新義安
ビル群に太陽が溶け込む光景を正面に、俺はレンタカーのステアリングを握っていた。
ニューヨーク州に入った時、ダッシュボードに放り込んだ俺の携帯が騒々しいロックを奏でだした。
「着信か。……マリア、取ってくれ」
「ん、ほら」
マリアがスピーカーにしてくれた電話を、俺の方へ寄せる。
チラリと見た着信元は班長だ。
「はい。赤沼です」
『今何処にいる』
「今、高速でマンハッタンに戻ってます。ニューヨーク州には入りましたけど」
『……マリアも一緒か?』
「ええ。隣にいますけど」
『丁度いい。本部に来い』
「じゃあ、レンタカー返してからで――」
『駄目だ。……レンタカー屋を教えろ。他の奴に返しに行かせる』
いつも以上に声に迫力があり、俺達が知らない間に進行した、知らない事態の深刻さを表しているようだった。
「……何が起きてるんです?」
『着いたら話す』
言うだけ言って、班長は電話を切れた。
「面倒臭い事に、巻き込まれたみたいだね。私達」
「……そろそろ慣れたよ」
ISSに入って約九か月。
潜ってきた修羅場の数は、そこら辺のアクション俳優を超えた気がする。
もっとも、映画と違って下手こけば死ぬ。
その事実だけは念頭に置いておきたい。
マンハッタン。ISS本部前ビル屋上。
腕時計の針は午後七時十三分を指している。夜になっても熱気が落ち着く事は無く、相変わらず周の身体から水分を奪い続けていた。
(後、四十七分の辛抱か……)
暑さにげんなりしつつも、周は終わりが見えてきた事で幾らか気分が楽になった。
ワイシャツのボタンも全て外し、肌着を露わにしてまで冷気を求めるが効果は無い。
しかも汗で湿り、鼻につく臭いを発している。
不快感はとっくに天井を突破していた。
それに対し、殺し屋は汗の一粒も見せず、夜になってからようやく水のボトルを手にしだした。
水も飲まず、汗もかかず、感情も見せない彼女はまるで、サイボーグの様だ。
だが、周は自身を人間だと自負していた。
煙草も吸えず、イライラも募っている彼の集中力は限界で、残り時間を意識していなかったら、その顔を見逃していた。
「……おい。おい!」
「何?」
「玄関のトコの、東洋人と金髪!」
彼女の息を飲む気配が二人の間を支配する。
双眼鏡のレンズの先には、周が先日見た東洋人と金髪がいた。
彼等は乗ってきた車を他の局員に任せ、本部の中へ吸い込まれて行く。
服装は先日よりラフだが、女の方はこの前と同じガンケースを背負っている。
(何処に行ってた?)
周が私怨込みの恨みがまし気な目線を向けていると。
「狙擊手……」
殺し屋はポツリと呟いた。周は彼女の眼に、感情らしきものが揺らいだのを気が付かなかった。
「入り口で待ち伏せて、襲うか?」
周の懐にはSIG P232が収まっているし、殺し屋の腰にもベレッタ92FSが挿してある。
武器が無いわけでは無かったし、車で目の前に乗り付け、二人を蜂の巣にでもすればいいと、彼は思っていた。
暑さのせいで頭が上手く回っていなかったのと、この件が早く終わってほしいと思っていたから、そんな事を口にしたのだが。
殺し屋は周をガラス玉みたいに無機質な目で見て。
「幹部と言っても、所詮はヤクザね」
と切って捨てた。
「……んだと」
聞き捨てならん。今にも殴り掛かりそうな形相で、周は彼女を睨む。
しかし。
「自分の家の玄関で、仲間を殺されたらどう思うかは、貴方達マフィアがよく知っている事でしょ」
その一言で反論を全て封じられる。
「ISSも威信を賭けて、私達を追うでしょうね。しまいには新義安アメリカ支部が壊滅するわ」
報復。今まさに、周達、新義安がやろうとしている事をそっくりそのまま返されると彼女は言いたいのだ。
実際、周もISSの実力は嫌というほど理解していた。
むしろ、それを理解できなかった者から逮捕されて行った。
「………………」
図星を突かれた周が押し黙っていると、殺し屋は淡々と語った。
「安心して。私はプロよ――。プロとして、報酬分の仕事はするわ――」
ISS本部。強襲係オフィス。
熱を持つ肌に、冷えた空気が心地いい。
けれど、それに心落ち着かせ、帽子を脱ぐ間も無く、俺とマリアは班長の前に立たされた。有無を言わさないこの速度感は、心当たりが無くともなんとなく罪の意識を感じてしまう。
今この瞬間、班長が俺に冤罪での懲戒を告げても、反論せずに「はい」と言ってしまうかもしれない。
だが、流石のISSもそこまで鬼畜ではなかった。
「急に呼んで、悪かったな」
「いえ、それより何が?」
「先日の、ブルーガンの一件を覚えているな」
「はい」
事件こそ小規模なものだったが、中々強い印象を残した事件でもあった。
だから、忘れる訳が無い。
「……じゃあ、その件で私が少し、口ごもった事も覚えてるか?」
俺が記憶を遡り、あったかと悩んでいるとマリアが先に答えた。
「……時間が稼げる、どうこうと言ってた所ですか?」
彼女のその発言が呼び水になり、「ああ」と脳内に映像が蘇った。
「……あの時の」
「思い出したようだな」
俺とマリアの顔を交互に見た班長は、ゆっくりと語り出す。
「あの時、調査部の一部の班員と、主任以上の幹部にだけ知らされた事がある。
本来、お前達に知る権限も話す権限も無かったが、状況が変わった。
……お前達は新義安というチャイニーズマフィアを知っているか?」
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