狙撃手の心
シグの弾倉を替えながら、俺は感情を吐き捨てた。
「痛ぇ」
包帯で縛って止血はしたが、痛みは止められない。人間として生きている証拠だと、自分に思い込ませることで耐えるが、やはり限度がある。
俺は向かいの屋上にいるであろう殺し屋に睨んだ。
当てる事が目的ではないにしろ、どうせ撃つなら当てたい。
だが、それには腕前はともかくとして、距離が問題だ。
避けようがない現実に対し、やり場の無い怒りを向けつつスライドストップを下げ、射撃体勢を取る。
「!」
窓が割れる音が寝室からした。
大方、殺し屋が俺達が考えた事を読んだのだろう。
俺が釘付けにしている間に、マリアが仕留めるという方法を。
そして殺し屋は、マリアが潜んでいるのが寝室だと判断したのだろう。
ならば、それにお応えしてやるのが戦いの作法だ。
丁度いい所に、俺が撃たれた際に落とした携帯があった。班長との通話は切れている。
戦闘の匂いを察して、増援を送ってくれる事を祈ろう。
班長とまだ見ぬ神に手を合わせつつ、カーテンに掠める様にして携帯を投げた。
携帯が床に落ちた瞬間、寝室の壁に穴が一つ増えた。
「……減音器付きかよっ!」
それから視線を上に向けながら呟く。
「上手くやってるかなぁ?」
俺は屋上にいるマリアの身を案じた。
弾倉にはフルで7.62ミリ弾が込められている。この前と同じ様に弾倉を挿し込んで、チャージングハンドルを引く。
標的がいるのは向かいのビルの屋上。
私は狭い給水塔の上で座り込み、膝を立て、その上に両腕をクロスして腕にハンドガードを載せる。
殺し屋を撃ち下ろせる場所がここしかなく、少々窮屈な射撃体勢を取らなければならないのが厄介だったが、贅沢言える状況ではない。
部屋に向かって銃を撃っている殺し屋を見るあたり、幸いにも手の内はバレてないようだ。
(三秒でいい。私にください)
私は殺し屋が持つ狙撃銃に照準を合わせ、フッと息を吐き出しトリガーを絞る。
確かな手ごたえの後、耳栓越しでもかなりクル銃声と共に、相手の銃が吹き飛んだ。
「……よし」
殺し屋の般若の様な顔がスコープ越しに良く見える。
見る限り相手の長物は、今しがたまで撃っていた物だけしか無い様だ。
少なくとも今殺し屋が行っているのは、対抗手段持っている人間が取る行動ではない。
殺す必要は無いが、動きを止める必要がある。次撃つべきは足だ。
呼吸を整え、改めてスコープを覗くと視線を遮る黒い影が出てきた。
「ドローン……!」
見覚えのあるその機体は、調査係が管理している物。
私は襲撃の直前、浩史が班長に電話を掛けようとしていたのを思い出した。おそらく、音でただ事ではないのを察し援軍を送ってくれたのだろう。
「よかった――」
思わず安堵の言葉を漏らす。
だが、殺し屋は陰に紛れて消えてしまった。
決着付かず。今回はなんとかしのげたが、三回目はどうだろうか。
言葉に出来ない不安が心を蝕み始める。
浩史が庇ってくれたからなんとかなったものの、浩史がいない時に撃たれたら……。
心臓が紙やすりで削られるような感覚に、私は胸を押さえた。
異変に気が付いた班長が送ってくれた援軍によって、俺とマリアは保護され別のアパートに案内された。
本当は本部での動きを聞きたかったが、マリアの顔色が優れず、今にも倒れそうだったので、休息を優先する事にした。
「急いで用意した部屋だから、最低限の物しか用意してないが勘弁してくれ」
荷物運びまで付き合ってくれた班長が、去り際に申し訳なさそうに言う。
「構いませんよ」
そんな俺を気遣ったのか、班長は優しく話しかけてきた。
「慰めになるか分からんが、明日の昼に新義安アメリカ支部への突入が決まった」
「本当ですか?」
「まぁ、余罪があるからな。そこで引っぱって、殺し屋について吐かせればいい。そうすればこの件の終わりに一歩近づく」
「……だといいんですけどね」
それを見送り扉を閉める。言葉通り部屋は急いで用意したようで、殺風景だ。
折り畳み式のベッド二つと机と椅子が二脚だけ。
休めるだけマシか。と思い、部屋の電気を消してベッドに潜り込もうとすると。
「疲れた……」
隣のベッドに寝かせていたマリアが、ポツリと呟いた。
「……じゃあ、今日はもう寝よう。身体を休める事が今は優先だ」
俺はそう言い、彼女に掛かったタオルケットのズレを直した。
まだ目は暗がりに慣れておらず、彼女の表情は分からない。
「……また、殺し屋は来るかな?」
「向こうもそれが仕事だからな。来るだろ、そりゃ」
「だよね……」
二度の襲撃失敗に向こうが匙を投げてくれれば万々歳だが、殺し屋という看板を掲げている以上、そう簡単に引き下がる人種には思えない。
マリアの声色に出ている不安や恐怖が、現実となってまた襲い掛かって来る。
考えただけで辟易する。そんな時。
「……また今度襲ってきても、助かるよね?」
マリアはその言葉を俺だけでなく、自分自身に言い聞かせるように聞こえた。
それも、スポーツ選手が「絶対に勝つ」と鼓舞する物ではなく、負け戦に臨む兵士の故郷へ錦を飾る妄想に近い。
俺は彼女の精神状態が不安定になっている事を悟った。
狙撃時のストレス。いつ消えるか曖昧な不安。一日中狙われる恐怖。
思い返せば、今まで不安定にならなかったのが不思議な位の負荷を受けている。
精神科医でもなければ、セラピストでもない俺が、彼女の為に何が出来る。
慣れてきた目でマリアの張りつめた顔を見て、そこからの逡巡の末、俺は言葉を捻り出した。
「俺が、守ってやる」
「……え?」
「俺が守ってやるって言ってんだ。そうすれば、お前も助かる」
余りの単純さに馬鹿馬鹿しくも思う。
けれど、様々な負の感情に雁字搦めになった心には、このくらいの馬鹿さ加減が効くのかもしれない。
相好を崩すマリアを見て、俺はそう強く感じた。
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