二対一

 周囲の市民がアナウンスを聞き、俺達を避けつつも白線に沿って並んでいく。

 トンネルに反響した進行音が徐々に近づいてくる。


「……電車が来るみたいね」

「……そりゃあ、地下鉄のホームだからな」

「……逃げる気?」

「そのオツムで考えてみろや」


 電車がホームに入ってきた。


「……逃げないの?」

「逃げてもいいのか?」

「それじゃあ、殺せないもの。困るわ」

「俺としては……困ってくれた方が良いがな」


 ホームにいた市民が電車に乗り、元々車内にいた客が何事かと眺めている。

 やがて、簡素なアナウンスと共に扉が閉まった。

 それと同時に、殺し屋が駆けだす。その演出臭いやり方に俺は胸騒ぎを覚える。

 マリアがグロックで狙うが、それに気が付いた殺し屋は小刻みに身体を揺らし、狙いを定め辛くする。


「嘘でしょ……」


 マリアは思わず驚愕の声を漏らした


「来るぞ」


 俺が息を飲み、拳を握り締めた瞬間。殺し屋は俺の肩を掴んだ。

 何事かと思えば、そのまま身体を乗り越え背後に回られる。

 マズイと思いガード体勢に移ろうとしたが、狙いは俺じゃなくマリアだった。

 不意を突かれた彼女は銃を撃つ間も無く、殺し屋に殴られた。

 顔に一発。そのせいで力が緩み、銃を奪われてしまう。更にグリップでこめかみを強打される。

 痛みに表情が歪み、こめかみの皮膚が破れて血が飛ぶ。

 それから、蟷螂拳特有の腕を絡めた巻き込みにより、マリアはなすすべも無く床に伏された。

 殺し屋の右手は奪ったグロックを握っている。指は引き金に掛かり、今にも撃ちそうだった。


「止めろ!」


 俺が応戦しようとすると、殺し屋は左袖の中の仕込み刃を展開させて目の前で振った。 

 だが、躊躇っている場合では無かった。一気に相手の懐に入り込み、銃を奪い取る。

 殺し屋も負けじと、俺の肩に刃を刺した。肩に刺さる寸前に寒気を感じたが、俺は避けなかった

 ここで避けたら攻撃のタイミングを見失う。ここで畳みかけるのが得策だ。

 奪い取った銃を放り捨てる。殺し屋の意識が一瞬、銃の方に取られる。


「何処見てんだ! このクソボケッ!」


 俺はアッパーカットを決め、腹に膝を入れた。流石の殺し屋もこれは効いたようだ。

 激しく咳きこみ体勢が崩れる。そこにボクシングのラッシュの要領で腹を殴打してやる。

 殺し屋の口から、蛙が踏みつぶされた様な音が漏れた。

 仕上げはラリアット。マリアと同じ様に、床に叩き付けてやった。

 しかし、気絶まではいかなかったようで、殺し屋は呻き声を挙げながら身体を投げ出している。


「やった……のか?」


 俺が殺し屋に一歩近づく。すると。


「……ひろ、し」


 俺を呼ぶか細い声がした。

 声がした方を向くとマリアがこめかみを押さえながら、こちらを見ていた。急いで駆け寄り、介抱する。


「大丈夫か!?」

「うん……。なん、とか……。浩史、は?」


 肩の傷の事を言っているのだろう。仕込み刃という特性上、刃は長くない。出血も少なかった。


「俺は大丈夫だ」


 しゃがみこんで彼女の腕を首に回し、ゆっくりと立ち上がろうとする。

 だが。


「……アレ?」


 急に身体に力が入りづらくなり、俺は冷たいタイルの上でマグロになってしまった。


「……ろう……ひて?」


 呂律まで回らなくなってきた。マリアが何度も名前を呼び、身体を揺さぶるが、反応するのが難しい。

 そんな中、殺し屋の呻き声がいつの間にか高笑いに変わっているのに、気が付いてしまった。



 新義安のアメリカ支部は、修羅場の渦中にあった。


「馬鹿野郎!」


 ボスは手近にあったブランデーの瓶を放り投げた。

 射線にいた部下が瓶を避ける。

 それは壁に当たって砕け散った。人に当たっていれば、大怪我していただろう。

 強い酒精の匂いが部屋の中に充満する。

 そのブランデーは本家の幹部から、ボスのアメリカ支部長就任祝いとしてプレゼントされた物だ。滅多な事が無いと口にしないそれを、ボスは怒りに任せて破壊したのだ。

 心中は察する必要も無い。


「……もう一遍、言ってみろ」

『東洋人の男を……逃しました』


 電話の向こうにいるのは、殺し屋が「借りていく」と言って連れていった若手だ。


「……ふざけやがって」


 殺し屋は未だ帰らない。電話口の部下が言うには、東洋人と共に姿を消したらしい。

 そんな事実を苦々しく噛みしめながら、重い溜息を付きながら椅子に座わるボス。

 今にも押しつぶされそうな空気が電話越しにも伝わるが、一人の部下が恐る恐る声を出した。


『……あの』

「なんだ」

『……あの殺し屋、一体何者なんですか? ボスにも、専務にも、偉そうな態度で』


 部下の質問に、ボスは声を詰まらせた。

 特別な意味は無い。本家に殺し屋を打診したら彼女が来ただけであり、更に言えば本家の人間から「失礼の無いように」と言い含められただけだ。

 アメリカ支部の支部長といっても、どう足掻いたって組織の歯車の一つであり、所詮はの長である。

 組織の歯車であるから上からの命令は絶対であり、そこに意味があるかは置いといて、従うしかないのは下にいる者の宿命である


「……俺も、詳しくは知らん。ただ知ってるのは、本家が一目置いて、香港でも上位の殺し屋だという事だけだ」


 それが、ボスが知る殺し屋の全てだった。


『……………………』


 この反応には部下達も、黙るしかない。

 けれど、彼等もなんとなく感じ取っていた。

 あの殺し屋は、という事に。

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