ランデブー

 グアム島から戻ってきて、二日目。

 報告書やらを片付ける為の早朝出勤と深夜退勤を乗り切り、俺とマリアは二日の非番を、ようやく手に入れられた。

 二人の休みが合ったのは、かなり久しぶりだ。

 だからこそ、長いことご無沙汰だったデートをすることになったのは、当然の流れだろう。

 ベタに映画か。車でも借りて遠出するか。

 乏しい経験からデートプランを練っていたが、マリアの方からリクエストがあった。

 そこは――。


 ニュージャージー州の町。

 山の一部を切り開いたと思しき広場に、俺達は来ていた。

 そこには四つレーンがあり、そこは百・二百・三百・四百メートル先に人の形をした鉄板が設置されていた。

 イヤーマフで蒸れた耳を掻きながら、俺はマリアの勇姿を眺める。

 彼女は自身のSR-25で鉄板を狙っていた。

 約二秒の間隔を開け、彼女は引き金を引いている。

 

「元気だねぇ……」


 結露に濡れたドクターペッパーの缶を、口に近づけてながら感心する。

 つい十分前まで、障害物有りのシューティングレンジを駆け回っていたのに。

 炎天下の中、二十分も立っていれば大の男でもくたばりそうになるのに、水分補給と塩分補給を手短に済ませ、すぐに銃の元に行ってしまう。

 若さ故の行動力か。

 柄にも無い事を考え、甘い炭酸を飲む。

 

「疲れた〜」


 すると、銃を抱えたマリアが日陰まで戻ってきた。

 銃は安全装置を掛け、銃口を上にして、ラックに立てかける。


「お疲れ」


 俺はそう言って、クーラーボックスから冷えたスポーツドリンクを彼女に差し出す。


「どうせなら、コーラがよかったなぁ」

「アホ抜かせ。水分補給にならんぞ、アレは」


 元体育会系として、真っ当な回答を示す。

 無論。ネタにマジレスではなく、マリアとのスキンシップの一環だ。

 当然彼女も、俺が本当にコーラを渡したら、ツッコミを入れる。

 マリアはスポドリを一気飲みして、プラスチックの椅子に座り込んだ。

 そして、俺を見ながらモジモジしだす。

 

「……どうだった?」

「どうって?」

「射撃、上手くなってた?」

「なってた。と、いうか――」


 俺は彼女の、シューティングレンジでの動きを思い浮かべた。


「スタミナ付いたよな。お前」


 クソ暑い中、障害物を潜り抜けたり、避けたりしながら走り回るのは、中々体力がいる。

 前の彼女ならすぐヘバッていたのに、今は驚くほど元気が有り余っている。


「煙草止めたおかげか?」

「いや、ね。最近、朝、走っててさ」

「早朝ランニングか」

「うん。でも、速度的にはジョギングかな。家からセントラルパークまで行って、往復五キロ近く」

「へぇ。やるなぁ……」


 マリアは最近、本当に頑張っている。

 班長や同僚に格闘の稽古を付けてもらったり、こうした体力作りも欠かしていない。

 三日坊主しないで、黙々と。

 ……彼女の元上司が逮捕されて以来か。

 四年前。ある事件がキッカケで、マリアは警察を辞めISSに入った。

 過去を忘れるために、髪を切り、煙草を吸い始め、徹底的にキャラを変えようとしてきた。

 だが、過去は彼女を忘れることは無かった。

 遂に去年、過去が彼女に追い付いたのだ。

 ゴタゴタの末、マリアは過去――元上司に自身の手で引導を渡した。

 それから、ようやく未来を歩めるようになったのだろう。

 煙草を止め、また髪を伸ばし始めた。

 表情も心做しか、柔らかくなった気もする。


「頑張るのもいいけど、あまり根を詰めんなよ。体壊したら、元も子もないからな」

「分かってるって」


 そう言ってはにかみ、彼女は被っていたキャップを脱いだ。

 そして、乱れた髪を手櫛で整えながら、もう少し伸びたら結ぼうかなと呟く。

 彼女の言葉を聞いて、思わず口にしてしまった。


「俺はそのくらいの長さが、好きだけどな」

「……え?」


 面食らった。という表現が、一番相応しい顔だった。

 俺も自分が言った言葉を反芻し、笑顔とも苦笑いとも取れない顔をする。

 マリアは頬を掻き、少し照れたように。


「じゃあ、そのままにしとく」

「……そうしてくれたら、嬉しい」


 耳を意識せざるを得ない程、熱くなっている。 

 気持ちを持ち直した彼女がニヤニヤと、俺の方を見た。その視線を気恥ずかしさから素直に受け取れず、缶の中身を呷って誤魔化した。



 新義安の周は今日で三本目のミネラルウォーターのボトルを空にした。

 空のボトルを振って一滴の水も無い事を、隣にいる女に示す。

 女は「また?」と嫌味な目線を周に向けるが、言葉にはせずに立ち上がり、被っていた灰色のシートを放って屋上を出た。

 男はボトルを几帳面に前に空にした物の隣に並べ、再び双眼鏡を覗き込んだ。

 レンズはISS本部の玄関に固定されており、出入りする人間の顔がよく見える。

 この行為が殺し屋が周に求めた仕事だった。

 狙うべき標的の顔を周しか知らないのが、そもそもの始まりである。

 無論、彼だって彼女に特徴を伝えたし、似顔絵を描くと申し出た。がしかし、彼女は周に見張れと命じた。

 だから屋上で寝そべって監視しているのだ。ヘリやドローン対策として被るシートが日を遮ってくれるも、通気性は劣悪でシートの中は蒸し風呂も同然。

 ジャケットも脱ぎ、ネクタイも外し、ワイシャツも第三ボタンまで外したが、周はつむじからつま先まで汗でビショ濡れだった。

 それに、この監視は今日で四日目。連日、水風呂無しのサウナに通っているようなもので、既に周の肉体、精神面で限界が来ていた。


(……後、一日でも続けば、標的の前に俺が死ぬ)


 眉を抜けて目に入りかかった汗を拭いながら、周はそう思った。それから、双眸を彼女のシートの方へ向ける。


(……けどまぁ)


 そこにはただ灰色のシートがあるだけで、水のボトルは無かった。思い返せば、あの女は汗すら掻いてなかった。


(殺し屋、か……。確かに、人間には出来ないのかもな)


 顎から滴り落ちる汗をシャツに染み込ませながら、周はひとりごちた。

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