楊のわがまま
俺の言葉に楊はしばらく考え込むように、黒目をキョロキョロとさせていたが、組んでいた腕を机の上に投げ出すと口を開いた。
「……彼女は多分、孤独なんだと思います」
「その心は?」
すかさず俺が突っ込むと、途端に楊は口ごもった。
「虚を突かれたってか? ……まぁいいや、孤独は孤独でも、種類があるだろう。天涯孤独か、群れからはぐれた一匹狼か」
「……天涯孤独です」
「親兄弟、全員、死んだのか? それとも、生き別れか?」
「……そこまでは。それに、そういうのをまだ分からない時分に別れました。……群れの中でも、浮いているような、そんな一匹狼だと思います」
「なるほど――」
何か引っかかる言い方をしたが、俺はそれを飲み込んだ。
「――ロマンチストだな」
ニヤリと笑うと、楊も笑い返した。マリアの膝を叩き、ここを出ようと合図をする。少なくとも楊秀白という男の人となりは理解できた。
末端のチンピラにしては、言葉の端々に知性が垣間見えるし人以上の観察眼も備わっている。そして、それらを使いこなすだけの頭もある。
言動から何か重大な隠しているのが分かるが、ヒントも無い以上心理学者でもない俺達に今手に入れたモノ以外で彼に揺さぶりを掛けられるはずもない。
潮時と判断しゆっくりと立ち上がり、背筋を伸ばす。
「また、何か聞きたい事が出来たら、また聞きに行くから」
頭を掻き、取調室の扉に手を掛ける。
「あの!」
「ん?」
騒々しい物音と共に楊が叫んだ。振り返ると、ひっくり返ったパイプ椅子とずれた机。そして、彼が俺とマリアを食い殺さんと目を見張っている。
「……その、あの……」
楊は口をパクパクさせ、俺達と床とで視線を彷徨わせる。
「なんだ」
カーゴパンツのポケットに手を入れ、顎を引く。
「……えっと」
「用が無いのなら、俺達はもう行くぞ」
わざと突き放す様に言い、また扉と向き合う。白ペンキで塗装された無機質な鉄戸が俺の眼前にあった。ここをくぐれば、また俺と楊は一線を隔てた存在に戻る。
それを理解しているのか、はたまた反射的に発したのかは知る由も無いが、とにかく楊は言葉を発した。
ようやく垂らされた蜘蛛の糸を掴もうとするカンダタの如く。
「赤沼さん達は、あの……殺し屋を捕まえる為に、アメリカから来たんですよね?」
「はるばるな」
俺の言葉からしばらくおいて、深く深呼吸した楊。
やがて、覚悟を決めたと言わんばかりに表情を硬くし、言いたかったであろう願いを言った。
「……俺も、その手伝いをさせてください」
「なんですって?」
マリアは動揺のままを口にしたが、俺はあまり驚きはしなかった。
もしかしたら、こんな事態を頭の何処、自我すらもあずかり知らぬ奥底で予想していたのかもしれない。
「お願いです! 赤沼さん、マリアさん!」
そう言って楊は、頭を机にぶつけんばかりに勢いよく下げた。
頭を下げる一瞬に見えた彼の双眸には焦燥が浮かんでいた。何をそんなに焦っている。そう問いかけようとしたが、相棒に先を越されてしまう。
「……ちょっと待って」
なんとか立て直したマリアが、額に手をやりながら楊に話しかける。
「なんで手伝いたいの?」
「それは……」
深入りしようとする理由を問われると、途端に威勢を無くし、口ごもってしまう。
その様子は、ふて腐れる子供のようにも見えた。
「言いたくないのか」
俺の問いに、楊はヒゲが目立つ鼻の下を掻きながら頷いた。
「そうか……。だけど、楊よ。お前、自分の立場分かって言ってる?」
楊は捜査官でもない一般人。それどころか、銃器違法所持で現行犯逮捕された犯罪者様である。
「……勝手な事なのは、分かってます。けど、俺はあの……殺し屋と話がしたいんです」
「話?」
俺は眉をひそめる。
「それは、ルールを破ってまで話さなければならない事なの?」
「少なくとも、俺はそう考えています」
畳み掛けるマリアだったが、調子を取り戻してきた楊が発言をハッキリさせてきた。
「その重要な話は、俺達に隠さなければならない程の事なのか?」
「それは、赤沼さん達の立場によります。けれど、それを判断するには俺は赤沼浩史とマリア・アストールという人間を知らな過ぎます。貴方達を信用に値する人間と俺が見極めるのも込みにしても、俺は貴方達に付いて行きたいんです」
一人のISS局員として、この要求は突っぱねなければならないのだろうが、俺個人としては「いいぜ」と言いたくなっていた。
楊を気に入っていたというのもあるし、彼がここまで意固地になっても隠そうとする何かに興味が湧いたからでもある。
「……じゃあ聞くが、俺達に付いて行ってお前は何を得るんだ? さっき言っただろう。俺達は香港に観光に来たんじゃねぇ、殺し屋を捕まえに来たと。そんな事に付いて行って、何が得られると言うんだお前は」
「……真実です」
「何?」
「真実と、替えの利かない唯一無二のモノが得られます」
「それを得て、お前は何をする」
「それの答えを導き出すにも、それを得られなきゃいけません」
「……ハッ」
俺は肩をすくめ、鼻で笑った。そして痛感した。
今の楊に何を言っても無駄だと。更に、そうしてしまったのは俺だという事に。
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