ホームファイト


 マリアがギリギリでそれを避け、銃を構え直すと彼女も武道の構えを取った。

 左足を後ろへ出して曲げ、右足を伸ばす。

 顔は真っ直ぐ正面を向き、俺を捉えている。

 腕は両方とも軽く肘を曲げつつ、右手の指は鎌の様にし、左手は軽く握る様にする。


「中国武術。螳螂拳とうろうけんよ」


 その右手には、黄龍の入れ墨が入っていた。

 その睨みが、何とも言えない威圧感を放っている。

 螳螂拳は聞いた事がある。だが、悠々と思い出している暇は無い。

 俺はマリアを後ろの方にやりながら、相手の眼を見た。


「ジャッキーチェンごっこなら、よそでやれ。……それに」


 周囲には電車を待つNY市民が立っており、俺達を物珍しそうに眺めていた。

 その中に、新義安の構成員らしき中国人はいなかった。


「お仲間呼ばんでいいのか?」


 俺の言葉に、殺し屋は淡々と答える。


「あんな奴等、仲間なんかじゃないわ。……あの役立たず達、下手くそな尾行で私の仕事を無駄にしかねないから、コッソリ付いてきたけど……正解だったわ」

「結構な言い草だな」

「何と言おうが、私の勝手でしょ」


 拳を強く握りしめる。


「……そう言い切るって事は、随分と自分の腕に自信を持ってるみてぇだな」

「まぁね。狙撃じゃなくて、こっちで殺すわ」


 そう言って、殺し屋は手を軽く回した。


「やってみろよ」

「……アイツの攻撃、早いわよ」


 援護の態勢に入ったマリアが、俺に囁く。


「そいつは……おっかないな」

「この鎌が、貴方の命を刈り取るわ」

 

 彼女は構えた手を小さく揺らす。

 なんてことない行動の節々に、殺意を盛り込む彼女。


「――しゅっ!」


 呼吸音と共に、構えのまま手を俺へ繰り出してくる。

 ただ手数で押すかと思いきや、かなりのフェイントが織り交ぜられており、それに引っ掛かればマズイことは嫌でも分かった。

 忖度、手加減、一切無しの真剣勝負。

 畳の上で行う競技ではなく、お互いが持つ技術で行う純粋無垢な殺し合いだ。

 何かしらの技術が劣るか、運動神経と生存本能を繋ぐメンタルが折れれば、俺は死ぬ。

 だが、俺には死ぬ気がサラサラ無い。

 殺し屋の攻撃と攻撃の間に、俺は突きを繰り出した。

 防戦一方だけじゃ埒が明かない。時折攻撃も入れようとしたのだ。

 だが、殺し屋は攻撃を入れた事が分かった瞬間、手首と二の腕を掴んだ。


「なっ!」


 そして、その腕を。正確には彼女が俺の腕を掴んだまま、のだ。

 体勢が崩される。衝撃は凄まじく、下手に耐えていれば肩が外れていたであろう。

 反射的に、俺は掴まれた方とは反対の手。つまり、左手も同じ様に突き出し、地面に着ける。

 歯を食いしばり、腕に力を籠め、倒立前転の要領で体勢を立て直す。


「あっ、ぶねぇ……」


 息を整え、殺し屋に向き直った。変わらず俺を見続ける彼女の眼が、僅かに揺れた。


「やるじゃない」

「どうも」


 手や足を出すのは得策ではない。

 ならば。

 俺が睨み返すのを見計らったように、殺し屋は打つのを再開した。

 先程より、殺意が増した攻撃だ。

 蟷螂拳は近接から中間距離において、素速いスピードの攻防を得意とする武術であり、実戦においてはそのスピードが一番厄介だ。

 だがどうだろう。攻撃するには、伸ばした腕を一度引っ込めなきゃいかない。

 俺が行動できるのは、その僅かな時間である。

 殺し屋の右手が、次の行動の為に構えの位置に戻った。俺は受け流しで動かしていた両腕を、一気に伸ばす。

 彼女はまた腕を掴もうとしたが、両腕が現れたせいで思考に一瞬だけ虚が生まれた。

 服を掴み、自身の方へ引き寄せる。

 そこからは簡単だった。

 訓練によって磨かれた、美しさより機能面や威力を重視した、背負い投げを決める。

 コンクリートにタイル張りの地面に、殺し屋は打ちつけられる。武術家らしく受け身は取ったが、派手な音を立て転がった。

 俺達の殺し合いを見物していた市民の皆さんは、「ブラボー」やら「ワンダフル」などの声を掛ける。

 何かの撮影だと勘違いしているのだろう。ここでやってるのは、時代劇の殺陣演技ではない。


「…………」


 肩をさすりながら、視線だけでぶっ殺せそうな圧を彼女は俺に向ける。

 

「上等じゃねぇか」


 彼女は、薬や洗脳で人間の限界を吹っ飛ばしていない。

 痛みを感じるのが、人間であることのなによりの証拠だ。

 ということは、まだまだ土俵は人類だし、なんなら武道の腕は俺の方がまだ上だ。

 男女の性差、筋肉量などのアドバンテージはあれど、やはり技術は俺が上をいってる。


「………………」

「狙撃以外は、まだまだみたいだな。……黄龍の墨が泣くぜ?」


 黄龍は皇帝の象徴ともいえる存在だ。つまり、トップの器を持つ人間が背負うにふさわしい柄。

 それを持つ人間が、俺ごときに負けては面子が立たない。


「……今、ここで依頼を放棄すると言ったら、悪いようにはしない。どのみち、このままじゃ俺達かテメェ等のどっちかがくたばるまで、続く」


 殺し屋の眼差しは、冷たかった。宿っているのは説得が通用する冷静さではない。

 ただただ、目の前の人間を殺すという情熱だ。

 煽られたから気分を害した、だから殺す。なんて生ぬるい思考ではない。

 殺し屋は駆け出し、また俺に向かってきた。

 

「どうした! 遅いぞ!」


 煽り、集中を乱す。隙を作らせれば、おのずとチャンスが見えてくる。

 持久戦なら俺の方が有利だ。優秀なバックアップもいる。

 横目でマリアを見ると、彼女は示し合わせたように頷いてくれた。

 

『――電車が参ります。白線の内側へ、御下がりください』


 アナウンスがホームに響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る