休戦
マリアのSR-25に装填された7.62×51ミリ弾の雷管を、撃針が叩く約一秒前。
殺し屋も引き金を引き、弾が発射された。
VSSの弾、9×39ミリ弾は亜音速弾。弾速は通常のライフル弾より遅い。
だが減音器との相性は良く、銃声はほぼ殺していた。
現にマリアは、殺し屋が銃を撃った事に気が付いていない。
しかし殺し屋のVSSは今、周との揉み合いの最中にスコープの調整がズレ、狙った位置に弾を飛ばすことが出来ない状態にあった。
殺し屋の弾はマリアに当たらず、彼女の部屋のガラスを割る。その音で腕の筋肉が僅かに収縮・硬直し、銃口が僅かにズレてしまった。
マリアの弾は殺し屋の頬を掠めた。
「はず……した……」
殺し屋は頬の傷を押さえ、マリアは右腕を揉みながら同じタイミングで同じ言葉を呟く。
遠くからパトカーのサイレンが響いてきた。
今すぐ撤収しなければならない。そう思いVSSに目を向けるが、のんびりと分解している暇は無かった。
だがしかし、彼女の目の前に落ちているのは銃だけではない。
「う……うん……」
周もだ。肩に弾を受け、重症ではないにしろ警察から逃げ切るのは難しい状態にあった。
「……仕方ないわね」
マフィアだとしても、信用は出来ない。
先程自分に取った態度といい、彼も私に信用は置いていないのだ。
そんなふうに考え、殺し屋はある決断をした。コンクリの地面に置いたベレッタを手に取り、撃鉄を起こす。
薬室に弾は入っているし、安全装置も掛かっていない。
「お、お前……」
傷の痛みか、銃口を向けられた恐怖か、彼の顔が酷く歪む。
その顔を見ても、彼女は何の躊躇もしないで引き金を引いた。
今度は――外れなかった。
更に哀れな屍を彼女は眉一つ動かさずに、屋上から落とす。
丁度、それは到着したパトカーのボンネットの上にぶつかり、アスファルトの上に転がる。
警官達の注目も視線も、ついさっきまで周と呼ばれていた肉塊に集まった。
僅かだが時間稼ぎになった。
殺し屋は改めて野球帽を目深に被り直し、自身のバックパックにVSSを突っ込み、素早く階段を下りる。
シートを畳む時間。薬莢を回収する時間。
それら丁寧な撤収に時間を割くより、逃走する方が大事だった。
「やり方を変えなきゃね」
その場から立ち去る間際、彼女はそう呟いた。
連絡を受けて居ても立っても居られなくなった。
「俺も、現場に――」
『やめろ』
班長の鋭い制止が鼓膜を貫き、貧乏ゆすりを止める。
『……マリアは無事だ。私の名に懸けて保証する』
沈黙。電話越しの喧騒やサイレンの音が、何故かよく聞こえた。
「そう言われちゃあ……何も言えないじゃないですか」
やっとの思いで言葉を絞り出す。
『言われたら困るんでな』
しかし、班長はあくまでも冷静だ。
『とにかく、お前の自宅待機はそのまま。マリアも調書が終わり次第、別の場所に移す。以上だ』
返事を待たずに通話は切れた。
重々しい息を吐き、俺は携帯をベッド脇のチェストに置く。
薄暗い部屋の中、淡い光を放っていた携帯がスリープ状態になると、一気に寝室は影が支配する様になった。
ベッドに腰掛けひとしきり唸った後、そのまま横になる。
「……マリア」
その名を発しても、返事をしてくれる人物はこの場にはいない。
途轍もない無力感に苛まれる。
仕事上の相棒として。そして、恋人としても彼女のそばにいられなかったのが無念でならない。
班長が嘘がつくとは思えない。メリットもさしてないのにだ。
だから、マリアは無事なのだろう。
けれどこうして、暗い部屋で一人でいると良くない想像が浮かんでしまうのだ。
「駄目だ駄目だ!」
起き上がり、台所から本日三本目のドクターペッパーの缶を持ってくる。
そしてそれを、一気飲みした。
炭酸がコーラや他の炭酸飲料より弱めだが、それでも喉を過剰に刺激する。
噴き出しこそしなかったが、むせる一歩手前までいった。
「……ちっきしょう」
缶を置き、ソファーに身を預ける。テレビを点ける気にも、目を瞑る気にもなれない。
モヤモヤした気分だけが、時間ごとに比例して膨らんでいく。
どうせなら盛大に甘くしたコーヒーで気を紛らわせたいが、こんな時に限ってコーヒー豆を切らしていた。
考えもロクにまとまらず、炭酸の抜けた甘ったるい液体を胃に押し込む。
普段は好んで飲む物も、精神が限界近くまで行くと味も雑にしか感じないのだなと、新たな発見をした。
ここまで追い詰められたのも、かなり久し振りな気がする。
それこそ、マリアと出会ったばかりの頃。
麻薬カルテルの捜査中、拉致られ彼女が負傷したのを知った時以来か。
勿論、修羅場は思い出したくない程潜ってきた。追い詰められた事も、それ以外にもある。
だが、脳裏にパッと浮かんだのは青白い顔で俺を見る、マリアの顔だった。
「……トラウマにでもなってるのか?」
そんな時、玄関のチャイムが鳴った。
スイッチが切り替わったように、モヤモヤが吹き飛ぶ。壁に掛けたホルスターから、シグを出し撃鉄を起こす。
音を立てない様に玄関まで行き、壁を背にして覗き穴から玄関先を観察する。
立っていたのは警察の制服を着た、マリアだった。
即座にデコッキングをし、玄関の扉を開ける。
「……お前」
「班長が、『これ着て、アカヌマの家に行け』って。……それで」
彼女は羞恥で顔を赤く染め、もじもじしている。
話している間もズボンを直していた。よく見れば、制服のサイズが大きい。
大方、班長が変装用に適当に借りてきたものだろう。
「と、とりあえず。入れ」
俺は念入りに左右確認してから、扉を閉めチェーンを掛けた。
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