近接戦

 精神衛生をより良くする為には、上質な食事が欠かせないと俺は考えている。

 更に言えば、古今東西、戦いの場には食事が絡んでいた。

 かつての大戦。アメリカ軍は前線の兵士にコカ・コーラやら温かい飯を送り、日本軍は南方の島々に食料を送れず、兵士達は酷い食糧事情で最低の士気のまま散っていった。

 やはり、温かい飯は兵隊の心を綻ばせ、その飯にありつくために戦うのだ。

 少なくとも、俺は八年の自衛隊生活でそう痛感した。

 走馬灯のように浮かんでは消えていく、食事の思い出。

 だからこそ、俺は空の冷蔵庫を呆然と眺めながら、色々な飯の味を思い出した。

 

「空だね」

「だな」


 班長らが急いで用意してくれた部屋だが、飯に気を回す余裕は無かったようだ。

 当然、腹の音がする。俺が音のする方を見ると、マリアの腹があった。


「……飯、買い行くか」

「だね」


 ガスは通じてるし、フライパンもある。材料さえ買えばなんとかなる。

 リスクは負いたくないが、飢えて士気が下がるよりマシだ。

 勿論、出来るだけの準備はする。お互いに銃の準備は怠らない。

 スライドを引き、薬室に弾を入れておく。暴発するかもしれないが、常に命を狙われているのだ。このくらいなんだ。

 俺はショルダーホルスターに、マリアはヒップホルスターに銃を仕舞う。

 それからいつものコンビニへ向かった。

 パンケーキとベーコンにするかなど、二人で話していると。

 嫌な気配を感じた。


(見られてる?)

「……浩史」


 目線を前に向けたまま、マリアが俺の袖を引く。


「尾行されてる」

「……やっぱり」


 気配的には二人。携帯を使って後ろを確認すると、中国系らしい若者が俺達をチラチラと見ていた。おおかた新義安の構成員だろう。

 

(どこから尾けられた?)


 疑問と視線を巡らせる。だが、今は後ろの馬鹿二人を撒く方に集中した方がいいと判断する。


「撒くぞ」


 ほとんど間を置かず、マリアが頷く。


「うん」


 都合よく近くに地下鉄の駅がある。


「行くぞ」


 俺はマリアの手を引き、駅への階段を下りた。それを確認した途端、若者二人は慌てて後を追ってきたので疑惑が確信に変わった。

 適当に切符を買い、ホームに出る。二人は観光客を装っているらしいが、逆に何となくを装って俺が振り返ると向こうは白々しく目を逸らした。

 電車に乗り込み、奥に行かないで入口近くに陣取る。

 構成員も隣の車両に乗って、ときおり様子を伺っている。

 次の駅。次の次の駅。なんて感じで適当に過ごし、俺は乗った駅から四番目の駅を降りる駅へと定めた。

 車内アナウンスが冷たく駅名を告げ、エアー音と共に扉が開く。何人もの乗客が出て行き、波が切れ、再びエアー音が鳴った瞬間。

 タイミングを合わせ、俺達は閉まりつつあった扉の隙間をすり抜けた。

 構成員が驚愕の表情をしながら扉に駆け寄るが、紙一重の間で扉が閉まりきり、電車が走りだした。

 顔を真っ赤にして構成員達が扉を叩くも、それを無視して電車はトンネルに消えていった。

 あの二人がここまで戻って来るには、早くとも十分近く掛かる。その間に十分逃げられる。

 行くか。とマリアに声を掛けようとすると。


「……っ!」


 首筋がチリリと痛み、背筋に冷たいものが走った。

 強烈な殺気が向けられた時の、いつもの症状だ。


「浩史っ!」


 マリアに言われるがままに振り向くと、いつの間にかすぐ隣に女が立っていた。

 東洋系の顔。その頬には絆創膏がデカデカと貼られているが、長袖の白シャツにストレッチ素材のズボンという、平凡で面白みのない格好をしているお陰で街には溶け込みやすくなってる。

 けれど、溢れ出る殺意を隠しきれてない。俺達は数歩下がった。


(殺し屋)


 こうして対面するのは初めてだが、こればかりは勘に頼らなくとも分かる。

 というか、これで分からなかったら、今頃墓石の下だ。

 脇に吊った拳銃の存在が主張しだすが、それを一切無視する。

 薬室に弾が入っているが、この間合いでは拳銃を抜いてトリガーを引くよりも、殴ったり刃物を使った方が良い。


(……さて、どう出る?)


 俺は踏ん張り、歯を食いしばり、女の一挙手一投足に注目する。

 マリアも羽織ったシャツの下に隠してある、グロックのグリップを握った。

 全神経を総動員し、戦闘モードに入りかけた時。

 殺し屋が口を開いた。


「初めましてと言うべきかしら。この場合」


 流暢な英語だった。無論、何ら不自然ではなのだが、俺は強烈な違和感を覚えた。

 しかしそれも、修羅場という状況に流され頭の奥に流されてしまう。

 

「……ここはニーハオじゃねーのか?」


 驚きこそしたが、軽口はすぐに出てきた。


「貴方達に合わせたのよ」

「そらどうも。だがな、それを『余計なお世話』って言うんだ」

「そうね――」


 殺し屋が動く。寒気を感じた俺は、抱えた紙袋を放り武道の構えを取った。マリアもグロックを引き抜き、CARシステムの構えを取る。

 この距離での拳銃の扱いは、プロでも苦慮するものだ。

 敵が近ければ近い程焦り、手がブレて命中率が下がったり。

 伸ばした腕や拳銃を敵に攻撃されたりなどの、問題がある。

 それを抑えるために、銃を身体に近づけるCARシステムという構えがある。

 マリアはそれを、俺は拳を選んだ。なんだかんだ、射撃よりこっちの方が得意だからだ。

 殺し屋は上体を捻り上げながらドリルの様に回転させ、俺達との距離を詰めた。

 来る。そう思った瞬間。

 着地するなり、足を回転させ脚払いを仕掛けてきた。

 ――マリアに対して。

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