて行く」
その瞳を前にして嘘を付ける度胸も卑怯さも持っていない。
「なんで? 正直言って、私には連れて行くメリットが理解できないの。仮に楊が善人だったとしてもね」
メリット・デメリットの観点から見れば、圧倒的にデメリットの方が多い。
まず、
それに、楊が超演技派の役者である可能性も否定できない。
俺の目の善人と悪人を区別出来る機能はアテにならないのだ。
善人だと思って接していたら、実は殺し屋でしたなんて事が二回もあった。
しかし。
「楊は絶対に殺し屋に関して、俺達の知らない情報を掴んでいる。それを逃す手はない。……たとえ、それが危険すぎる賭けだとしてもだ」
俺は半ば確信めいた口調で言った。
「私達が知らない情報……」
「ああ。曹さん、黄龍の入れ墨のイラストと殺し屋のイラスト見れます?」
頭の上に疑問符を浮かべながらも、曹は携帯の写真アプリを使って入れ墨のイラストを出した。
黄龍はぎょろりとした眼球でこちらを睨み、右の方の手に玉を持ち、鋭い爪や尻尾まで続く鱗一個一個が禍々しくデザインされている。
青竜・朱雀・白虎・玄武の四神の中心的な存在として君臨するのに相応しい風格と、皇帝の権威を象徴する竜である事を周囲に示す迫力が備わっている。
これが背中に彫られていたら、そこらのヤクザは道を譲るに違いないが、これが彫られているのは腕である。
だが、こんな細かな絵を腕に彫り込むのは余程の技術を要するだろう。
イラストから察するにこの入れ墨は和彫り。高名な刺青師が刻んだであろう作品。
「そんな細かなイラストを、よくあの短い間で覚えていられたよな」
供述によれば、殺し屋が現れてから逃走するまでは一分と少し。果たして、そんな短時間でこんな細かな模様まで覚えられるだろうか。
「それに。犯行当時、殺し屋は黒のレインコートを着ていた」
曹が携帯を操作し。今度は画面に殺し屋の画像を表示させる。
人相はぼかされているが、そのイラストには黒のレインコートを着た女が描かれている。
雨に濡れる事を防ぐのに着用するレインコート。
当然、それは長袖になる。しかも、雨の侵入を防ぐ為に袖口がゴムで締まるようになっているのだ。
そんな状態では入れ墨の龍は頭を覗かせるしかなく、見事な胴体は防水素材の下に隠されてしまう。
「おかしいんだよ。楊の供述と奴が表した証拠がな」
「……つまり、楊は殺し屋を事件より前に知っていた?」
「そういう事になる。……となればだ、奴があの場にいた理由も見えてくる」
楊は今回の被害者グループを襲撃しようと画策し、銃器を所持した上で茶屋に入店したが入れ墨の殺し屋に先を越された。
……という事になっているが。
「もしかして、殺し屋と話がしたくて?」
「多分な。楊はお前の『ルールを破ってまで話さなければならない事なの』という問いに『そう考えている』と答えた奴だ」
「……だからって、人を殺しますかね」
曹が真剣な声でツッコミを入れる。
「それこそ、今、奴が黙秘している部分に繋がって来るんじゃないか? 何を話すかは俺の知ったこっちゃないが、他人には明かしたくなくて、人を殺してまで、話したい事なんだろう。奴にとって重要なのは間違いないさ」
俺は話を続けた。
「そこまでする奴だ。ISSが目を付ける前に入念に調べ、念入りに計画を練って実行に移したのは間違いない。俺達は入れ墨の殺し屋について深く知るべきだ」
隠し事を覗こうとするのはあまりよろしくない行為だが、ここで躊躇って後で後悔するよりよっぽどいい。
「それを得る為に、危険すぎる橋を渡るの?」
先程と同じ趣旨の質問をするマリア。今度は瞳の中に怯えの感情が浮かんでいた。
そんな目で見られて、思わず我に返ってしまう。
けれど、今更引っ込みは付かなかった。
「……ごめん」
口から出た謝罪は、自分でも泣きたくなるくらい軽い言葉だった。
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